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2017-05

カジノ解禁法案可決 - 2016.12.05 Mon

 12月2日、カジノを含む統合型リゾート(IR)の整備を政府に促す『カジノ解禁法案』が衆議院の内閣委員会で可決されたと報じられた。
 これまで、たびたび、話題に上がっていたカジノという賭博場が日本でも公に認められる方向に1歩を踏み出したことになる。
 賭博行為は、これまで反社会的行為であるとして禁止されてきた。これを企てた者ならびに参加した者は刑事罰が下される。
 とはいうものの、これは表向きのことで、政府ならびに地方公共団体が主催する賭博は悪いことではないと認められてきた。これら公認賭博は、宝くじに始まり、競輪、競馬、競艇などなどがある。
 また、毛色の変わった賭博としてはパチンコがあるが、これは屁理屈を付けて、賭博ではないと認められていて、大手を振って民間業者の手で運営されている。
 こうしてみると、日本では実質的には賭博は適法として公に認められている部分も多いが、名目的には違法として処罰の対象になっている。そして違法として取りしまりの対象になる賭博は、大きいところでは闇カジノを始め、違法性集団の関与する賭博、小さいところではサラリーマンの麻雀まで、ごく日常的に行われていることが多い。
 これはこの国特有のダブルスタンダードであるが、私たち国民は痛痒を感じない問題だとして、深く考えずに現在まで来ている。
 憲法でさえも平気で2つの基準があっても何の問題もないと考える国民性であり、このような瑣末な問題にいちいち目くじらを立てることはありえないことであろう。
 カジノという賭博場を考えてみよう。
 私はテレビ、映画で得た知識を持ち合わせているに過ぎないが、カジノはスロットマシンから始まり、ルーレット、カードなどを使用して賭博を行っている場所であるらしい。
 スロットマシンは、パチンコ屋内でも設置してあるので理解できている。
 ルーレットは、昔のチンチロリンという原始的なものや、映画に出てくる丁半博打を複雑化、高級化したものらしい。
 また、カードはトランプ博打で、私たちでも正月に家族で遊んだ経験のある者も多いことだろう。
 雰囲気は、シャンデリア輝く豪華な場所に、綺麗に着飾った紳士淑女が集まって、優雅に賭けて遊ぶというものが想像できるが、実態はドロドロとした慾と金がまみれる鉄火場に相違なさそうだ。
 一般観光客がスロットで遊ぶのは、私たちがパチンコ屋に行って遊ぶのと大差ないだろうが、ハイソサエティの人が大きなレイトで遊ぶ場合を想像してみよう。
 大きく勝ち、小富豪になって帰る人もあろうが、スッテンテンになるのならまだしも、大きな借金を抱えて帰る人もいるだろう。
 後者の場合、店側は当然のこととして回収を目論む。
 客側は、後日、スンナリと借りを返す人もいるだろうが、反対に支払わない人も出てくるのが人の世の常である。
 このような際、後者に対して甘い顔ばかりしていれば、当然、店側は立ちいかなくなるので、取り立ては厳しくせざるを得ず、いろいろとトラブルも発生するだろう。このトラブルを起こさせない取り立てには、それ相応の手段を用いるだろうし、これを生業(なりわい)にする取り立て業者に任せることになろう。こういうところから鉄火場(カジノ)業者と反社会勢力との結び付きは始まり、次第に持ちつ持たれつという関係になって行くのだと思う。
 少額の金を賭けるサラリーマンの麻雀が違法と認定される社会で、10億円年末ジャンボ宝くじに狂奔する人がいたり、今年の最後の重賞レースの有馬記念に幾ら賭けると大声で叫ぶ人がいる不思議さは看過できない。
 宝くじに当たることを夢見る人、有馬記念にうつつを抜かす人らには、怠惰浪費の弊風は言うに及ばず、勤労の美風などは、時代遅れの最たるものでバカ気ていると思う人ばかりであろう。
 仮に、このように考える人々が多ければ、総ての賭けは公認とすればよい。
 ある種の賭けはよくて、ある種の賭けは悪いというややこしいことは、私のように末期高齢者になると分からなくなるので、わずらわしい限りである。
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 本ブログは、11月4日以降、更新を怠っていたため、ペナルティとして主宰者によって広告を強制的に付けられた。
 このため、何かを投稿しなくてはならないが、最近は山へも行っておらず、材料に事欠くことになった。
 時事問題については、70歳を越えて死んでいくのを待つばかりの身では、あまり書きたくはないが、この期に及んではいたしかたなく、昨日の新聞記事に基づいて書いてみた。この問題、私なりには賛否はあるが、これについては直接に言及しないことにした。

