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2017-05

御座峰行き余話 - 2016.05.13 Fri

ウンから見放され、ウンが付く
 5月12日、伊吹山から派生する尾根のなかでも多くの花が咲くことで有名な伊吹北尾根を、北側の国見峠から御座峰までの3キロメートル余を歩いた。
天気予報では朝から晴れ、ここへの道中では予報どおりであった。しかし、旧春日村に入って国見岳の辺りが見えるようになると、その辺りだけは白い雲に取り付かれていて、少し嫌な予感がした。登山口の峠に到着すると、曇りで肌寒いくらいで、最初からカッパを着ることを考えたくらいだった。
 本日の目的は、ヤマシャクヤクとヤマトグサの鑑賞だが、はたして出合うことができるか否かは微妙だと思っていた。これまでは姫君が見付けて、私が写真に撮るという大まかな役割分担できていたが、彼女の同道が得られないのでは確率は半分以下、いや1割程度であろうか。
 下のほうではチゴユリが所々で顔を見せたが、花は下を向いた半開き状態のものだったので、写真に残すほどではないとの思いが強く、横目で眺めるだけで立ち止まることもなく通り過ぎていた。こういう行動を取らせたのには、冷たい風が吹いていたことも一因であった。
 国見岳に近付いた頃には、頭上には青空が見えるようになり、目前のガスも薄くなって、幻想的な風景になってきて、頭の中では『写真を撮れ』という声と、『面倒臭い。もっといい条件で撮ればよい』という声の葛藤があったが、結局は後者が勝り、ザックを降ろすことなく歩き続け、結果的にはシャッターチャンスを逃してしまった。このような状況を振り返ってみると、私は写真家になる素養に欠けることが一目瞭然である。
 以前、姫君がヤマトグサを見付けた場所にやってきた。先ずは、見付けださなくてはと思って緊張するが、小さい花であることに加えて、この草自体が普通の雑草と変わらず、これといった特徴というものはないので、探し出すといっても、偶然の出合いを期待するだけである。暫くは、辺りに注意を払っていたが、そう上手く見付け出すことができるわけではなく、直ぐに諦めてしまう。
 先ほど、好転の兆しを見せた天気も、何時しか青空は消えて雲が多く、低く立ち込めてきた。これと共に寒さを、再び感じるようになり、これも何だかヤマトグサで空振りしたせいではないかと思えた。
 もう1つのヤマシャクヤクも一向に姿を現さない。
 この花は大輪であり、物を探し出すことを不得手としている私でも、探し出せる数少ない花である。これまでに咲いている場所とか、葉っぱを見た場所では立ち止まってユックリと視線を辺りに這わせてはみるが、結果は思わしいものではなかった。
 御座峰の近くまでやってきた頃には天気は完全に回復、先ほどまでは雲が立ち込めていたのが嘘のように感じる。何しろ、頭上は青一色、白い雲1つも見ることはできなくなっていた。こうなると気分は軽くなるが、収穫はと考えると、得るものは何もなく、暗澹たる気分にさせられる。
 こんな複雑な思いで御座峰頂上直下の急登を喘ぎあえぎ登っていると、軽やかな足取りで夫婦連れが降りてくるのに出会う。
 彼らと情報交換を行う。とはいっても、私の情報は実質的に何もないので、情報を交換するのではなく、一方的にもらうだけであったのが後ろめたかったが……。
 すると、彼らはヤマシャクヤクと出合っているとのことだった。花の数にすると10以上のものを見たとのことだった。これには、些か、ショックを受けた。それも小さい花ならいざ知らず、誰が見ても直ぐ分かる花をである。1つ、2つなら見落すことは考えられるが、揃いもそろって10全部を見落すとは目がおかしくなったか、頭がそうなったかと思わざるを得ないほどだった。
 話の途中、女性のほうが、「1度、お会いしている」と言い出す。私には記憶はないので、「何処で……」と問い返すと、「それ、キンランのとき……」との答えを聞き、記憶が戻ってくる。先日、キンランを撮影していると、彼らもこれを見にきたのだと……。そして、今年は咲いていなかったが、以前、ギンランが咲いていた場所を案内してもらったことの礼を改めて述べていた。
 彼らの伊吹北尾根での収穫は、このヤマシャクヤクだけではなかった。最近、鈴鹿ではめっきりと出合うことが少なくなったヤマブキソウも見たとのことだった。
 「何処で?」との問いに対して、「御座峰の頂上に咲いていた」との答えだった。
