丸山① (まるやま・650m) - 2014.03.10 Mon
失意が得意に変わる
本日、朝の散歩に出かけた折、冷たい空気にさらされて身震いするとともに、『今日でなくてよかった』と安堵する。このところ、『何時、出かけるか』をずっと思案していた鈴鹿の孫太尾根行きを、昨日、実行しておいたことが的を射ていたからだ。この裏には、本日の寒さでは仮に行ったとしても花が縮こまって満足の出来る結果にはならず、日延べしなくてはならなかったであろうという意味が込められていた。
孫太尾根は花の藤原岳から派生する尾根だけに季節ごとに種々の花が咲くことで有名である。このため、毎年、春先に1、2度は訪れることが習慣のようになっている。
今年の鈴鹿は春先の寒波到来で、花が咲くのが遅れているらしい。そんな寒い春ではあるが、セツブンソウやジュソウが咲きだしたという情報に接するにつけ、はやる心と天気とを天秤にかけて悩んでいた。この逡巡に踏ん切りをつけて、昨3月9日に重かった腰を上げたという次第だ。ちなみに、あす以降は天気予報の結果が思わしくない。
前夜、「9時には出発しよう」という相談がまとまっていたが、当日になってみると、朝の行事は順調に運んだせいで予定より15分前に自宅を出発することがかない、加えて、道中も順調に走ることができた。こんなルンルン気分に水を差したのが上げ馬神事で有名な多度町(桑名市)にやってきたときだった。ここまで来ると、藤原岳がハッキリと見える場所がある。ここで藤原岳が見えるには見えたが、それは予期せぬ雪の積もった姿であった。昔なら、これもまた喜びであったが、足の弱った今となってはこの雪は邪魔なだけだ。これを見た姫君も、「何? 雪じゃぁない? それに、この前のときより多いわ」と驚いたような声を上げる。確かに、前回、セツブンソウを見るために藤原岳の山麓を訪れたときには頂上から少し下までだった積雪が、今は半分より下まで広がっているのが分かる。これで、『今日、花は無理かもしれない』と思うと、テンションも急に下がってしまう。
北勢町に入り、藤原岳から派生する孫太尾根が一望できるようになり、じっくり観察してみると、多志田山、草木は元より丸山にも両者より少ないという違いはあるが雪が積もっているのが分かり、これではどう希望的観測をしたところで、セツブンソウもフクジュソウも期待できないことを自覚せざるを得なくなる。
でも、ここまで来たからには帰るわけにもいかず、鈴鹿の山に登れるか、どうかを試してみるのもよかろうと他に目的付けする一方で、途中の雪のない所でヒロハノアマナやセリバオウレンに出合えるかもしれないと未練がましいことを考えていた。
孫太尾根登山口は北勢町新町の墓地および水道施設の奥にある。
この墓の前に車10台余が停められるくらいの駐車場代わりの空地があり、ここへ10時30分頃に到着する。
ここで身支度をすることになるが、問題は靴だった。あの雪を見ると何時ものようにスニーカーというわけにはいかず、さりとて足の痛くなる登山靴を履く気にもなれない。このため、長靴で行くことにした。ちなみに、姫君は迷わず軽登山靴を履いた。
10時31分、駐車場(推定標高220m)を出発。水道施設横をフェンス沿いに奥の方へ続く道を歩いていく。
まず手始めに、孫太尾根について説明しておく。
一般的に藤原岳の頂上といわれている展望の丘(標高1144m)から南へ通じる尾根がある。これが孫太尾根だ。
この尾根上にはいくつものピークがあるが、最初が多志田山(同965m)。ここから東に少し振れているが、次に標高834mの草木(双耳峰)。さらに降ると、今回、目的とする山、丸山がある。丸山には三角点も標高点もないが、ちょうど650mの標高線上に小さな平らな頂上をもったピークであり、地形図を辿っていくと直ぐに分かる。ここから大きく降っていくと青川に沿った痩せ尾根に通じ、次の頂が神武(標高387m)となる。この神武も、いわば双耳峰で100mくらい先にもう1つのピークを持ち、これを最後に平野部まで一気に降っている。ちなみに、この尾根の延長線上に標高点202mがあるので、地形図で神武から点202mを繋ぐと尾根の形がハッキリと理解できる。
今では孫太尾根道は登山道としてほぼ確立しているが、地形図に載せてもらうまでには認知されていない。なお、地形図における丸山へ至る登山道は、この尾根の北側の谷筋と、もう1つの尾根の向こう側の谷筋との2つがあり、両者ともに今も使われている。
