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赤坂山より満足、大満足だった! - 2013.05.16 Thu

伊吹北尾根、国見岳に登る
 赤坂山へ登った翌日、教えてもらった大御影山へ登ることも考えた。だが、ここの花は、赤坂山と同種だとのことだったので、ここはまたの機会に譲ることにして、予定どおりに伊吹山の北尾根を歩くことにする。
 伊吹山の北尾根とは、三国峠から静馬ヶ原までの尾根を指し、この尾根の上には三国岳、大禿山、御座峰、983m峰、1149m峰という標高1000m前後の5つの頂がある。ちなみに、静馬ヶ原とは、伊吹山ドライブウェイで登っていくと、頂上に至る最後の大きなカーブの右手下の平らな一画である。
 この伊吹北尾根の登山路は2つある。1つは、北側の三国峠である。もう1つは、南側の岐阜県側のさざれ石公園あるいはその先の笹又(旧集落跡)を登山口とするものだ。
 私たちは、先日、南側の笹又から静馬ヶ原を歩いているので、今度は北側の三国峠から歩くことを思い立った次第だ。
 そして、5月13日、国見峠へ行くべく車を走らせたが、先に述べたように国見峠に通じる道路が崩壊してしまって峠まで車を乗り入れることはできなかった。仕方なく、手前にあった駐車スペース(10台以上駐車可)に車を停めて歩いて行くことにした。
 8時23分、歩き始める。
 崩落した道路脇の急造の道で先の崩壊を免れた道路へ渡ると、驚いたことにそこも地震後に道路のようにアスファルト舗装が波打ち、山側部分が大きくえぐり取られて側溝として埋められていたコンクリート製のU字ブロックが無残に剥き出しとなっていた。
 こんな惨状に驚きながら少し進むと、旧KDDI電波中継基地へ通じる登り口があった。ここを登っていくと、教如上人が隠れ住んだといわれる鉈ヶ岩屋(なたがいわや)を経由して三国峠からの登山道と交わる。ここから登って本来の登山道まで30分、三国峠から登っても両者が交わる場所まで30分という看板が出ている。この道の存在は知っているが、急だということで私たちは未だにここを登り降りしたことはない。でも、若い元気な登山者はこのルートを利用していることは知っている。
 この先、国見峠へ行くまでの道路の様子が分からない。三国峠まで歩いてなら行くことが可能であるかもしれないし、危険な状態であるかも分からない。後者の場合、引き返したとしてもここから登らなくてはならない。こんなことになるくらいなら、思いきってここから登ったほうが無駄がなくて確実でもある。
 ヘタな文章で書くとこんなに時間がかかるが、現実は一瞬の判断でこれを決め、8時29分、ここを登り始める。
 この登山口の標高は650mであるので、国見峠からの道と交わる場所の955mまで、300m余を登らねばならない。ちなみに、国見峠の標高は840mなので歴然とした差があるのだが、本日に限っては止む得ないことだ。
 最初は涸れた沢沿いの道だが、枯れ葉に覆われていて歩き難いし、勾配もきつく感じる。これが歩き始めによるものか、実際にそうであるかは何とも云い難い。昨日も赤坂山で6時間ばかり歩いて、疲労は残っているだろうが、今のところはそれを自覚することはなく、順当に回復しているらしい。
 こんな沢道をいくらも登らないうちに、姫君がチゴユリを見付ける。昨日の赤坂山のチゴユリは帰りに撮る予定であったが、下山路が予定にない道に変わったために、結局、撮影はできなかった。「撮らないの? また、失敗するわよ」と姫君に薦められるが、まだ、登り始めたばかりだ。ここでザックを降ろしていては、先が思いやられるので帰り道で写すことにする。もちろん、帰りは国見峠へ降りたとしても、再び、ここまで登り返せば済むということも計算に入っていた。
