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2017-04

年頭の御挨拶 - 2017.01.01 Sun

 2017年の元旦は、これほどの朝は年に何回もないというほどに、気持ちよく晴れ上がりました。この穏やかな朝は、これから始まる2017年の先行きを表しているようでもあって、嬉しさが込みあげてまいります。
 しかし、昨年からの流れをみていると、この天気ほどに楽観はできないようにも思われます。
 昨年は、どんな年であったでしょうか。
 私には、『まさか』の1年であったと感じられました。
 米国では、下馬評の低かったトランプ氏が次期大統領に決まりました。これを誰が予想したでしょうか。『まさか』の一語に尽きます。
 また、欧州へ目を転じれば、英国が国民投票の結果、ヨーロッパ共同体(EC)から脱退を決めたことも、『まさか』でありました。
 一方、わが国では、何はさておいて天皇陛下が譲位のお気持ちがあることを示されたことも、私たち国民にとっては、『まさか』のまさかでありました。
 このように『まさか』は遠くで起こったばかりではありません。
 私の身近でも『まさか』は起こっておりました。
 私たちが、昨年、2ヶ月余の長期にわたる北海道放浪の旅を敢行できたことも、一昨年の状態をからは、これも『まさか』でありました。
 私たちの『まさか』は、嬉しい『まさか』であるが、これ以外の『まさか』は後あとまでも尾を引く問題も抱えているだけに手放しで喜んでいるだけには参りません。というより、これらの『まさか』が、本年に及ぼす影響を計りきることは出来ません。
 とはいえ、これらの『まさか』が、私たちにとって悪い影響だけを与えるとも考えられません。これからの1年が終わって、昨年の『まさか』が、本年にとって良い影響を与えてくれる『まさか』になることを信じたいと思います。
 とにかく、これだけのよい天気の正月は滅多にあるものではありません。きっとよい1年になるだろうことを念じたいと思います。
 私自身も健康に留意しつつ、姫君につつがなくお仕えできるように努めたいと思っております。
2017_01_01 槍が岳②
  《1999年1月1日 後立山の稜線から槍・穂高を眺める》