 ここの頂上は笹を丸く切り開いた所で、およそ花が咲くような環境ではないので、このことを言うと、「頂上から踏み跡があるので、そこを入っていった所」との答えが返ってきた。
 山歩きをしていると、意味のない所に踏み跡が付いていることがある。こういう所は女性が用足しに使う場所ということが多い。このことをいうと、「それは知らないが、そこに間違いない」とのことだった。この踏み跡の存在は知っていたが、そうと察していたので、これまでに足を踏み入れたことはなかった。
 何れにしても、本日の収穫はこれまでに再三にわたって見ているイチリンソウの他は小物、それも今年になって見たものばかりとなるとヤマブキソウのニュースは朗報であった。
 頂上に到着すると、ザックを担いだままで例の踏み跡へと入っていった。この踏み跡は少し先のほうまで続いており、途中で木の枝によって自然の行き止まりになっていた。ここまで来てみたが、ヤマブキソウは見付からなかった。彼女が見たというからには、この辺りの何れかにあるはずだと、今、入ってきた道を反対に戻り始めた。すると、通路の右手に数輪の黄色の花が目に止まった。『あった!』と、内心、大喜びであった。
 写真を撮るには、ここへ近寄らなければならない。邪魔な木の枝を押し広げて花の前に立つ。花は紛れもなくヤマブキソウであった。そこには3つが並んで咲いているもの、その隣には3つ、4つが不規則に固まっているものもあった。1輪だけだと思っていたのが、これは嬉しい誤算でもあった。
 これを見て、大急ぎでザックを降ろして、中からカメラと三脚を取り出し、撮影に取り掛かる。この辺りは未明まで雨が降っていたのか、地面が濡れているため、膝を降ろすことは憚られるので、立ち腰のままの不自由な姿勢でカメラのファインダーを眺めて操作していると、何かが臭ってくる。
 最初のうちは獣の糞でもあるのかと思い、撮影に没頭していた。しかし、段々と臭いがきつくなってくる感じで、近くにこれがあることは確かだと思い、念のため、ザックを持ち上げてみると、その下に何と人糞があるではないか。それもザックに押しつぶされた跡がクッキリと付いていた。
 私自身は腸が弱いためだと思うが、野糞の類いの話には事を欠くことはない。しかし、他人の野糞に遭遇したこと、その直接的な被害を蒙ったことはこれまでになく、こんなことは初めてのことだった。
 こうなると撮影もクソもないというは当然で、早々にザックを掴んで頂上広場に戻る。とにかく、汚れを取らなければならない。ティッシュペーパーで拭き取るが、こんなものでは役に立たない。ここで脱いだ長袖のシャツを雑巾代わりにしようかとも考えたが、これはモッタイないので、はめていた軍手で行うことにした。
 拭き取りは終るが、まだ臭うような気がしてならない。鼻を働かせてみると、そうでもないが、気分的にはプンプンと臭ってくる感じを払拭することできない。ザックを捨てていくことはできないので、仕方なくこれを担いで頂上の少し先まで行ってみることにした。
 すると、何ということだろうか。ヤマブキソウなどはいくらでもあるではないか。こんなことならあの場所で撮ることはなかったと悔やんでみるが、これを引かれ者の小唄とでもいうのだろう。
000 ヤマブキソウ3連
《これだけ綺麗に並んだヤマブキソウを見たことはなく、大喜びだった》
000 ヤマブキソウ1輪
《あとからジックリと見ると、葉っぱの上に溜まっているのも人糞かとも思えてくる》

● COMMENT ●

やー、ひどい目に遭いましたね。
人間、自然の摂理には抗えないので、やむをえずキジ撃ちをしたくなることもあります。
必ずしもほめられたことではありませんが、私はそういう時は小さなシャベルで穴を掘り、キジのあと土を埋め戻してきます。
常に小さなシャベルをザックに入れて持ち歩いています。
最近は使う機会はほとんどありませんが・・・・。

 モタさん、おはようございます。
 公衆便所だとは分かっていたので、もう少し注意すべきだったと反省しております。でも、花が見つかったという喜びで舞い上がり、注意力が散漫になっていたのだと思われます。でも、帰ってからザックを洗濯機で洗ったので、ウンが付く前以上に綺麗になりました。これで運が付きそうです。
 話は変わるが、始末用のシャベル持参の登山者というのは初めて知りました。モタさんのお行儀の良さはお育ちのせいでしょう。


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