この尾根上の神武の頂上の下部(標高310m付近)には、昔、神武神社というお宮があって、新町の氏子がここまで参拝に訪れていた。その後、このお宮が平野部に下ろされたために今では御参りに訪れる人はいないが、この存在を示す石杭が今でも埋められているので、それが何処にあったかは分かる。このような事情があって、神武までの登山道は神社の参詣道を利用する形だが、道だといっても踏み跡らしきものがあるだけだ。それも分かり難い場所が多い。だが、鈴鹿の何処でもがそうであるように滅多やたらとテープが付けられており、初めての人でも目印を辿ると何とか尾根に辿り着けるようだ。
登山口から杉の植林の中へ入り、踏み跡に従って進んでいく。最初のうちは緩やかな勾配であったが、右手に炭焼きの窯跡がある辺りから急勾配になってくる。脹脛(ふくらはぎ)が突っ張って痛くなるころ、この急傾斜が一段落する。この平らな場所に神社が建っていたらしく、ここには神武神社跡の石杭が埋め込んである。私たちが神社跡の写真を撮ったのが10時45分、登山口からここまでが14分を要したことになる。
ここからもうひと踏ん張りしなくてはならない。滑り易い不安定な斜面を思いおもいのルートを採って必死に足を踏ん張って登っていくと、乱れた踏み跡は次第に一本の道に吸い寄せられていく。
ここからは道らしくなってくるので、それまでに比べると楽に感じるが、勾配は相変わらずである。これが分かるのは、ここを降るときである。
10時55分、ようやく孫太尾根に登り上がることができた。
ここが尾根の何処かというと、双耳峰の神武の2つあるピークの中間、鞍部である。尾根の左手が標高点387mの西峰、右手が標高370m余の東峰だ。
ここから先は、尾根通しで進むだけで神経を使わなくてもいいし、勾配もこれまでのような急でもない。これが分かっているので、ここまで来ると何時もホッとするが、今日はここから登山道上にも少し積雪が出てきたため、別の心配も頭をもたげてきたが……。
ここから先は、左手の神武の頂上を踏んでいくのもいいが、ここには巻道が付いているので少しでも楽ができる後者の方を選んで進んでいくと、間もなく、神武から降ってくる道と合流する。
ここからは進行方向左手に、何時も青川を見る形になっている。現に、左手の樹木が途切れ、見通しの良くなるところでは眼下に青川の存在を 見てとることができる。
植林が途切れた場所で左手に見えている尾根へ乗り移るような形になるが、ここへ乗り移るのが大変だった。雪解けで道は泥んこ状態になっていて、滑り易くなっているので困る。
それでも何とか頑張って、11時11分、この尾根の上に立つ。これが標高400mの地点だ。ここは日当たりが良いので、もちろん、雪は解けてない。『ひょっとして花が咲いているかも……』と助平心が起きてきて入念に探してみるが、これは徒労に終わった。
間もなく、道はガラ場の登りになってきた。ここにも花が咲くので注意して歩く。この甲斐があって、姫君がカテンソウを見付ける。

花自体は地味な花であるし、今の私には小さすぎて撮り辛い被写体でもあり、パスしたいところではあった。でも、これは今年になって初めて見る鈴鹿の山野草でもあるのでザックを降ろしてカメラを取り出すことになる。
この撮影に苦労していると、男女2人連れが降りてきた。登山口には3台の名古屋ナンバーの車が停まっていたので、この内の1台の人たちらしい。声をかけて立ち話をすると、初めてここへきたという。
私たちが、初めて孫太尾根から藤原岳に縦走したときは、ここを歩く人は少なくて道がハッキリせず、結局、登山口から直接、尾根に向かって遮二無二に登り上がった。そんな状態であったものが、訪れる人が増え、今では道もハッキリしてきて、こんな無謀なことはしなくともよくなっていて、初めての人でも気軽に歩けるようになったようだ。これは、ここ10年くらいの間の変化で、前を知っている私にとっては隔世の感である。
この後、セリバオウレンの咲く場所に立ち寄ったが、辺り一面に雪が積もっていて花どころの騒ぎではなかった。強い風が当たる場所ではあるが、ここも尾根上だ。こんなに雪が積もっているとは想定外のことで、これでは本日の花の期待はなくなったと情けなく思ったものだ。残ったただ1つの期待は、先ほど出会った2人連れが「頂上で1輪だけだがセツブンソウが咲いていた」といっていたことだけだ。でも、広い頂上のこと、ただ1つの花と出合うことができるかという不安もあって、気持ちは沈むばかりであった。
