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2017-04

百名山の思い出・その18(前編) - 2013.05.10 Fri

鳳凰山 (ほうおうさん・2840m)
 1999年の遠征登山は、天候に恵まれなかった。
 先ず最初に計画した3月の御嶽山は吹雪で登山口まで行くことなく断念。この帰途に立ち寄った南木曽岳も頂上を踏むことなく途中でリタイアを余儀なくされた。
 5月の唐松岳・五竜岳も天気が良かったのは初日の午前中のみで、続く7月の甲斐駒ヶ岳・仙丈ヶ岳も曇りや雨。8月の雲ノ平行きも、4日間ともカッパを着けない日はなしというように、天候が良かった山行きは1度もなかった。このため、この年で最後の遠征となる10月の体育の日に絡む連休の天気は気になるところであった。
 この連休は、諸案を検討した結果、南アルプスの鳳凰山に決定した。
 ちなみに、鳳凰山という名前の山の頂はない。この山域というか、1つの尾根には薬師岳、観音岳、地蔵岳の3つの山が並んでいて、これらの総称が鳳凰山もしくは鳳凰三山である。なにゆえ、この3つの山を鳳凰山もしくは鳳凰三山と称するのか、その理由を私は知らない。
 この山へ行くには、夜叉神峠から往復するか、夜叉神峠から鳳凰山を経て早川尾根で広河原へ降りるかが考えられる。事務局(スナック・奈つ)で、姫君と私がこれらのルートの検討を行っていると、そこへ貴船亭盗介さんがやってきた。彼が曰く、「鳳凰山なら東側の青木鉱泉から周回するコースがあります」と……。そして、コースを紹介したガイドのコピーも持ってきてくれる。これで鳳凰山へのルートは、青木鉱泉からドンドコ沢を経て鳳凰三山を縦走、最後の薬師岳から中道で青木鉱泉へ戻るという周回に決定した。
 盗介さんとは、鈴鹿の雨乞岳で初めて出会った。名刺を交換すると、何と彼は事務局の隣のビルで料亭貴船を経営していた。こんな奇遇が取り持つ縁で、以後、互いの知り得た情報を交換するという付き合いが始まり、これがずっと続いた。
 盗介さんは上方志向の強い人物で、活動の場をアルプスに求め、またクライミングにも果敢に挑戦するなど、私とは少し肌合いが異にした。だが、何故だかウマが合い、私たちの事務局を撤退するまで交流が途絶えることはなかった。ちなみに、私たちより遅れること数ヶ月で、料亭貴船も閉店となって交流は途絶えた。気になっていたが、昨年、涸沢で盗介さんに出会った人があり、私より5歳も年長ながら、まだ元気にアルプス通いを続けているようだ。こんな彼の活躍を聞くと、私も頑張らなければという気持ちにさせられる。
 閑話休題。こうして、10月10日および11日の2日間は鳳凰山の縦走に決まるが、どうこうするメンバーは集まらず、姫君と私の2人だけで行くことになった。この山行記も、ヨレヨレ新聞第016号に掲載されていたので、これをもって百名山の思い出とする。
 《以下、ヨレヨレ新聞より転記》
登山口、青木鉱泉の風格ある玄関
 10月10日に日付が変わったばかりの深夜の0時10分、事務局を出発する。
 コースは、事務局から春日井までは国道19号、ここから韮崎までは中央自動車道、韮崎ICを降りてからは国道20号と小武川林道を走り継いで青木鉱泉へという計画だった。
 当初、一気に走って青木鉱泉で仮眠する予定であったが、高速道を走りながら『真っ暗やみの中を1度も通ったことのない林道を走っていけるだろうか』と考えると不安になってきた。このため、韮崎ICに最も近い八ヶ岳PAで仮眠、明るくなってから青木鉱泉まで走ることに予定を変更した。
 3時過ぎ、八ヶ岳PAに到着、仮眠する。そして5時過ぎに辺りは白み始めたようで、この気配で目を覚まして直ちに車を走らせる。
 なお、ガイドブックには、『韮崎ICで中央自動車道を降りて国道20号線で諏訪方面に向かい、小武川を渡って武川村に入ったら最初の宮脇交差点を左折……』と書いてある。ここまでは、このとおりに間違うことなく走ってくることができたが、この先がいささか分かり難く、真っ暗やみの中を走ってきては難儀したことは確かで、途中の仮眠は正解であったと自画自賛する。ちなみに、ガイドブックは東京を起点にして書かれており、反対方面の名古屋から行く場合は注意したほうがよい。というのは、今般、韮崎ICで降りるとあるが、名古屋からの場合は2つ手前の長坂ICで降りたほうが、時間も費用も少しは節約できることになる。
