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2017-05

草木(くさき・830m) - 2016.05.05 Thu

ヤマシャクヤクに対面
 4月下旬(23日~29日)に茨城県ならびに千葉県へ旅をしたが、この間、気になっていたことがある。それはヤマシャクヤクの時期を逃してしまうのではないかということだった。
 そこで、5月1日は家庭サービスに費やして、翌2日に満を持して、この花が咲くといわれる孫太尾根(藤原岳)にいく予定を組む。
 起床後、直ちに朝食を済ませて車に飛び乗ったのが6時30分前。一路、鈴鹿へと車を走らせる。この時間帯だと車も好いているので順調に走ることができ、1時間ちょっとで登山口である北勢町新町の墓地の前の駐車場に到着していた。
 この日は月曜日。平日とはいってもゴールデンウィークの最中であるだけに、満車を予想していたが、先客は1台のみ。駐車場はガラガラの状態であった。
 本日、早出したのは、この駐車は魏の満車を見越してのことであり、こんな状態が分かっていれば、もう少し遅く出てくればよかったとの思いを抱くと共に、嫌な予感が脳裏をかすめた。それは、『花は既に終わってしまったのではないか』というものだった。
 花が終わっていても、いたしかたないこと。とにかく、予定どおりに登ってみることだと萎えそうになる気力を奮い立たせて身支度に取り掛かる。
00000 草木
 7時55分、駐車場を後にして新町の上水道施設の横を通り抜けて登山道へと足を踏み入れる。
 間もなく、道は尾根に乗る。この尾根は、一見したところではなだらかな登り勾配であるが、最初の内はまだしも、登るにしたがい足への負担がジワッと増してくる。
 5分くらい歩くと、炭焼窯の跡を右手に見るが、ここからは勾配は更にきつくなる。以前は真っ直ぐ登り上がっていたが、今では小さなジグザグ道が出来上がっている。このため、以前よりは楽になっているはずだが、これに反比例するように私の脚力が衰えているため、大変さは従前と何ら変わらない苦しい区間である。
 ここを必死で登っていると、何時もより暑く感じ、現実にも薄っすらと汗ばんでくる。出発のとき、長袖のスポーツシャツを着るか否かを迷った末、これを羽織って歩き始めたが、こんなに早く体温調整が必要になるとは判断ミスだったと思いながらも『神武神社殿跡』で立ち止まり、上1枚を脱いで半袖のTシャツ姿になる。
 ちなみに、ここには神武神社の社殿が建てられ、新町の氏神となっていたらしいが、このような山中では参拝もままならない人が増えたのだろう、何時の頃かは不詳ながら、神社は人里に降ろされたとのことで、現在、この神社があったことを示す小さい石柱が立てられている。現在、藤原岳の主要登山道の1つである大貝戸道(表登山道)の登山口に神武神社がある。これが、ここから移された神武神社だと私は推定しているが、これを否定するような材料も多くあり、異なることも考えられる。
 話を元に戻す。ここからも更にきつい傾斜が続くが、しばらくすると孫太尾根に乗って、ここで急勾配からは解消される。この尾根に乗る場所だが、神武西峰(387m)と同東峰(ほぼ同程度の標高)の鞍部である。
 ここから藤原岳に至るまでずっとこの尾根が通じており、この尾根を辿っていけば、自然に藤原岳に到達できる。また、この尾根上には顕著なピークが3つある。最初か、ただ今、述べた神武、次が丸山(標高640m強)、3番目が本日の最終目的地である草木(同830m強)、その次が多志田山(同965m)、そして最後が藤原岳(展望の丘・1140m強)という具合だ。ちなみに、藤原岳は、いろいろな頂の総称であり、藤原岳という名前のついた頂はない。これらいくつもある頂のうち、一般的に頂上と思われている、認知されている頂が展望の丘である。
 また、横道に脱線したが、孫太尾根に乗ってしまえば、勾配の緩急はあるにはあるが、概して歩き易く、『ここまでくれば……』とホッとする場所でもある。