何も得られぬままに丸山の頂上直下の急登部分に近付いてきた。ここで単身下山者とすれ違った。彼は、草木まで行って、ここから戻ってきたという。彼も初めてここを歩くというので、本日、出会った2組ともにそうであり、再び、先ほどの感慨に襲われることになった。
急傾斜部分にやってきた。この区間を踏破すれば丸山の頂上だ。だが、ここから先、しばらくは足元が定まらず、滑り易いので嫌な場所である。それが本日は雪である。ここまで到着するまで日当たりが良くて解けている場所もあったが、標高が上がるにつれて積雪量も多くなってきていた。ここは雪こそ解けてはいるが、地面は雪解け水をたっぷりと含んでいる。滑って転べば、泥だらけになるのは必定で、ある意味では雪より始末が悪い。でも、ここには幸いなことに灌木とか岩とかがあって手掛かりには困らない。これに頼って慎重に登り上がっていく。こういう意味では大変だが、別に踏み跡を辿らなくても上へさえ登っていれば、何れは頂上に到着するのでコース採りに注意を払わなくてもいい。
歩き易い場所を選んで適当に登っていると、何時しか姫君の姿が見えなくなっていた。声をかけたが返事が聞こえない。こうなると急に心配になってきた。道迷いの懸念はないが、途中でどちらかが滑落でもしたら離れていては場所も分からない。大声で呼びかけると姫君の返事が聞こえ、しばらく待つと姿が見えてきた。ここからは意識して離れずに進むことになった。
12時27分、丸山(標高650m)に到着する。
登ってきたのは南から東にかけた斜面ということもあって、雪は解けてなかったが、頂上には薄っすらとではあるが多くの範囲に積雪があった。このことは、唯一あったというセツブンソウを探すのには都合が良い。彼らが見たというなら、この雪面に足跡が残っているはずなので、この足跡を追えばよいからだ。でも、探し始めてもなかなか容易ではないことが分かる。セツブンソウの花の直径は10mm余に過ぎない。これが上を向いて咲いていればまだしも、横向きに咲くので余計に小さく見えるだけなので探すとなると大変である。
それでもやっとのことで1輪を探し出した。それは花が下を向いていて被写体としては悪かったが、1つを見付けると、あとは次々と見付かるのは何時ものことである。蕾を含めると相当数のものが見付かった。これに大喜びして撮影をしていると、姫君の姿が消えていた。何処へ行ったかと周囲に視線を走らせると、少し離れたところでしゃがみ込んでいた。声をかけると、「フクジュソウがあったわよ」と知らせてきた。こうしてフクジュソウもゲットすることができた。
13時27分、下山を開始した。
改めて頂上滞在時間を計算すると、ちょうど1時間。最近では考えられない長時間の滞在であった。
頂上からの下山は大変だった。ドロドロの道を下らなければならないことは神経を使わなければならないし、体力の消耗も激しい。文字どおり心身ともにすり減らしての下山となる。
こんな苦労も、ある場所で報われた。
往路には雪に覆われていた場所が、どうしたわけか雪がなくなっていた。これならセリバオウレンも見付かると確信して探すこと数分、先ずは1つが見付かった。諦めていただけに喜びは大きい。早速、カメラと三脚を取り出して撮影を開始する。だが、困ったことに咲いている場所が撮影には適さない。かといって、雪解けでビショビショになった所に身体を横たえることはできず、不自由な姿勢で撮影していると身体中が痛くなるし、息苦しくもなる。そこで適当に写したところで妥協、撮影を諦める。カメラをザックの中へ仕舞い終わったところで、姫君が新手のセリバオウレンを次々と見付ける。「もう1度、撮る?」と尋ねられるが、このときには撮影する意欲は完全に失せていた。今から考えると、何とも惜しいことをしたと思うが、このときはそんなことはどうでもよかった。
こうして予期せぬ成果に満たされた気分で駐車場に帰ってきた。このとき、15時03分、4時間半に及ぶ最近にない長い時間の登山であった。弱った足の疲労は大であったが、また、来てみたいとの思いが強かった。