 青木鉱泉には、八ヶ岳PAから1時間余で到着。直ちに駐車場に車を入れて身支度を整える。ちなみに、この駐車場は、青木鉱泉経営の有料(1日700円)なので、先ず最初に、ここを訪れて料金を支払ってから出発となる。
 7時10分、青木鉱泉の前庭に建てられた案内板に従い、ドンドコ沢に向かって歩き始める。
 この庭を抜けると直ぐ、沢道と山道の分岐になっていた。
 「どちらから行く?」と姫君のご意向を伺うと、あっさりと「どちらでもいいわ」とのこと。「じゃぁ、山コースで行こう」と、道を右手に採る。こちらを選んだのに別に根拠があったわけではない。強いて言えば、沢コースだと岩の上を飛ばなくてはならないかも……、という光景が脳裏を過ったためだったかもしれない。ちなみに、この先、山コースと沢コースの合流点には、親切なことに山コースのほうが沢コースより10分ほど余計にかかる旨の表示があり、『しまった』と後悔することになる。
 山コースは、最初、山腹のジグザグ道を20分くらい登ると尾根に出るので、ここを更に峠まで登り上がり、ここから大きく下って、また、登り返すという具合に起伏がある。一方、沢コースは、単調に登り上がるだけというのが10分という時間差になるようだ。
 8時20分、沢コースとの合流点に到達する。朝食前のひと歩きで腹も減ってきたので、今、横切ってきた沢まで戻り、ここでオニギリとスープの朝食を摂る。
 このとき、顔を上げるとスッキリと澄み渡った真っ青な空、所どころに見える白い雲がアクセントをつける絶好の山歩き日和。今日が晴れの特異日、10月10日であることを目で実感する。
 歩き始めたときは、薄い長袖シャツだけでは少し肌寒いので余分に1枚着るかどうか迷ったが、止めにして正解という、ほどよい気温である。
 あまりの天気の良さに、「サングラス、持ってきた?」と姫君に尋ねると、「持っているわ。でも、この帽子だけで日よけの帽子を持ってこなかったの、困ったわ」と、被っている野球帽を指で示す。『女性は余分な心配をしなくてはならないので大変だ』と、内心、憐れんでいたが、これは何も女性だけに限らないことが後になってわかった。ここから帰って、2、3日、私も唇がパサついて仕方がなかったが、これも日焼けの後遺症のようだった。
南精進ノ滝、滝壷には近づけず
 8時50分、再び、歩き出す。ここからドンドコ沢を登り上がり、見所の4つの滝、すなわち南精進ノ滝、鳳凰ノ滝、白糸ノ滝、五色ノ滝を巡るコースに入る。
 道は、これまで同様、沢の左岸にシッカリとしたものが付いている。また、要所、要所に道標や案内表示板が取り付けられていて道迷いの心配は少ない。加えて、本日は登り降りともに登山者が多いのも、未知の道を歩く不安を払拭してくれる。それより、これだけ多くの登山者がいては、小屋に着いてからのテント場の確保ができるかという心配のほうが先に立つくらいだった。
 10時05分、最初の滝である南精進ノ滝への分岐に到着する。
 この分岐に荷物を置き、空身で他木見物のために沢へ降りる。滝壺まで行くことができるものだと思っていたが、大きな岩に行く手を阻まれて簡単には近付けない。「この岩を乗り越えて行ってみる?」と姫君の意思を確認しつつ、岩を乗り越えるべく試みるが、これがなかなか容易ではなかった。私が、モタモタしているのを後ろから見ていた彼女が、「そんなところ、危ないから止めようよ」という。これで前進を諦めて、滝見物は岩の手前から上部だけを垣間見ただけでお茶を濁す。ここに私たちが滞在していた間に、この岩を乗り越えて行った者はおらず、皆、私たち同様にここから引き返したようだ。実は、この滝を見物するための展望台が沢へ降りる途中に作ってあるが、この時期では樹木の枝や葉っぱが邪魔をするので展望は満足できるものではない。
 10時40分頃、鳳凰ノ滝への分岐にやってきた。
 南精進ノ滝のときと同じように、ここを荷物置場にして滝を往復しようとしていると、「滝の先で登山道と合流しますよ」と親切に教えてくれたうら美しい女性がいた。彼女は、ここに来るまでに抜いたり抜かれたりしてきており、顔は見知っていたが、言葉を交わすのは初めてだった。これを機に話すようになり、彼女が沼津から息子さんと2人でやってきたこと。写真が趣味ということなどなどが分かり、この先、鳳凰小屋まで相前後して歩くことになった。