北海道車旅日記を上梓 - 2016.11.05 Sat

 北海道から帰って、ブログの整理に1ヶ月ばかりかかった。
 この整理を行っていると、旅の期間、82日間を休まずに書き続けた日記がかなりの量になったことに改めて気付き、これをまとめて本にできないかという慾が出てきた。
 そのときは正確な文字数は分からなかった。しかし、日記をワードの基本形であるA4版、1行の文字数35文字、行数は36行に換算すると、1日当たり最初の頃は1枚程度のボリュームであったものが、その後、旅に慣れ、また、タブレットの入力操作にも慣れてくると次第に増えて、これが2枚、あるときは3枚と増えていた。1日の平均をA4版換算で1.2枚と仮定すると、82日間で12万字になる。こうしてみると、3ヶ月弱の毎日の積み重ねは、やはりたいしたものだ。少なく見積もっても10万字は書き綴ったことになる。
 先の私の処女出版、『私たちの山の履歴書』の文字総数は20万字弱である。ということは、今回の日記を本にすると半分程度のボリュームはあることになるので、本になりそうだと考えた。
 そこで、前の本はB5判だったものを、今般はA5版にサイズを落として、これの2段組を基本形にすることに決める。また、B5版からA5版に縮小したのに伴い、文字サイズも前の10.5ポイントから10ポイントに落として、体裁を整えた。
 ブログは横書き、本は縦書きである。
 この矛盾は、横書きのものをコピーして縦書きフォームの本の原稿用紙に張り付ければ、縦書きの2段組にいとも簡単に書き直すことができる。
 だが、このままでは見た目が悪いので、日記のような体裁にしなくてはならない。生まれてこの方、日記などは付けたことはない。したがって、日記帳も見たことがないので、どうしたらよいかも分からない。小学生の頃の絵日記には日付と天気が別書きになっていたような記憶があるので、これに従う。また、車旅で、毎日、毎日、車を走らせ、走行距離を記録していたので、これも最初のほうに持ってきて、分かりやすく表示をすることにした。
 なお、小学校時代の絵日記の記憶と偉そうにいったが、実はこれについて書く資格はない。それには、こんなエピソードがある。
 小学2年の夏休みに、絵日記を書く宿題が出た。
 夏休みが終わって学校へ行くと、宿題の提出を求められたが、絵日記など1日も書いておらず、出すことができない。どうしたかの先生の問いに、小心な私は「家に忘れてきました」と嘘をついてその場を取り繕った。
 家に帰って、「ワッ」と泣きながら母親に事の顛末を説明、そのまま寝てしまった。
 翌朝、起床すると絵日記が出来ていた。夜遅くまで掛かって、母と姉が私の夏休みの生活を絵日記にしておいてくれた。
 もう1つ、やらなくてはならないことが残っている。
 それは、ブログでは姫君を家来の三太夫がお守りして山へ行くという設定になっている。実態はこのままであるのだが、改めて本ともなると、この背景は相応しくないように思える。このため、これら人称を変える必要がある。
 これがなかなか大変な作業であった。きちんと読み返しているつもりではあるが、これを読み飛ばしている。いつも姫君と書いているので読んでも違和感はなく、そのまま読み飛ばしてしまうらしい。
 まだまだ、探せば手直しする部分は出てくるだろうが、適当な所で折り合いを付けて校了とする。この結果、文字総数は16万2783文字、表題および奥付けを含めた頁総数260頁という体裁になった。
 次は、表紙である。
 私は絵心というものはまったく持ち合わせていないので、自分で作るといっても手書きは出来ず、必然的に写真になる。北海道で撮った写真は、姫君と2人で1万枚以上もあるので、簡単だと思っていたが、これがなかなかどうして本の表紙として適当だと思えるものがない。
 散々に悩んだ末、十勝の農村風景に決める。
 これに題名を入れてみると、結構、落ち着いた表紙になっていたので満足できた。
 1部だけ、印刷して製本してみた。
 以前、写真集を作成したとき、1度、自分で行ったが、このときは綴じ目が破裂したことがあったので、今回は背表紙部分に糸を入れて補強したが、これでどれだけ強度が増したかは今のところは分からない。
 とはいえ、260頁という厚手印刷物の製本は初めての経験だったので、果たして製本ができるか否か危ぶんだが、まあそれなりの体裁のものに仕上がった。
 あとは、これを大量に印刷および製本を如何にすべきかという問題というか、最大の難関が待ち受けている。これには資本を必要とするが、この出処がないので思案のしどころだ。
 この問題を何とかクリうして本当の意味での上梓に漕ぎつけたいと思っている。