本日、朝の散歩に出かけた折、冷たい空気にさらされて身震いするとともに、『今日でなくてよかった』と安堵する。このところ、『何時、出かけるか』をずっと思案していた鈴鹿の孫太尾根行きを、昨日、実行しておいたことが的を射ていたからだ。この裏には、本日の寒さでは仮に行ったとしても花が縮こまって満足の出来る結果にはならず、日延べしなくてはならなかったであろうという意味が込められていた。
孫太尾根は花の藤原岳から派生する尾根だけに季節ごとに種々の花が咲くことで有名である。このため、毎年、春先に1、2度は訪れることが習慣のようになっている。
今年の鈴鹿は春先の寒波到来で、花が咲くのが遅れているらしい。そんな寒い春ではあるが、セツブンソウやジュソウが咲きだしたという情報に接するにつけ、はやる心と天気とを天秤にかけて悩んでいた。この逡巡に踏ん切りをつけて、昨3月9日に重かった腰を上げたという次第だ。ちなみに、あす以降は天気予報の結果が思わしくない。
前夜、「9時には出発しよう」という相談がまとまっていたが、当日になってみると、朝の行事は順調に運んだせいで予定より15分前に自宅を出発することがかない、加えて、道中も順調に走ることができた。こんなルンルン気分に水を差したのが上げ馬神事で有名な多度町(桑名市)にやってきたときだった。ここまで来ると、藤原岳がハッキリと見える場所がある。ここで藤原岳が見えるには見えたが、それは予期せぬ雪の積もった姿であった。昔なら、これもまた喜びであったが、足の弱った今となってはこの雪は邪魔なだけだ。これを見た姫君も、「何? 雪じゃぁない? それに、この前のときより多いわ」と驚いたような声を上げる。確かに、前回、セツブンソウを見るために藤原岳の山麓を訪れたときには頂上から少し下までだった積雪が、今は半分より下まで広がっているのが分かる。これで、『今日、花は無理かもしれない』と思うと、テンションも急に下がってしまう。
北勢町に入り、藤原岳から派生する孫太尾根が一望できるようになり、じっくり観察してみると、多志田山、草木は元より丸山にも両者より少ないという違いはあるが雪が積もっているのが分かり、これではどう希望的観測をしたところで、セツブンソウもフクジュソウも期待できないことを自覚せざるを得なくなる。
でも、ここまで来たからには帰るわけにもいかず、鈴鹿の山に登れるか、どうかを試してみるのもよかろうと他に目的付けする一方で、途中の雪のない所でヒロハノアマナやセリバオウレンに出合えるかもしれないと未練がましいことを考えていた。
孫太尾根登山口は北勢町新町の墓地および水道施設の奥にある。
この墓の前に車10台余が停められるくらいの駐車場代わりの空地があり、ここへ10時30分頃に到着する。
ここで身支度をすることになるが、問題は靴だった。あの雪を見ると何時ものようにスニーカーというわけにはいかず、さりとて足の痛くなる登山靴を履く気にもなれない。このため、長靴で行くことにした。ちなみに、姫君は迷わず軽登山靴を履いた。
10時31分、駐車場(推定標高220m)を出発。水道施設横をフェンス沿いに奥の方へ続く道を歩いていく。
まず手始めに、孫太尾根について説明しておく。
一般的に藤原岳の頂上といわれている展望の丘(標高1144m)から南へ通じる尾根がある。これが孫太尾根だ。
この尾根上にはいくつものピークがあるが、最初が多志田山(同965m)。ここから東に少し振れているが、次に標高834mの草木(双耳峰)。さらに降ると、今回、目的とする山、丸山がある。丸山には三角点も標高点もないが、ちょうど650mの標高線上に小さな平らな頂上をもったピークであり、地形図を辿っていくと直ぐに分かる。ここから大きく降っていくと青川に沿った痩せ尾根に通じ、次の頂が神武(標高387m)となる。この神武も、いわば双耳峰で100mくらい先にもう1つのピークを持ち、これを最後に平野部まで一気に降っている。ちなみに、この尾根の延長線上に標高点202mがあるので、地形図で神武から点202mを繋ぐと尾根の形がハッキリと理解できる。
今では孫太尾根道は登山道としてほぼ確立しているが、地形図に載せてもらうまでには認知されていない。なお、地形図における丸山へ至る登山道は、この尾根の北側の谷筋と、もう1つの尾根の向こう側の谷筋との2つがあり、両者ともに今も使われている。
