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百名山の思い出・その18(後編) - 2013.05.11 Sat

鳳凰山 (ほうおうさん・2840m)
 1999年10月11日、鳳凰山登山の2日目の朝は、鳳凰小屋で迎える。
 5時30分頃、目覚めたが、何時ものような爽やかな目覚めではない。何んだか、身体の中がダラッとしている。隣のテントの連中が3時頃に発ったため、ザワついて充分な睡眠が取れなかったのか、昨日のハードな歩きの疲れが取れていないか、何れかは判然としないが、今は何もやりたくない。
 ノロノロと後片付けやテントの撤収をしていたら、早々と6時30分を回ってしまっていた。これから食事の支度をしていたら遅れるばかりだと思い、朝食は稜線に上がってから適当な場所でしようということになり、ここを出発する。
 7時05分、鳳凰小屋を出発、鳳凰三山の1つである地蔵岳に向かう。
 小屋の横から山に取り付くが、最初から樹林の中の急登に泣かされる。林の中ほどで、先行していた女性に追い付く。昨日、彼女とは知り合っているので顔見知りで、地蔵岳から白鳳峠経由で広河原へ降りることは聞き及んでいる。ここから暫くは彼女と一緒に歩くことになる。
 林が疎らになり、前方に地蔵岳の頂上部分を形成する岩峰、オベリスクが見えるようになる。『おっ、あれかがオベリスクか』と思いながら真っ直ぐに進んでいると、後ろから声が聞こえる。「こっちへ渡るのだそうよ」と、姫君の声だ。姫君も同道している彼女もガレた沢状の所を渡り、左側の林に移っていた。そのほうへ移動しようとするが、今、いる場所からそこまでは高低差が大きくて降りられない。止む得ず、少し戻って2人のいる所まで追い付く。そこはお花畑と呼ばれている場所だとのことだが、シーズンオフの現在では花は咲いていなかった。
 ここを過ぎると、一面、草木の1本もない風化した花崗岩のザレ、ちょうど甲斐駒ケ岳の頂上の付近に似ているが、こちらのほうが風化の度合いが進んでいる。この滑り易い急勾配の斜面をジグザグに登り上がっていくのであるが、歩けども、歩けどもオベリスクとの距離は縮まらない。ここに取り付いたときにはひと息で登れると思ったが、なにがなにが、途中で2度ほど休憩をしなくてはならなかった。
 それでも、7時55分、『標高2764m・地蔵岳』と記した標識の前に立つことができた。
 ここは賽ノ河原ともいわれ、小さい地蔵さんが祀られている。また、眼前には立錐する巨岩で出来たオベリスクが鎮座。このオベリスクには、どうして登ったのか、そのテッペンには人がいたのには驚いた。
 ここは、ちょうど、槍ヶ岳の肩から槍の穂先を仰ぎ見るのと同じような感じだが、規模が違うのでミニチュア化したようだ。このテッペンまでは、私たちでは登れそうもないが、雰囲気だけは味わっておこうと思い、この基部まで近寄ってみる。
赤抜沢ノ頭から地蔵のオベリスクを見る
 オベリスクを形成しているのは2つの巨岩だった。その間にロープが垂れ下がっていて、これに縋って登り降りをしているようである。岩登りの知識や経験のない私たちには無理であろうと判断し、敢えて挑戦することはなかったが、本心を吐露すれば登れるところまででもいいから登ってみたかった。
 天気は、昨日に引き続き快晴。最高の天気だった。
 このため、ここからは近くの甲斐駒ヶ岳、遠くには北アルプスの連峰がハッキリと見てとることができる。さらに目を凝らせば、槍の穂先も肉眼でも見ることが可能だった。これには大喜びでカメラに収めた。ちなみに、後日、プリントしたら穂先は欠落していた。惜しい落し物をしたものだと悔いるが、これだけはカメラ任せなので如何ともし難い。
 また、この間には八ヶ岳も……。この中でも一番手前の高い山、赤岳の雄姿が一段と存在感を際立たせている。これを見て、姫君は「あの赤岳はいいわね。一度、行ってみたいわ」を連発する。私は、この山は岩場が険しいと聞いているので食指は動かないが、来年あたり行くことになりそうな嫌な予感がしていた。