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信書の雑な扱いに怒り - 2016.10.17 Mon

 昨年、自宅マンションの1階に設置してある集合郵便受けが変わった。
 これにより従来は小型南京錠を各自で取り付けていたのが、カギ付きの郵便受けに変わった。横幅は変わらないが、縦サイズが小さくなった。これにより恰好が良くなったが、その分、収容量は減少した。このため、何ヶ月も郵便物を溜めるには不向きとなった。
 今夏の北海道旅行は長期にわたるため、郵便物を溜めて置くには容量が不足するという問題が出てきた。
 この打開策はないかと郵便局に問い合わせると、次のような回答を得た。
 『旅行や帰省など、長期間ご不在となる場合は、不在となる期間(最長30日)をあらかじめ不在届により届けていただければ、その期間内に到着した郵便物等は、届出期間終了後に配達にお伺いします』と、いうものだった。
 最長30日というのがネックとなるので、これに対抗する方策があるかを尋ねたところ、『再度、旅行先で不在届をその土地にある郵便局に提出していただければ30日の延長が可能です』との返事であった。
 このため、6月20日に最寄りの郵便局から『6月26日から7月25日』の間は不在になる旨を届け出てから出発した。
 ちなみに、北海道でも7月22日に『7月26日から8月25日』の不在を、また、8月24日に『8月26日から9月25日』の不在を、何れも自宅を所管する集配局である名古屋北郵便局宛に届出しておいた。
 これで旅行中の郵便物の配達は行われないので安心であるが、問題は郵便局扱い以外の会社(ヤマト運輸など)による配達物である。これらはダイレクトメールが中心で、仮に離散したとしても問題はないため、郵便受けが満杯になったら抜き取ってもらうことを隣家に頼んでおいた。
 9月15日の朝、ほぼ3ヶ月ぶりに自宅に帰ってきた。
 玄関を入ると、ここの新聞受けに2枚の不在票が挟み込まれていた。
 不在票とは、郵便物を届けたが不在だったので持ち帰ったが、定めのある期間は局で保管するから、その期間中に配達に都合のよい日を連絡して欲しいという連絡票のことである。
 これを見て、小包、すなわち『ユーパック』は郵便物にはならないのかと思って、もう1枚の不在票を確認すると、これは小包ではなく簡易書留郵便物だった。
 小包が除外だということは、例えば、建前の1ヶ月間の保存に耐えられないものもあるので、局預かりからは除外も充分に考えられる。しかし、簡易書留は紛れもない郵便物である。これが配達されたとは奇異な感じがしたが、何はさておき、姫君の診察を優先、整形外科医院へ行くことにした。
 ここから帰って改めて郵便受けを確認すると、ダイレクトメール以外の郵便物もたくさん入っているではないか。
 北海道からの通知した不在届が何かの間違いで届いていなかったかと思い、郵便物の消印を確認をしてみると、名古屋で届け出ておいた不在期間の7月中に配達されたものも何通もあった。
 これでは、何も不在届を出していても何の役にも立たなかったことになる。
 私は短気なだけに、当然、怒り心頭に発したことはいうまでもない。早速、郵便局へ架電して猛烈に抗議をする。
 すると、その日の夕刻、名古屋北郵便局の集配課長と課長代理の2人が訪問、局預かりになっていた郵便物を持参すると共に謝罪していった。
 このとき、2人によって届けられた郵便物は少なく、大半のそれは既に届いていた。
 これでは何のための預かり制度であるか分からないし、それより何よりも郵便局内で郵便物の扱いが如何に粗雑に扱われているかを垣間見した思いであった。
 このような見識に欠ける郵便局という民間会社に信書を扱わせて、果たして、秘密が守られるものであろうか、はなはだ疑問が残る。
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ハッチョウトンボ - 2016.06.03 Fri

雌に初めて出合う
 この1週間ばかりは、昨年11月の九州旅行のフォトブックの作成に掛りきっていた。これも昨日をもってひと段落の運びとなった。このため、本日は久しぶりに姫君孝行を兼ねて何処かへ出かけようと思っていた。
 さて、出かける先であるが、姫君の身体にあまり負担がかからない場所ともなると思ったほどは多くはない。それでも頭をひねった末、思い付いたのが春日井市の植物園ならびに少年自然の家の一帯である。
 ここには築水池という池があって、この周囲にササユリなどの山野草が咲くので、毎年、1度は訪れている。先月の22日にも、『もう、そろそろ……』と訪れたが、このときはまだ早く、収穫はゼロに終わった。このため、本日こそはとの思いもあってのことだった。