 この沢道から左手に進路を変えると、今度は尾根に乗った。あとはひたすらこの尾根を直線的に登り上がるのだが、これがとても人間の歩く道とは思えないような急傾斜である。普通、こんな急な道には木の枝とか、笹とかがあって、これらを掴んで腕の力を借りて登ることが多い。だが、ここはそんな気の利いたものはない。このため、正味、足だけで登らなければならないので大変である。特に、私の場合は脹脛(ふくらはぎ)を痛めている。一応、小康を得ているとはいえ、何時、再発するかという懸念も残っている。したがって、これまでも騙しだまし使っているので、こんなシチュエーションは苦手なのだ。
 何とか、急坂を登り終える。この先、緩斜面の道が続いているのでヤレヤレである。こんなとき、道の脇の細い倒木の切れ端が目に付いた。切れ端といっても私の背の高さくらいはあった。これ幸いと、これを拾い上げて杖代わりに使うことにする。「もっと前に何かを拾えばよかったよ。急な所を終わってから拾ってはね」と姫君にいいながら、先ほどの急勾配の道を振り返っていた。
 私の疾患は脹脛だけではない。膝も痛めている。こちらのほうが本命で、3、4年もこれに悩まされている。レントゲンを撮ると、軟骨が少しすり減っているとのことだが、それほど酷いということでもない。こんな状態なので、有効な治療法はないようなので始末が悪い。これも負担をかけないように騙しだまし使うより仕方がなく、補助具として膝関節を保護するというタイツを買って着けることが目に見える治療であった。ある日、家の階段を登っていて気付いた。登る際に膝に感じる負担感がなくなっていた。こんなことは数年ぶりのことだった。どうして急に良くなったのか、医師による治療を受けたわけではなく、皇潤さまのお世話など、民間療法も行ってはいない。要するに、自然治癒とでもいうのだろう。齢70を越えた老いさらばえた身体の何処にこんな治癒力が秘められていたのかと、当の私が驚いたが、これが事実である。
 こんなことを回顧しながら緩やかに登り上がっていくが、こんな道は長くは続かなかった。また、目の前には急斜面の直線の道が青空に向かって一直線に伸びていた。このような急斜面で脹脛に優しい姿勢は蟹歩きだが、人間の身体は蟹のようには出来ていないので、これは不自然で長続きはしない。これを先ほど拾った杖で舟を進める竿のように使ってみると、幾分、楽である。これもまた、船頭の経験のない私では長続きしない。結局、休み、休み歩くのが最良だとの結論に達した。
 こんな道は人間が歩く道はないと思うのは私だけではないと思う。では、どうしてこんな道が作られたかを考えてみた。
 そもそもこの道は、KDDIが、自社の電波中継基地建設のために造ったものだ。ということは、ここには工事資材運搬用のモノレールが敷設されていたものと考えると合点がいく。モノレールが役目を終えて取り払われてからは、この電波中継所で働く職員のための専用道路として、階段を敷設して使われていた。電波中継所の廃止に伴って階段も撤去されて現在の形になり、元気な登山者だけが使っていると考えると、この急勾配も理解できる。
鉈ヶ岩屋
 9時10分、鉈ヶ岩屋にやってきた。
 この岩屋は、以前、見学に来たことがあるが、このときは国見峠への登山道から降りてきて、再び、そこへ戻っている。どのようないわれのある岩屋であるかは忘れてしまっていたが、岩屋の前に掲げられている説明によると、浄土真宗の偉い坊さんが、その地を支配する武将から命を狙われた折、土地の信者によってここにかくまわれ何年間かを過ごした場所だという。
 こんな所を見ても歴史に関心のない私には何の感慨も湧かないので、直ぐに登山道に戻る。以前の記憶を手繰り寄せると、この岩屋から国見峠からの正規の登山道まで直ぐだったように思えたが、そんなことはなかった。岩屋から954m峰へ登り、ここから降り終えてから再び登った次の頂、標高955m内外が正規の登山道との合流点であった。
 登山道に交わったのが9時25分。登山口を出発してから53分もかかっている。登山口に書かれていた所要時間30分の倍もかかった勘定になる。