 目を東に転じれば、浅間山だろうか、秩父の山だろうか、名前も知らない山々の連なりが幾つも重なって見えていて、その眺めには圧倒された。
 南のほうは、目の前の赤抜沢の頭に遮られていて、この先の視界はいいとはいえないが、降りの一瞬、富士山が綺麗な姿を目にすることができ、感動は最高潮に達する。
 再び、賽ノ河原に降りる。
 このとき、まだ、朝食前であったことに気付く。時計を見ると、8時50分である。時間が経つのは早い。オベリスクの基部で1時間近くも遊んでいたことになる。「食事は何処でする? ここでいい?」と姫君の意向を確かめると、「こんな殺風景な所で……」と気に入らぬらしい。「じゃぁ、上に行こう」ということになって、赤抜沢の頭まで登ることにする。
 10分くらいで赤抜沢の頭に着く。
 ここは、夜叉神峠、白鳳峠、鳳凰小屋への道が集まる場所、三叉路になっていて、各方面から来た人たちが休憩していて大賑わいであった。早速、適当な場所を確保、コンロを出して予定どおりに『うどん』を作る。出来上がりに卵を落とし入れ、唐辛子もかけて、一口食べるが美味しくない。姫君に、「どう、味?」と尋ねると、「あまり美味しくないわね」との答えだった。食器の中のものは無理やり食べたが、鍋の中にはまだ残っている。「どうしよう、捨てるわけにはいかないし……」、「麺だけすくってビニール袋で持ち帰ろうか」などと相談していると、観音岳のほうから若者1人がやってきた。「そうだ、彼に食べてもらおう」、「そうね」と相談はまとまり、彼に薦めると、「遠慮なく……」と快諾して瞬く間に綺麗に平らげてくれた。急いで後片付けして、観音岳に向かうため、ここを後にする。
昨年登った北岳を見る
 赤抜沢の頭の出発は9時45分である。
 ここから300m内外を一挙に降り、最鞍部から400mくらいを登り上がると、鳳凰山の主峰の観音岳の頂上がある。ここへ至るまでの登山路は稜線上に付いているので、本日の天気であれば、景色は充分過ぎるほどに堪能できることは間違いなしと確信しての出発であった。結果は、これに違うことなく南アルプスの主峰群を一望できる醍醐味に浸ることができた。ただし、残念なことに南部はこれまでに一度も足を踏み入れたことがなく、また、書物も読んでいないという勉強不足から、目の前に見えているこれらの山々にあまり愛着がわいてこない。が、北岳、仙丈岳、甲斐駒ヶ岳は実際に登っただけに、あの辺りを、あのように登っていたのだとか、あの辺りがきつかったとかという色いろと思い出しながら見詰め直すということも、感傷というわけではなく、なかなか味わい深いことであることに気付く。特に、北岳の大樺沢は、大袈裟にいえば手を伸ばせば届く近さにあるだけに、この感慨はひとしお(一入)であった。
 観音岳の頂上直下の肩の辺りに差し掛かると、富士山の綺麗な姿が目の中に飛び込んでくる。先ほど、地蔵のオベリスクから降りるときに、一瞬、垣間見た際にも感じたことだが、昨年10月10日に北岳から見たものよりも大きくて立派に見えていた。距離はそんなに違わないし、見上げる角度もないなどなどと色いろと考えてみたが立派に見える原因については分からなかった。ちなみに、これは何も私だけのことではなく、姫君も本日のほうが大きく見えるという。いつぞや、誰かも語っていたが、富士山は登っても到達感、達成感を別にすれば、その過程に感慨を覚えるようなことはない。だが、この山を見るということは、何処から、どのような状況であったにしても、その都度、その都度、いつも違った感慨を与え、その思いは何時までも残るという不思議さを秘めた山というか、日本人の琴線に触れるものがある。この日もまた、この山が見えている間、あちらからも、こちらからも何枚もカメラに収めた。
 ここからひと登りで、標高2840m、鳳凰三山の主峰・観音岳の山頂に着く。到着時刻は、11時20分だった。