カジノ解禁法案可決 - 2016.12.05 Mon

 12月2日、カジノを含む統合型リゾート(IR)の整備を政府に促す『カジノ解禁法案』が衆議院の内閣委員会で可決されたと報じられた。
 これまで、たびたび、話題に上がっていたカジノという賭博場が日本でも公に認められる方向に1歩を踏み出したことになる。
 賭博行為は、これまで反社会的行為であるとして禁止されてきた。これを企てた者ならびに参加した者は刑事罰が下される。
 とはいうものの、これは表向きのことで、政府ならびに地方公共団体が主催する賭博は悪いことではないと認められてきた。これら公認賭博は、宝くじに始まり、競輪、競馬、競艇などなどがある。
 また、毛色の変わった賭博としてはパチンコがあるが、これは屁理屈を付けて、賭博ではないと認められていて、大手を振って民間業者の手で運営されている。
 こうしてみると、日本では実質的には賭博は適法として公に認められている部分も多いが、名目的には違法として処罰の対象になっている。そして違法として取りしまりの対象になる賭博は、大きいところでは闇カジノを始め、違法性集団の関与する賭博、小さいところではサラリーマンの麻雀まで、ごく日常的に行われていることが多い。
 これはこの国特有のダブルスタンダードであるが、私たち国民は痛痒を感じない問題だとして、深く考えずに現在まで来ている。
 憲法でさえも平気で2つの基準があっても何の問題もないと考える国民性であり、このような瑣末な問題にいちいち目くじらを立てることはありえないことであろう。
 カジノという賭博場を考えてみよう。
 私はテレビ、映画で得た知識を持ち合わせているに過ぎないが、カジノはスロットマシンから始まり、ルーレット、カードなどを使用して賭博を行っている場所であるらしい。
 スロットマシンは、パチンコ屋内でも設置してあるので理解できている。
 ルーレットは、昔のチンチロリンという原始的なものや、映画に出てくる丁半博打を複雑化、高級化したものらしい。
 また、カードはトランプ博打で、私たちでも正月に家族で遊んだ経験のある者も多いことだろう。
 雰囲気は、シャンデリア輝く豪華な場所に、綺麗に着飾った紳士淑女が集まって、優雅に賭けて遊ぶというものが想像できるが、実態はドロドロとした慾と金がまみれる鉄火場に相違なさそうだ。
 一般観光客がスロットで遊ぶのは、私たちがパチンコ屋に行って遊ぶのと大差ないだろうが、ハイソサエティの人が大きなレイトで遊ぶ場合を想像してみよう。
 大きく勝ち、小富豪になって帰る人もあろうが、スッテンテンになるのならまだしも、大きな借金を抱えて帰る人もいるだろう。
 後者の場合、店側は当然のこととして回収を目論む。
 客側は、後日、スンナリと借りを返す人もいるだろうが、反対に支払わない人も出てくるのが人の世の常である。
 このような際、後者に対して甘い顔ばかりしていれば、当然、店側は立ちいかなくなるので、取り立ては厳しくせざるを得ず、いろいろとトラブルも発生するだろう。このトラブルを起こさせない取り立てには、それ相応の手段を用いるだろうし、これを生業(なりわい)にする取り立て業者に任せることになろう。こういうところから鉄火場(カジノ)業者と反社会勢力との結び付きは始まり、次第に持ちつ持たれつという関係になって行くのだと思う。
 少額の金を賭けるサラリーマンの麻雀が違法と認定される社会で、10億円年末ジャンボ宝くじに狂奔する人がいたり、今年の最後の重賞レースの有馬記念に幾ら賭けると大声で叫ぶ人がいる不思議さは看過できない。
 宝くじに当たることを夢見る人、有馬記念にうつつを抜かす人らには、怠惰浪費の弊風は言うに及ばず、勤労の美風などは、時代遅れの最たるものでバカ気ていると思う人ばかりであろう。
 仮に、このように考える人々が多ければ、総ての賭けは公認とすればよい。
 ある種の賭けはよくて、ある種の賭けは悪いというややこしいことは、私のように末期高齢者になると分からなくなるので、わずらわしい限りである。
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 本ブログは、11月4日以降、更新を怠っていたため、ペナルティとして主宰者によって広告を強制的に付けられた。
 このため、何かを投稿しなくてはならないが、最近は山へも行っておらず、材料に事欠くことになった。
 時事問題については、70歳を越えて死んでいくのを待つばかりの身では、あまり書きたくはないが、この期に及んではいたしかたなく、昨日の新聞記事に基づいて書いてみた。この問題、私なりには賛否はあるが、これについては直接に言及しないことにした。