 ここから先は何回も歩いているので、様子は分かっている。今までのような急な場所もなく、淡々と登り上がっていくと自然に頂上に到達する。少し嫌な場所といえば、岩ばかりの長いトラバース道が続いている所くらいだが、こことて注意していればそれほど危険というか、難所ではない。
 そんな道を歩いて行く。ここからが花がボツボツと顔を出してくる。ここで見る花は、上でも見られるので、今、ここで写真に撮る気はない。このとき、姫君が白くて小さな花を見付け、何の花かを訊いてくる。肉眼で見ても、小さくて分からない。珍しい花かもしれないと思うと、帰りでよいとはいっておれない気持ちになる。そこで、カメラの目を通してみることにして、ザックを降ろす。覗いてみると、期待は見事に肩透かしをくった。ミヤマカタバミの小さい花であった。このことを姫君に伝えると、「それなら、これが葉っぱね」といいながら、ハート形の小さな緑色のものを指差していた。この花の葉っぱが、折りたたんだ状態で根元に隠れていた。
 再び、カメラを仕舞ったザックを担ぎ上げて歩き始める。ここからは、ヤマエンゴサク、ヒトリシズカ、イブキハタザオが固まって咲いている。これらに隠れて、他に変わった花はないものかと目を左右に配りながら進んでいくが、結果は格別のものには出合うことがなかった。
 KDDIの電波中継所跡にやってきた。ここは建物などが撤去されてから数年を経過する。このため、以前は裸地が多かったが、現在では雑草に覆われた部分が大半を占めるようになり、ここにそんな施設が建っていたことを示す痕跡も消えかかっている。
 これを書くにあたって、改めて地形図を眺めると、国見岳というのは双耳峰(そうじほう)で、この電波中継所跡が北峰、これから行く国見岳が南峰ということになる。高さはほぼ同じ、その違いは数mに過ぎず、地形図を見ても、遠くからこれらの峰を眺めたとしても、どちらが高いかの区別は付け難いだろう。違いといえば、北峰が平たく、南峰が少し尖がって見えるだろうというくらいだ。
 北峰と南峰は指呼の間にあり、10時35分、国見岳(南峰)の頂上に到着する。
 これで1つの目的は達成したことになるが、本当はここまで来ることは目的でも何でもない。目的は、花を見ること、出合うことだ。早速、花探しが始まる。もちろん、ここにターゲットを絞ったのにはそれなりの理由というか、見たい花があるのだ。それはイチリンソウであり、ヤマシャクヤクだ。
 結果は、どう表現したらいいのだろうか、14勝1引き分け、優勝決定戦では勝利を収めて優勝という表現が相応しいのだろうか。いずれにしても、満足できるものであった。1引き分けというのは、ヤマシャクヤクが固い蕾、開くばかりになった蕾、花を開いたものに出合うことができたが、肝心の花を開いたものの花びら1枚が少し壊れ加減であったことだ。
 優勝という賜杯を手にしたと表現したのは、私にとっては初めてで珍しい花に出合うことができたためだ。その花の名は、ヤマトグサ。この花は、日本人が初めて発見して日本人として初めて学術名の名付け親になったという意味でも珍しい花、記念すべき花だ。ちなみに、この発見者であり命名者の名は、牧野富太郎博士だ。
 こうして2時間30分弱の花探しを終え、13時ちょうど、国見岳から下山を開始した。
 下山ルートは、検討の結果、往路をそのまま降ることにした。
 そして、14時37分、登山口(鉈ヶ岩屋道)帰り着く。出発時には気が付かなかったが、登山口には清水を引き出した水飲み場が作られていた。この水で顔を洗うとショッパイ水が口の中へ入ってきた。ここの水が塩辛かったわけではない。この日は夏を思わせるような天気だったため、汗を多くかいていたので、顔にこべり付いた塩分が口の中へ入ってきたのだ。
 こうしてサッパリすると、再び、満足感が込み上げてきた。これを胸に、意気揚々と駐車場に帰ったが、そのとき、14時45分だった。

国見岳頂上

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