 この日、朝方は肌寒く、朝の散歩には長袖のカーデガンをはおったが、日が登るにしたがって暖かくなり、ここに到着した10時頃には半袖のシャツ1枚でも充分であった。
 歩き始めて直ぐに、姫君がツユクサを見付け、写真を撮るように勧められるが、子供の頃から見慣れている花ということもあって、私の中では雑草に近い位置付けである。こんな事情もあって、ここは素通り。ササユリに早く出合いたいとの思いで足を速める。
 この思いとは裏腹に、ササユリはなかなか顔を見せなかった。『本日はダメか?』と思い始めたとき、姫君が「あそこに咲いているわよ」と本日第1号のササユリを見付ける。最初が見付かると、次は案外と簡単に見付かるという何時ものパターンで、次から次へとお出ましになる。これで目的はほぼ達成したことになり、あとは気楽である。
 次の花は、トキソウである。これは咲く場所が決まっているので、その場所に行けばよいので探す手間がかからず、気が楽である。
 その場所にやってきたが、目指す花はない。昨年までは、ここに来ればトキソウのほうで、「見てくれ。見てくれ」とでもいうように、皆が一斉に私たちのほうを見てくれるので探すことはなかった。でも本日は、目を凝らして地面を舐めるように見ていくと、1つ、2つと見付かるが、昨年までのような数ではない。原因は不詳であるが、ここのトキソウはほぼ全滅したかのようである。
 この状態では、もう1つの花、カキランも望み薄かもしれないと姫君と話し合っていると、これを小耳に挟んだ通りかかった人が、「この先に咲いていましたよ」と教えてくれる。これを聞き、ここのトキソウの撮影は後回しにして、カキランのほうを先に済ますことにする。
 歩いていくと、大口径のカメラを持った老人が何もない所を眺めていた。彼の見ているものが何かの推定はついたので、「ハッチョウトンボがいますか?」と尋ねると、「2匹います」との返事であった。「どこ?」と尋ねると、「自分で見付けたほうが喜びは倍増ですから、自分で見付けてください」といい、具体的な場所は教えてくれなかった。
 ハッチョウトンボは、目玉の先から尻尾までが1円玉にすっぽりと収まるという極小のトンボである。自分で探せといわれても、なかなか見付け出せるものではない。彼の視線や言葉の端々をヒントにして場所を狭めていき、やっと見付けることができた。
 いざ撮影となるが、どうもハッキリと見えない。一度、写したものを拡大すると、トンボの目玉の間に細い草が邪魔していることが分かる。場所を変えなくてはならないが、通路脇にはロープが張ってあるので、移動するといっても制約があって上手くいかなかった。
 そのうちにトンボが2匹になったと思うと、彼らは激しく追っかけっこを始める。2匹とも胴体が赤色であることから雄同士である。どうも縄張り争いをしているようだ。
 ハッチョウトンボは動きの鈍いトンボであることは、これまでの撮影を通じて分かっている。しかし、目の前で飛び交うトンボは、これまでのトンボとは異なり、その動きを目で追うことが困難であるほど素早い動きである。昔のゼロ戦の空中戦さながらで、これには些か驚かされた。
 この空中戦を暫く眺めていたが、なかなか決着はつかず、これが何時まで続くか分からないので、ここでの撮影は早々に切り上げることにする。
 そして、カキランである。この花は通路脇に、これでもか、これでもかとでもいうかのように群れるように咲いているのがこれまでだったが、今年は様相を異にしていた。通路脇には殆どなく、5mか、それ以上も離れた場所に咲いているだけだった。小さい花であるので、これでは撮影にならない。それでも通路脇を丹念に探すと、辛うじて1つだけだが見付かった。
 最後にトキソウの所に戻って、これを写して終わりにしようと、今来た道を戻り始める。
 ハッチョウトンボの所にやってきた。戦いは終わったようで、静まり返っていた。先ほどの場所に目を凝らすと、奇妙な形に組み合った2匹のトンボが目に入った。交尾をしていると直感してカメラを向けるが、ピントを合わせる間もなくシャッターを押していた。ちなみに、動く被写体はオートフォーカスで写すことが多いが、前述のようにこのトンボは極小すぎて、カメラが被写体だと認識しなない。このため、マニュアルで写す必要があるのだ。
 もう1枚と思ったときには2匹は身体を離していた。トンボの交尾の時間がどのくらいかのものかは分からないが、気付いてから終わるまでの時間は非常に短いものであった。彼らの交尾も人間の性交渉と同じように1度終えたら、それで終わりであろうことから、惜しいことをしたと返すがえすも残念であった。
 このように私は残念であったが、とうのトンボは十分に満ち足りたのか、2匹とも葉っぱに止まってジッと休んでいた。その姿は、今までの行為の余韻に浸っているかのように映ったのは、私の品性が嫌しきためだったか。