この尾根上の神武の頂上の下部(標高310m付近)には、昔、神武神社というお宮があって、新町の氏子がここまで参拝に訪れていた。その後、このお宮が平野部に下ろされたために今では御参りに訪れる人はいないが、この存在を示す石杭が今でも埋められているので、それが何処にあったかは分かる。このような事情があって、神武までの登山道は神社の参詣道を利用する形だが、道だといっても踏み跡らしきものがあるだけだ。それも分かり難い場所が多い。だが、鈴鹿の何処でもがそうであるように滅多やたらとテープが付けられており、初めての人でも目印を辿ると何とか尾根に辿り着けるようだ。
登山口から杉の植林の中へ入り、踏み跡に従って進んでいく。最初のうちは緩やかな勾配であったが、右手に炭焼きの窯跡がある辺りから急勾配になってくる。脹脛(ふくらはぎ)が突っ張って痛くなるころ、この急傾斜が一段落する。この平らな場所に神社が建っていたらしく、ここには神武神社跡の石杭が埋め込んである。私たちが神社跡の写真を撮ったのが10時45分、登山口からここまでが14分を要したことになる。
ここからもうひと踏ん張りしなくてはならない。滑り易い不安定な斜面を思いおもいのルートを採って必死に足を踏ん張って登っていくと、乱れた踏み跡は次第に一本の道に吸い寄せられていく。
ここからは道らしくなってくるので、それまでに比べると楽に感じるが、勾配は相変わらずである。これが分かるのは、ここを降るときである。
10時55分、ようやく孫太尾根に登り上がることができた。
ここが尾根の何処かというと、双耳峰の神武の2つあるピークの中間、鞍部である。尾根の左手が標高点387mの西峰、右手が標高370m余の東峰だ。
ここから先は、尾根通しで進むだけで神経を使わなくてもいいし、勾配もこれまでのような急でもない。これが分かっているので、ここまで来ると何時もホッとするが、今日はここから登山道上にも少し積雪が出てきたため、別の心配も頭をもたげてきたが……。
ここから先は、左手の神武の頂上を踏んでいくのもいいが、ここには巻道が付いているので少しでも楽ができる後者の方を選んで進んでいくと、間もなく、神武から降ってくる道と合流する。
ここからは進行方向左手に、何時も青川を見る形になっている。現に、左手の樹木が途切れ、見通しの良くなるところでは眼下に青川の存在を 見てとることができる。
植林が途切れた場所で左手に見えている尾根へ乗り移るような形になるが、ここへ乗り移るのが大変だった。雪解けで道は泥んこ状態になっていて、滑り易くなっているので困る。
それでも何とか頑張って、11時11分、この尾根の上に立つ。これが標高400mの地点だ。ここは日当たりが良いので、もちろん、雪は解けてない。『ひょっとして花が咲いているかも……』と助平心が起きてきて入念に探してみるが、これは徒労に終わった。
間もなく、道はガラ場の登りになってきた。ここにも花が咲くので注意して歩く。この甲斐があって、姫君がカテンソウを見付ける。

花自体は地味な花であるし、今の私には小さすぎて撮り辛い被写体でもあり、パスしたいところではあった。でも、これは今年になって初めて見る鈴鹿の山野草でもあるのでザックを降ろしてカメラを取り出すことになる。
この撮影に苦労していると、男女2人連れが降りてきた。登山口には3台の名古屋ナンバーの車が停まっていたので、この内の1台の人たちらしい。声をかけて立ち話をすると、初めてここへきたという。
私たちが、初めて孫太尾根から藤原岳に縦走したときは、ここを歩く人は少なくて道がハッキリせず、結局、登山口から直接、尾根に向かって遮二無二に登り上がった。そんな状態であったものが、訪れる人が増え、今では道もハッキリしてきて、こんな無謀なことはしなくともよくなっていて、初めての人でも気軽に歩けるようになったようだ。これは、ここ10年くらいの間の変化で、前を知っている私にとっては隔世の感である。
この後、セリバオウレンの咲く場所に立ち寄ったが、辺り一面に雪が積もっていて花どころの騒ぎではなかった。強い風が当たる場所ではあるが、ここも尾根上だ。こんなに雪が積もっているとは想定外のことで、これでは本日の花の期待はなくなったと情けなく思ったものだ。残ったただ1つの期待は、先ほど出会った2人連れが「頂上で1輪だけだがセツブンソウが咲いていた」といっていたことだけだ。でも、広い頂上のこと、ただ1つの花と出合うことができるかという不安もあって、気持ちは沈むばかりであった。