北海道車旅日記を上梓 - 2016.11.05 Sat

 北海道から帰って、ブログの整理に1ヶ月ばかりかかった。
 この整理を行っていると、旅の期間、82日間を休まずに書き続けた日記がかなりの量になったことに改めて気付き、これをまとめて本にできないかという慾が出てきた。
 そのときは正確な文字数は分からなかった。しかし、日記をワードの基本形であるA4版、1行の文字数35文字、行数は36行に換算すると、1日当たり最初の頃は1枚程度のボリュームであったものが、その後、旅に慣れ、また、タブレットの入力操作にも慣れてくると次第に増えて、これが2枚、あるときは3枚と増えていた。1日の平均をA4版換算で1.2枚と仮定すると、82日間で12万字になる。こうしてみると、3ヶ月弱の毎日の積み重ねは、やはりたいしたものだ。少なく見積もっても10万字は書き綴ったことになる。
 先の私の処女出版、『私たちの山の履歴書』の文字総数は20万字弱である。ということは、今回の日記を本にすると半分程度のボリュームはあることになるので、本になりそうだと考えた。
 そこで、前の本はB5判だったものを、今般はA5版にサイズを落として、これの2段組を基本形にすることに決める。また、B5版からA5版に縮小したのに伴い、文字サイズも前の10.5ポイントから10ポイントに落として、体裁を整えた。
 ブログは横書き、本は縦書きである。
 この矛盾は、横書きのものをコピーして縦書きフォームの本の原稿用紙に張り付ければ、縦書きの2段組にいとも簡単に書き直すことができる。
 だが、このままでは見た目が悪いので、日記のような体裁にしなくてはならない。生まれてこの方、日記などは付けたことはない。したがって、日記帳も見たことがないので、どうしたらよいかも分からない。小学生の頃の絵日記には日付と天気が別書きになっていたような記憶があるので、これに従う。また、車旅で、毎日、毎日、車を走らせ、走行距離を記録していたので、これも最初のほうに持ってきて、分かりやすく表示をすることにした。
 なお、小学校時代の絵日記の記憶と偉そうにいったが、実はこれについて書く資格はない。それには、こんなエピソードがある。
 小学2年の夏休みに、絵日記を書く宿題が出た。
 夏休みが終わって学校へ行くと、宿題の提出を求められたが、絵日記など1日も書いておらず、出すことができない。どうしたかの先生の問いに、小心な私は「家に忘れてきました」と嘘をついてその場を取り繕った。
 家に帰って、「ワッ」と泣きながら母親に事の顛末を説明、そのまま寝てしまった。
 翌朝、起床すると絵日記が出来ていた。夜遅くまで掛かって、母と姉が私の夏休みの生活を絵日記にしておいてくれた。
 もう1つ、やらなくてはならないことが残っている。
 それは、ブログでは姫君を家来の三太夫がお守りして山へ行くという設定になっている。実態はこのままであるのだが、改めて本ともなると、この背景は相応しくないように思える。このため、これら人称を変える必要がある。
 これがなかなか大変な作業であった。きちんと読み返しているつもりではあるが、これを読み飛ばしている。いつも姫君と書いているので読んでも違和感はなく、そのまま読み飛ばしてしまうらしい。
 まだまだ、探せば手直しする部分は出てくるだろうが、適当な所で折り合いを付けて校了とする。この結果、文字総数は16万2783文字、表題および奥付けを含めた頁総数260頁という体裁になった。
 次は、表紙である。
 私は絵心というものはまったく持ち合わせていないので、自分で作るといっても手書きは出来ず、必然的に写真になる。北海道で撮った写真は、姫君と2人で1万枚以上もあるので、簡単だと思っていたが、これがなかなかどうして本の表紙として適当だと思えるものがない。
 散々に悩んだ末、十勝の農村風景に決める。
 これに題名を入れてみると、結構、落ち着いた表紙になっていたので満足できた。
 1部だけ、印刷して製本してみた。
 以前、写真集を作成したとき、1度、自分で行ったが、このときは綴じ目が破裂したことがあったので、今回は背表紙部分に糸を入れて補強したが、これでどれだけ強度が増したかは今のところは分からない。
 とはいえ、260頁という厚手印刷物の製本は初めての経験だったので、果たして製本ができるか否か危ぶんだが、まあそれなりの体裁のものに仕上がった。
 あとは、これを大量に印刷および製本を如何にすべきかという問題というか、最大の難関が待ち受けている。これには資本を必要とするが、この出処がないので思案のしどころだ。
 この問題を何とかクリうして本当の意味での上梓に漕ぎつけたいと思っている。
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木曽駒ヶ岳(乗越浄土まで) - 2016.10.21 Fri