 これで今回の最高峰を極め、目的は達成する。残るは薬師岳だけだが、これはここから降った先に頂上がある。
 この薬師岳頂上に置かれた山の名を記した鉄パイプ製ビラミット型のオブジェというか、造作物がここからもハッキリと見てとることができる。ちなみに、この小さいピラミッドは三山の何れにも置いてある。もちろん、ここ観音岳にもだ。
 11時30分、ここを後にして、最後の薬師岳へ向かう。
 頂上が直ぐ目の前に見えており、しかも降りであるので、直ぐに着くであろうと思っていたが、結構、時間がかかるもので頂上到着は12時10分、出発から40分後であった。
観音岳からの眺め (後方は薬師岳と富士山)
 頂上では、2組がラーメンの食事をしていた。だが、私たちは食欲がなく、ここではコーヒーを飲むだけにする。コーヒーのついでに、水の話を少しする。このコースは水場がないので、今朝、鳳凰小屋を出発するときにお湯1ℓ、水1ℓ、飲料用のジュースとポカリスエット1.5ℓを用意、持参したが、この頃になると残りの配分を計算しなくてはならなくなっており、これでも不足気味であった。このことを教訓にすると、ここのように水場のないコースでは、多めの水を持っていかなければと痛感する。
 12時30分、名残り惜しいが、あまりユックリもできず、ここから青木鉱泉へ直接に降りる中道ルートで予定どおりに下山となる。
 いつもなら、下山時には後を振り返り、振り返り、また、何時の日にか来てみたいと名残りを惜しみつつ降りるものだが、ここはザレ場を2、30mも急降下すると樹林の中の急降下に変わり、振り返っても何も見えなくなる。それより滑り落ちないよう必死に木の枝、根っこにしがみつきながらの下降が続き、何時の間にやら、こんな感傷は吹っ飛んでしまっていた。
 こんな樹林帯だったが、これについて疑問というか、考えたことがある。前回の甲斐駒ヶ岳や仙丈ヶ岳の際にも感じたことだが、南アルプスの森林限界は27、2800m辺りだと見受けられる。これに対して北アルプスのそれは2000m前後だと思われる。この差は何によるものだろう。ある人は、「その位置の南北の温度差による植物の生育の度合いの違い」だという。だが、肉眼で視認できるような近い距離にある北アルプスと南アルプスの間に植物の生育に影響を与えるほどの温度差があるとは考え難く、この説には賛同しかねる。私は、これらの山脈が形成された年代が関係するのではないすと思っている。すなわち、南のほうが北より早くできたことは事実らしい。仮に1000年かかって1m、森林限界が上へ伸びるとすると、700mの差は70万年となる。両山脈の形成された年代の差が70万年となる。実際にどのような数字を当てはめると良いかの知識はないが、基本的にこのように考えたほうが説明がし易いが、実際はどうであろう。温度差か、年代差か、はたまた他の原因か、御存じの方の御一報を待つ。
 閑話休題。1度道を間違えて15分くらいのロスタイムがあるが、13時40分に御座岩を通過する。
 その後、14時から約30分の昼食を除けば、あとは『歩け、歩け』の強行軍で降り降りる。この強行軍が原因か、その他に原因があったかどうかは分からないが、昼食のラーメンは2人ともに半分くらい食べ残す。このときの心境は、「ラーメンより思いっ切り、水が飲みたい」というもので、残り少なくなった水を分けあって飲んだ。
 15時頃になると、針葉樹林の中、笹を切り払って作った歩き易そうな道に変わってきた。しかし、これが『あに(豈)図らんや』である。道には無数の木の根が地表に顔を出したり、地中浅くに埋まっている。加えて、この辺りは山の北斜面で湿気が多く、根っこは濡れた状態である。うっかりと乗ってしまうとツルッと滑るので始末が悪く、悪戦苦闘を強いられる。
 17時10分、夕闇が迫る中、ようやく青木鉱泉に辿り着いたときには、足はガタガタになっていた。
鳳凰山での証拠写真

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