何も得られぬままに丸山の頂上直下の急登部分に近付いてきた。ここで単身下山者とすれ違った。彼は、草木まで行って、ここから戻ってきたという。彼も初めてここを歩くというので、本日、出会った2組ともにそうであり、再び、先ほどの感慨に襲われることになった。
急傾斜部分にやってきた。この区間を踏破すれば丸山の頂上だ。だが、ここから先、しばらくは足元が定まらず、滑り易いので嫌な場所である。それが本日は雪である。ここまで到着するまで日当たりが良くて解けている場所もあったが、標高が上がるにつれて積雪量も多くなってきていた。ここは雪こそ解けてはいるが、地面は雪解け水をたっぷりと含んでいる。滑って転べば、泥だらけになるのは必定で、ある意味では雪より始末が悪い。でも、ここには幸いなことに灌木とか岩とかがあって手掛かりには困らない。これに頼って慎重に登り上がっていく。こういう意味では大変だが、別に踏み跡を辿らなくても上へさえ登っていれば、何れは頂上に到着するのでコース採りに注意を払わなくてもいい。
歩き易い場所を選んで適当に登っていると、何時しか姫君の姿が見えなくなっていた。声をかけたが返事が聞こえない。こうなると急に心配になってきた。道迷いの懸念はないが、途中でどちらかが滑落でもしたら離れていては場所も分からない。大声で呼びかけると姫君の返事が聞こえ、しばらく待つと姿が見えてきた。ここからは意識して離れずに進むことになった。
12時27分、丸山(標高650m)に到着する。
登ってきたのは南から東にかけた斜面ということもあって、雪は解けてなかったが、頂上には薄っすらとではあるが多くの範囲に積雪があった。このことは、唯一あったというセツブンソウを探すのには都合が良い。彼らが見たというなら、この雪面に足跡が残っているはずなので、この足跡を追えばよいからだ。でも、探し始めてもなかなか容易ではないことが分かる。セツブンソウの花の直径は10mm余に過ぎない。これが上を向いて咲いていればまだしも、横向きに咲くので余計に小さく見えるだけなので探すとなると大変である。
それでもやっとのことで1輪を探し出した。それは花が下を向いていて被写体としては悪かったが、1つを見付けると、あとは次々と見付かるのは何時ものことである。蕾を含めると相当数のものが見付かった。これに大喜びして撮影をしていると、姫君の姿が消えていた。何処へ行ったかと周囲に視線を走らせると、少し離れたところでしゃがみ込んでいた。声をかけると、「フクジュソウがあったわよ」と知らせてきた。こうしてフクジュソウもゲットすることができた。
13時27分、下山を開始した。
改めて頂上滞在時間を計算すると、ちょうど1時間。最近では考えられない長時間の滞在であった。
頂上からの下山は大変だった。ドロドロの道を下らなければならないことは神経を使わなければならないし、体力の消耗も激しい。文字どおり心身ともにすり減らしての下山となる。
こんな苦労も、ある場所で報われた。
往路には雪に覆われていた場所が、どうしたわけか雪がなくなっていた。これならセリバオウレンも見付かると確信して探すこと数分、先ずは1つが見付かった。諦めていただけに喜びは大きい。早速、カメラと三脚を取り出して撮影を開始する。だが、困ったことに咲いている場所が撮影には適さない。かといって、雪解けでビショビショになった所に身体を横たえることはできず、不自由な姿勢で撮影していると身体中が痛くなるし、息苦しくもなる。そこで適当に写したところで妥協、撮影を諦める。カメラをザックの中へ仕舞い終わったところで、姫君が新手のセリバオウレンを次々と見付ける。「もう1度、撮る?」と尋ねられるが、このときには撮影する意欲は完全に失せていた。今から考えると、何とも惜しいことをしたと思うが、このときはそんなことはどうでもよかった。
こうして予期せぬ成果に満たされた気分で駐車場に帰ってきた。このとき、15時03分、4時間半に及ぶ最近にない長い時間の登山であった。弱った足の疲労は大であったが、また、来てみたいとの思いが強かった。

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