 わが家のトイレの中のカレンダーは旅行会社のクラブツーリズムのカレンダーが掛かっている。この9、10月は、木曽駒ヶ岳は千畳敷の紅葉の写真である。
 今までは北海道の後始末に忙しく、これを見ても行きたいとは思わなかったが、ひと段落すると急に気になり始める。
 10月18日、天候が回復したので行ってみようかと思ったが、姫君に用事があったため、実行に移すには至らなかった。
 翌19日、朝、起きると雲が多く、あまり良い天気とはいえなかった。それでも朝食が終わった頃には雲も取れて青空が顔を覗かすようになった。
 このため、木曽駒ヶ岳のライブカメラを見てみると、青空が映っていたが、紅葉の状態は色がつぶれていて判然としなかった。
 それでも青空であることが分かると、急に行きたくなった。
 カメラを手に普段着のままで車に乗り込み、8時30分頃、自宅を出発する。
 何時もなら、国道19号を走るのだが、これから一般道を走っていては間に合わないので、小牧ICから東名高速道に乗り、小牧JCTから中央自動車道に乗り移り、一路、駒ヶ根ICを目指す。
 概ね2時間ほどで駒ヶ根に到着する。菅の台バスセンターの辺りにコンビニくらいはあるだろうと、直接、ここに行くが、生憎、この道筋にはコンビニはなかった。仕方がないので町のほうへ戻ると、セブンイレブンがあったので、ここで昼食の弁当を買って、再び、バスセンターへ戻る。
 ここの駐車場は、ほぼ満車に近い状態で、私の車は最奥のスペースに駐車することになった。普段なら文句の一つも口を突いて出るだろうが、これだけの人出が平日の本日にあるということは、千畳敷の紅葉が期待できると、むしろ喜んでいた。
 バスは30分間隔に出ているが、乗客数によって臨時バスも運行しているようで、私たちは臨時の11時30分発のバスに乗る。このバスは、始発のここでほぼ満員で、次の黒川平から乗った人の一部は補助席を使用した。
 ここからロープウェイ乗場のしらびそ平まで、およそ30分を擁す。この間、曲がりくねった1車線道路を走っていくが、この道をよくも運転できるものと感心するのは何時ものとおり、また、この道にはいろいろと思い出もあるので、それらを懐かしく思い起こしていると30分はあっという間に経過、しらびそ平に着いていた。
 ここからはロープウェイだが、これも10分くらい待つと乗ることができ、10分くらいで千畳敷に到着した。なお、ここの標高であるが、駅舎には2612mと書いてあるが、地形図から読み取ると2640mはある。この差異の原因が何処にあるのかは分からない。
 駅舎を出ると、千畳敷カールが一望できるが、これを見た途端、2人とも異口同音に「なんだ!」と落胆の言葉を発していた。
 それもそのはず、紅葉などは何処にもない。ただ、茶色の世界が広がっているだけだった。出がけに見たライブカメラの色はつぶれていたわけではなく、ある程度、忠実に写していたことが理解できた。
 さて、どうするかである。これでは写真を撮るといっても、撮る所がない。それならば、帰るかといっても、折角、ここまで来たので、直ぐに帰ってはモッタイナイといわざるを得ない。
木曽駒ヶ岳B
 考えた結果、乗越浄土へ通じる登山道、八丁坂を登ってみるということを姫君に提案してみる。
 姫君は、昨年、大手術を受けており、その後遺症とでもいうのだろうか、激しい運動はできないようになっている。このため、彼女自身は登山は完全に諦めているが、私は諦めなくてもよいと考えている。身体に負担がかからない程度にユックリと登っていけば大丈夫だと思っている。
 これで彼女の返事がどうであるか、暫くの間、待ってみる。すると、「行けるだろうか」というのが彼女の第一声であった。やはり、この景色を直に目にすれば、実績があるだけに血が騒ぐのだろう。家にいては考えられない前向きな考え方になったようだ。
 私は、休みを多く取り入れて息の上がらないようにユックリ歩いていけば大丈夫だと思っているので、その旨を告げる。すると、「行ってみようか」に変わってきた。「無理なら、そこから帰ってくればいいから……」と私が応じ、歩き始める。
 この千畳敷には、駅舎を中心にグルッと一回りする遊歩道が付けられている。この1周が概ね1kmである。
 この途中、標高2650mの辺りに登山道分岐があり、これを左手に進むと、これが八丁坂と呼ばれる急勾配の登山道が造られている。
 この道を登り上がった所が、乗越浄土と呼ばれる稜線上で、ここの標高は2850mである。したがって、この区間の標高差は200mである。ちなみに、この間の水平距離は800m余であることから、この斜度は25%ということになる。
 こんな経緯があって、駅舎前を歩き始めたのが12時25分頃。
 最初のうちは、遊歩道をいったん降り、次に緩やかに登っていく。この辺りは街歩きの靴でも歩くことができるような道なので、ノープロブレムである。
 問題は、登山道に入ってからである。目指す乗越浄土は見上げると遥か上のほうで、誰が見ても『これだけ登るのか』と嘆息するだろう厳しさである。
 かくいう私としても、山に登ったのは6月の八ヶ岳以来である。人の心配をするより、自分の心配をしなくてはならない。このため、何時も以上にユックリと歩いていく。
 ここは斜度25%というものの、ほぼ一定の角度を保つように登山道はジグザグに造られているので、ユックリと歩くぶんには見た目以上に楽に歩くことができる。それでも、姫君は肺活量が少なくなっているので、少し歩くと息遣いが荒くなる。「休もうか」と声をかけるが、「まだ、大丈夫」と思った以上に頑張りがきく。
 こんな状態だったので、途中で呼吸を整える短時間の休憩を3、4回しただけで、13時35分頃、乗越浄土まで辿り着いた。
 ここは、宝剣岳と伊那前岳を結ぶ稜線上の鞍部ということで、『乗越』の名前が付いている。だが、中央アルプスの主稜線は、宝剣岳、宝剣山荘、中岳を結ぶ稜線で、こことはほんの少しだがずれている。
 目の前に宝剣山荘と天狗荘という2つの山小屋、その奥には中岳が手の届くように見えている。これを見て、姫君が「中岳まで行こうか」という。ここまで登り上がって、いっぺんに自信が付いたようだ。
 でも、ここまで登られるようになっただけで充分である。来年への道が開けてきたからだ。
 ここで遅がけの昼食を摂り、14時頃、下山を始めた。
 帰りは遊歩道の反対側を通り、14時50分頃、ロープウェイの乗場へ返ってきた。
 帰りのロープウェイを待つ間、駅員から聞いた話では、今年の紅葉の期間は短く、10月5日には終わっていたとのことだった。
 このように紅葉には間に合わなかったが、姫君の復帰のめどがついたことは紅葉の空振りを補って余りあるもので、本日の収穫は充分過ぎるものがあったといえる。
木曽駒6505