 下ろした荷物を再び担ぎ上げて滝へ向かって歩き始める。ここから滝までが長かったうえ、結構な急登を強いられ、「はぁ、はぁ、ぜい、ぜい」といわされることになる。『荷物を置いてこなかってよかった』と彼女に感謝することしきりだったが、とても口がきける状況ではなく、感謝の気持ちを口にして表すことはできなかった。
 11時15分、ようようの思いで、鳳凰ノ滝に到着する。
 この滝は、左右に相対した2ヶ所の落ち口を持ち、これらから流れ落ちる水が途中で1つになり、水量を増して落ちるという規模の大きいものだった。しかし、これまた近付くことはできずに遠くから眺めるだけで、『苦労して登ってきた割には報われない』という、いささか、拍子抜けする滝でもあった。
 この滝見物を終え、登山道へ降りる途中で、大きいパーティが下の方を通り過ぎていくのが見えた。「あの連中、滝を見ずに行くよ」と私がいうと、「知っているのよ。苦労してまで見る価値のないということを……」と姫君も応じる。「そういえば、鈴鹿の庵座ノ滝のほうが見応えがあるね」と、鈴鹿の良さを再認識していた。
 登山道へ復するが、ここからも相変わらずのキツイ登りが続き、かつ、木の根が階段状になっていることが多くて私には不向きな道だ。これだけでは分からないといけないので補足すると、私は足が短いうえに身体が固くて足が高くは上がらないので、こういう道は非常に堪えるのだ。また、樹林の中で木の枝がザックにつかえるので歩き難いこと、この上ない。
鳳凰ノ滝、垣間見たという程度
 ついでに荷物について述べておく。
 家で最初に荷物を作ったときには15kg。担いでみると軽い。『これならよし』と軽量化に気を良くするが、その後、飲料水、生鮮食料品や弁当などが加わり、最終的には18kgくらいになり、このとき、これを担いでいる。雲ノ平の際の荷物に比べれば軽いが、半日歩くと、この荷物が気(負担)になるようになっていた。
 12時45分頃、白糸ノ滝に到着する。
 この滝も近くまで立ち寄ることは適わないのに加えて、このとき、少しガスが出てきていて見通しも悪く、スカッとした滝とはなっていなかった。また、名前からは細い糸を引くように流れ落ちる滝を想像していたが、現物は太くて短い滝であったこともガッカリとさせる因となり、早々に引き揚げることになる。ちなみに、後日、写真を整理すると、この滝の写真は姫君が2枚、私が1枚の計3枚しか写していなかった。この1件だけでも、このとき、どれだけ拍子抜けであったかが分かろうというものだ。
 ここで遅めの昼食となるが、オニギリとお茶だけの質素なものである。献立に問題があるか、疲労が原因なのかは定かでないが、2人ともあまり食欲はわかず、姫君にいたっては、オニギリ1個だけであった。いつもの健啖ぶりは影を潜めている。ちなみに、私は2個であった。
 昼食後、最後の滝、五色ノ滝へ向かう。この頃になると、内心、滝見物などはどうでもよくなっていた。それより、何時になったら小屋に到着するか、それまで体力が持ち堪えられるか、そのことのほうが気がかりになってくる。要するに、このコースはハードである。
 13時45分頃、五色ノ滝に着く。
 あまり期待はしていなかったが、一応、最後の滝でもあり、下に降りて見にいくことにする。下に着き、滝を眺めて、今回、初めて満足する。落差といい、水量といい、申し分ないもので、とても品格のある滝だということができる。実際にはいかなかったが、行こうと思えば滝壺の近くまで行くことは可能で、見取れて立ちつくしていた場所にも途中の岩にぶつかって砕け散った水の飛沫が風に乗って届いており、長居をすればシャツも濡れてきそうで、滝に遭遇した臨場感に堪能、充分な満足感を味わうことができる。
 ここが終われば、あとは立ち寄る所もなく、小屋まで一直線である。
 また、幸運なことに、ここを過ぎると今までのような急登は影を潜めて傾斜の緩やかな登りとなる。本来なら、時間稼ぎで足を速めたいところだが、このとき、私の足には自分の意思が伝わらなくなっており、このように平地を歩いたら人が笑うという、ヨロヨロとした歩きになっていることが自分自身でも分かる。姫君にも、「だいぶ、足にきているのね。もう少しだから頑張って……」と、冷やかしとも、励ましとも、どちらにも受け取れそうな言葉をかけられながら、何とか足を前に出している始末で、今まで後になり、先になりしてきた他のパーティ総てに追い抜かれてしまうことになる。