 この2匹は、私たちがここを立ち去るまで、同じ姿勢のままでじっとして動かなかったので、ジックリと撮影することができ、作品の出来も先ず満足できるものであった。
 こうして十分な成果を上げることができ、満足感に包まれて駐車場に戻ったときには12時15分であった。
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フォトブックの制作 - 2016.03.02 Wed

使いこなせるソフトに遭遇
 古人は『月日は百代の過客』というが、最近の客は気が短いのか、直ぐに旅立っていってしまうようである。それが証拠に、ついこの間が正月であったのが、早3月になっている。これでは私が旅立つのを急かされているようで、まだ、この世に多少の未練が残る私としては気になって仕方がない。
 正月明けの1月8日に印刷および製本を業者に持ち込んだのは先に述べたとおりであるが、その後の展開は遅々として進んでいない。もう少し丁寧に説明すると、印刷は10日くらいで刷り上がり、製本業者の手に移ったらしい。しかし、ここで動きは停まってしまう。再三にわたって督促はしているが、ロットの小さい私の本などにかまってもらえないようで、なかなか思うようにはことが運ばない。製本業者にいわせると、3月いっぱいは年度末で多忙のために私の本が完成するのは早くとも4月になってからとのことだ。こちらも『最近の過客』であって欲しいと願うが、非力な私ではこの現実は如何とも変え難い。
 この本を製作するにあたり、当初、印刷も自分で行う予定であったので、昨年の11月に廉価品のプリンタを購入してこれに備えた。
 プリンタは、ヒューレット・パッカ―(HP)社の製品で、準複合機という高性能であるのにかかわらず、1台2500円という信じられない価格であった。この安さのため、本のページ数(文字数)が多いので、途中、壊れることも想定されるために2台を手当てしておいたという経緯があった。結局、このプリンタは目的を果たさずに終わり、現在、普段使いとして購入したうちの1台を細々と使用しているにすぎない。
 しかし、このプリンタが思わぬ波及効果をもたらし、私としては、支払った金員以上に得たものは大きかった。
 それは、このプリンタを作動するために付属していたソフトウェア(ソフト)をパソコンにインストールすると、関連ソフト(HP Photo Creations)が入っていたことだ。
 本の原稿を印刷・製本に出してから暇になったので、このソフトを開いてみた。すると、このソフトで、プリント、コラージュ、カード、カレンダー、フォトブック、ビジネス、ギフトの制作が可能という優れ物であった。
 これまでも、この手のものを制作したくてパソコンの先生に相談したところ、プロ仕様のソフト(Corel Photo Album)をもらった。だが、私のパソコンの知識では使いこなすことはできずにいたので、これは『宝の持ち腐れ』という情けない状態であった。
 このような経緯もあったので、HP社のソフトに出合ったのは願ってもないことであった。
 早速、今年(2016年)の卓上カレンダーを制作してみた。最初にこれを選んだのは、昨年使用していた卓上カレンダーのホルダが余っていたからだ。
 最初は要領が掴めずに苦労したこともあったが、これも慣れるにしたがい徐々に使いこなせるようになった。
 次に取り組んだのが、コラージュの手法を駆使したフォトブックの作成である。ちなみに、コラージュとは、張り絵のように写真を組み合わせる手法を指す言葉であるらしい。
 最初に手掛けたのは、愛車ヨレヨレ号を制作して、初めての遠出になった『九州の百名山の旅』の1週間分の写真帳である。
 これに満足して、次に行ったのが『九州・四国の百名山の旅』の2週間分であった。
 これを昨日までかかって完成にこぎつけるが、完成と言っても、まだ印刷を終えたという段階のものに過ぎない。したがって、本当の完成には、これを『どのように製本するか』という難問が待ち構えている。これについては、案すらも固まっておらず、今後の課題である。
 このような形式のフォトブックを作るとなると、デジタルカメラで写真を撮りだした2005年からだけでも膨大な量になり、コツコツと消化したとしても何年かかるか、気の遠くなる作業となりそうだ。
 こうなると前述のお客さんに早く帰られると、完成がおぼつかず、私としては困るという事情がある。おもてなしの精神で歓待、できるかぎり長くいてもらえるようにしなくてはと思う最近である。
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