信書の雑な扱いに怒り - 2016.10.17 Mon

 昨年、自宅マンションの1階に設置してある集合郵便受けが変わった。
 これにより従来は小型南京錠を各自で取り付けていたのが、カギ付きの郵便受けに変わった。横幅は変わらないが、縦サイズが小さくなった。これにより恰好が良くなったが、その分、収容量は減少した。このため、何ヶ月も郵便物を溜めるには不向きとなった。
 今夏の北海道旅行は長期にわたるため、郵便物を溜めて置くには容量が不足するという問題が出てきた。
 この打開策はないかと郵便局に問い合わせると、次のような回答を得た。
 『旅行や帰省など、長期間ご不在となる場合は、不在となる期間(最長30日)をあらかじめ不在届により届けていただければ、その期間内に到着した郵便物等は、届出期間終了後に配達にお伺いします』と、いうものだった。
 最長30日というのがネックとなるので、これに対抗する方策があるかを尋ねたところ、『再度、旅行先で不在届をその土地にある郵便局に提出していただければ30日の延長が可能です』との返事であった。
 このため、6月20日に最寄りの郵便局から『6月26日から7月25日』の間は不在になる旨を届け出てから出発した。
 ちなみに、北海道でも7月22日に『7月26日から8月25日』の不在を、また、8月24日に『8月26日から9月25日』の不在を、何れも自宅を所管する集配局である名古屋北郵便局宛に届出しておいた。
 これで旅行中の郵便物の配達は行われないので安心であるが、問題は郵便局扱い以外の会社(ヤマト運輸など)による配達物である。これらはダイレクトメールが中心で、仮に離散したとしても問題はないため、郵便受けが満杯になったら抜き取ってもらうことを隣家に頼んでおいた。
 9月15日の朝、ほぼ3ヶ月ぶりに自宅に帰ってきた。
 玄関を入ると、ここの新聞受けに2枚の不在票が挟み込まれていた。
 不在票とは、郵便物を届けたが不在だったので持ち帰ったが、定めのある期間は局で保管するから、その期間中に配達に都合のよい日を連絡して欲しいという連絡票のことである。
 これを見て、小包、すなわち『ユーパック』は郵便物にはならないのかと思って、もう1枚の不在票を確認すると、これは小包ではなく簡易書留郵便物だった。
 小包が除外だということは、例えば、建前の1ヶ月間の保存に耐えられないものもあるので、局預かりからは除外も充分に考えられる。しかし、簡易書留は紛れもない郵便物である。これが配達されたとは奇異な感じがしたが、何はさておき、姫君の診察を優先、整形外科医院へ行くことにした。
 ここから帰って改めて郵便受けを確認すると、ダイレクトメール以外の郵便物もたくさん入っているではないか。
 北海道からの通知した不在届が何かの間違いで届いていなかったかと思い、郵便物の消印を確認をしてみると、名古屋で届け出ておいた不在期間の7月中に配達されたものも何通もあった。
 これでは、何も不在届を出していても何の役にも立たなかったことになる。
 私は短気なだけに、当然、怒り心頭に発したことはいうまでもない。早速、郵便局へ架電して猛烈に抗議をする。
 すると、その日の夕刻、名古屋北郵便局の集配課長と課長代理の2人が訪問、局預かりになっていた郵便物を持参すると共に謝罪していった。
 このとき、2人によって届けられた郵便物は少なく、大半のそれは既に届いていた。
 これでは何のための預かり制度であるか分からないし、それより何よりも郵便局内で郵便物の扱いが如何に粗雑に扱われているかを垣間見した思いであった。
 このような見識に欠ける郵便局という民間会社に信書を扱わせて、果たして、秘密が守られるものであろうか、はなはだ疑問が残る。
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