白糸ノ滝、名前と不釣り合いの幅広い滝
 小さい丘を乗り越え、次の登りの斜面に入る手前で、私たちの進行方向に矢印を向けて『北御室○○(○○部分の文字は読み取り不能)⇒』の標識を見る。これまでの標識には、進行方向は『鳳凰小屋』もしくは『地蔵岳』であり、北御室○○というのは初めて聞く。一瞬、道に迷ったかとの思いが頭に浮かんで青くなった。ちょうと、前方から下山者がやってきたので、「鳳凰小屋のほうからおいでですか?」と尋ねると、「はい」との答え。「実は、あそこに北御室○○という標識が出ていたので、道を間違えたのかと思いました」というと、「あぁ、それはこの辺りの地名のはずですよ」と教えてくれ、これで不安は解消した。この人、学生風の若い女性だったが、『よく知っているな』と感心しながら礼を言って別れる。ちなみに、後日、地図を見ていると、『北御室小屋跡』という文字があった。昔、このような名前の小屋があり、この標識はここへ誘導するためのものだったことが分かった。
 ここを過ぎると、道は水のない沢の中へ入って行く。この沢はドンドコ沢の源流部で、私たちはドンドコ沢の中を歩いて行くことになる。
 次に、この沢を右手に出て、暫く歩くと、木立とか、背の高い草に邪魔されてハッキリとした輪郭は分からないが、小屋らしきものが見え隠れするのに気付く。姫君に、「あれ、小屋じゃぁない」というと、「そのようね」と姫君も確認する。半ば、安堵しながら道に沿って右に曲がると、小屋が全貌を現した。着いた、やっと着いた。
 小屋到着の正確な時間の記録はないが、15時少し過ぎた頃だったとの記憶である。
 青木鉱泉からの所要時間は8時間。コースタイムは5時間であるので、この6割増しの時間を要したことになる。ただし、コースタイムには滝見物の時間は含まれていない。登山道から滝までの往復の時間、滝見物の時間が含まれていないことになるが、これを1つの滝で30分と仮定すると、滝4つで2時間が余分にかかることになる。これを差し引けば、正味は6時間となり、私たちなりに健闘したことになる。そして、こういうときにいうのだろう。マラソンの有森裕子さんの名文句、「自分を褒めてあげたい」と……。
 本日の小屋は満員だった。
 ここは南アルプスなので、北沢峠の小屋と同じ山域である。北沢峠の小屋では、前回、予約せずに訪れて断られたので、ここはどうしているのだろうと尋ねてみると、「予約制は採っておりません」とのことだった。小さな小屋なので定員を大きく上回る登山者が押し寄せてきたときにはどうするのだろうと、逆に心配になったほどである。
 小屋ではテント泊の手続き(1人400円)をしてテント場に行くと、既に立錐の余地のないほどにテントが張られている。係の青年の指示に従い、ほんの僅かの空間に、隣のテントにぴったりとくっつけて、私たちのテントを張り終える。
 テントが完成すると、小屋でビー(350ccが600円)を買ってきて、無事の到着を祝って乾杯。引き続き、持参の焼鳥とウィスキーの水割で酒宴を催す。材料が切れて酒宴は取り敢えずお開きにして、次は夕食。これは決めて会ったとおりに和風スパゲティだった。
 食べ終えたときには、スッカリと陽は落ちて気温も下がって寒くなっていた。「寒い、寒い」といっていると、テント場の係の青年が「小屋の中の談話室にコタツがあります」と教えてくれる。
 早速、ウィスキー持参で談話室へ姫と2人で出かけ、小屋泊まりの人たちと団欒。姫君は早めに切り上げたが、私は意地汚く飲んでいて、スッカリと酔っぱらってしまう。さて、帰る段になるが、無数のテントが隙間なくぎっしり張られているので、自分のテントが分からなくなってしまう。窮余の一策、大声で姫君の名前を叫び、姫君にテントから出てもらって野宿だけは免れた。テントへ入るときには近くのテントから失笑が漏れていて、中へ入ってからこっ酷く叱られたことは改めて書くまでもないだろう。
五色ノ滝、前の3つは前座だった

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