 登山口からここまでは、植林、自然林を問わなければ、ずっと樹林の中であり、尾根に乗ったこの先も暫くは樹林の中を歩くことになる。
 暫く歩くと、左手が明るくなり、一段と高い場所に別の尾根があるように見える場所にやってきた。
 この尾根に登り上がると、左手は切れ落ちていて、その下には青川が見え、その先には銚子岳の大きな山塊が迫りくるようにせり出している。ここから花が始まるので、楽しくなる場所でもある。
 ここまで登り上がる手前で、タニギキョウを見付けたので、尾根に上がってザックの中からカメラを出して、これを片手に空身で降りて行き、見付けておいた花を撮影、上に戻って小さい花2、3種類を写すというミニ撮影会を開催することになる。
 ここからはカメラを外に出して、これを片手に目に付いた花を撮影しながら歩くことになるが、小さい地味な花ばかりで、収穫気分を味わうには些か不足であった。
 丸山の頂上直下にやってきた。ここからは灌木と岩の道を登り上がるのであるが、何時もとは少し様子が異なっていた。頭上には灌木から伸びた青葉に覆われている。このため、直接に太陽の光を浴びることはなく、この間からこぼれ落ちた光だけを受けることになり、何時もとは大きく様子が違っており、これが丸山へ登る道かと訝しく思うほどであった。
 現実でも何時もとは様子が異なる。どうも異なった道を歩いているようだ。だが、足元には明確な踏み跡が認められ、道を間違ったとも思えないのだが、どうも様子がおかしい。とはいっても、上へ、上へと登っていけば何れは丸山に着くので問題はないのだが、何時もとは別の道を歩いている変な感覚を味わうことになる。
 あるとき、ふと後ろを振り返ってみると、青川河川敷にあるキャンプ場がハッキリ見てとることができ、違った道を歩いていることがハッキリとした。いつもは、これより東の方を歩いているので、キャンプ場はこの辺りからは見ることがかなわないのだ。
 ちなみに、復路でこの道を再確認しようと試みたが、結局、見付け出すことはできずに、トラバースして何時もの道に戻り、降りてきたので、再確認は後日に行うことになった。いずれにしても、日頃登っている道が唯一のものだと思っていたが、もう1本、別の道が多くの人たちによって使われていることが分かり、これは新鮮な驚きでもあった。
 丸山の頂上を通過したのは、9時55分頃。登山口を出て、ちょうど2時間だった。
 丸山の頂上も頭の上には若葉が覆いかぶさっていて、何時もとは雰囲気が異なっており、先ほどの違った道のこともあって、何度も、何度も辺りを確認していた。
 丸山から草木までは、そう何度も歩いているわけではないので、細かいことは忘れてしまっていた。記憶では2、30分で到着したようなフワッとした覚えであるが、これは間違いであった。実際には、1時間10分を要し、草木への到着は11時05分頃であった。
 このように時間はかかったが、穏やかな登りであり、所々での花の撮影休憩もあるので、案外、楽にくることができた。
 だが、復路では、このような塩梅ではなかった。あそこが痛い、ここが悪いというものではないが、足の疲労は大きなものがあり、特に膝の衰えが顕著なようで、14位時05分、登山口に帰り着いたときにはガクガクになっていた。
 このように辛い状態に陥ったものの、収穫は多くのイチリンソウ、綺麗に開いたヤマシャクヤク、予定外のフデリンドウに加えてキンランにもお目に掛られるというオマケまであって充実感があり、体力的な問題を精神的に完全に埋め合わせてくれた山行きであった。
00000 ヤマシャクヤクその1

● COMMENT ●

三太夫さんにとっては勝手知ったる孫田尾根。
きれいに咲いたヤマシャクヤクが見られてよかったですね。

 モタさん、おはようございます。
 『勝手知ったる孫太尾根』といっても、ここで迷ったというトラウマがあって、丸山からの降りで登ってきた道で帰ろうと一度は探したものの、早々に諦めていつもの道で降りました。


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