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2017-08

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丸山(まるやま・650m) - 2011.03.01 Tue

 藤原岳から主稜線を南下すると、南東へ派生する尾根があって、これを孫太尾根と呼んでいる。
 この尾根の上には、標高点387mの神武、同じく834mの草木、同じく965mの多志田山という3つのピークがある。この他に計測はされていないピークが神武と草木の間にある。これが標高650m(概算値)の丸山である。
 この尾根の存在を知ったのは、10年くらい前に絵地図の名人・奥村光信さんから、ここの絵地図をもらったのが最初である。
 また、この尾根を具体的に肌で知るきっかけは、こんな具合であった。
 ある年の冬、藤原岳避難小屋で休んでいると、カンジキを着けて雪まみれの一団がドヤドヤと入ってきた。彼らは孫太尾根から縦走してきたと、高揚した口調で話していた。疲労を漂わせる顔ではあったが、達成感、満足感も併せ窺えた。
 こんなルートを知ると、一度は歩いてみたいとの願望は強まってきたが、何せ、ここはバリエーションルートである。私たちのような初心者では無理かもしれないと躊躇させるものがあって、なかなか一歩が踏み出せないでいた。
 また、このルートは長く、往路で孫太尾根を使ったとしても、復路もとなると私たちのような鈍足では無理があるので、帰りを大貝戸から降りるとすると、登山口と下山口の間が離れ過ぎている。したがって、車を2台使うか、何か他の方法を考えなくてはならないというのもネックになっていた。
 最初にここを歩いたときは、私たちの車を大貝戸の登山口に置き、御池岳に登る予定の岳友に無理をいって新町のバス停まで車で送ってもらった。このときには面白いエピソードが残っている。
 登山口は、新町の墓のある所だとは分かっている。でも、新町と町が付いているが実態は田舎そのもので、集落の中の道は曲がりくねっていて、初めてでは前述の名人・奥村さんの地図を見ても目的地までの道順が分かり辛い。
 そこで、取り敢えず集落の奥の方へ足を向けて進み、とある人家で墓への道を尋ねる。家人は老夫婦のみのようで、彼らは耳が少し遠いようであった。2、3度、尋ねると質問の意味が分かったようで、「真っ直ぐに進め」と、手を指し示して教えてくれた。その方向へ歩いていると、先ほどの老夫婦が自転車で追いかけてきて、手振りで付いてくるようにという。彼らに付いて行くと、墓地があった。その中の1つの墓石を示して何かをいうが、何をいっているかは理解できなかった。そのとき、姫君が「これが孫太の墓とか言っているんじゃぁない?」と通訳してくれる。孫太尾根と墓のキーワードから、この老夫婦は「孫太とか、それに近い名前の人の墓」を連想して、ここへ案内してくれたということだったと推定できるが、この推理が正しかったか否かは分からない。以来、この家の前を通るたび、『あのお爺さんたち、達者だろうか』と何時も思い起こしている。
 こんな具合で、登山口まで辿り着くのがやっとだったが、登山口を出発してからも大変だった。墓の奥の水道施設脇を道に従って進むが、左手に入る道が見当たらない。今では、水道施設の途切れた辺りから左手に入る薄い踏み跡が付いているが、その当時は道などまったくなかった。仕方がないので、右手の尾根へ直接に登り上がることにして、これに取り付くが、ここがまた急である。立木などを手掛かりにして闇雲に登って行ったが、後日、姫君に散々に文句を言われたものだ。
 その後も、この直登を試みたが、その次に左手に尾根があることが分かって、これを試みるが、これも神武祠跡手前の炭焼き窯跡までで、ここからまた尾根に直登する。
 こんな具合で、昔の参詣道を見付け出すまでに何年もかかっている。
 この他にも、ここに関する苦い思い出は幾つもある。また、機会があったら恥をさらすようだが、紹介していく。
 ここ1、2年は、藤原岳まで縦走するのは少なくなっていて、昨年などは総てが丸山止まりであった。原因は、やはり体力の衰えと、先ほど述べた交通手段の問題が挙げられる。ちなみに、自転車で登山口と下山口を繋いだことがあるが、1時間もかかるうえに、坂道では自転車を漕げずに、押して登らなければならない箇所もある。

孫太尾根から藤原岳、銚子岳を眺める!

 2月26日、天気予報も良かったので、この丸山へ出かけることにした。
 最近は暖かく、朝、起きるのにも抵抗がなくなってきたので、何時もより早い7時20分頃に自宅を出発している。
 そして、9時前にはお墓横の駐車場に到着する。土曜日だというのに、三重ナンバーと大阪ナンバーの2台の車が停まっているだけだった。
 ここへ着く前に車中から孫太尾根を観察するが、草木辺りまでは雪は残っていないように見受けられた。このことを姫君に伝えたが、姫君はまったく信用なさらず、スパッツを着け、アイゼンも持参するという用心深さで、支度に随分と時間がかかってしまい、ここを出発したのが9時08分であった。
 ここから直ぐに左手の林の中に入っていき、高み、高みへと進んでいくと、いつしか尾根の上を歩いていた。途中、尾根下の広い掘割状の道が出てくるので立木の邪魔する尾根を敬遠して、この道を辿ると、出発してから10分ほどで、炭焼き窯跡にやってくる。
 ここからが道というか、踏み跡が不鮮明になるが、方向としては左手斜め前方に方向を採るというか、尾根に沿うように進んで行けばよい。ここを適当に登って行くのだが、傾斜は強くて足に力を入れて踏ん張りながら登らなければならない。
 9時24分、神武祠跡にやってきた。ここには新町の住民の一部の氏神様を祭った神武神社があったが、だいぶ前に下の集落の中へ移転したので、現在では、当時、使用していたトタンの切れ端と、ここに祠のあったことを記した比較的新しい石杭が埋め込まれている。ちなみに、この先のピークに『神武祠跡』という手製の標識が木の枝に吊るしてあるが、これは標識の製作者の間違だ。『神武祠跡』というのは石杭の所であって、標識の掛けてあるピークは『神武』というのが正しい。彼(彼女ではないと思う)は、この辺りのことを混同しているようだ。
 ここで姫君が、上に羽織っていた冬用のヤッケを脱いだので、私も毛のスポーツシャツを脱ぎたかったが、風が吹くとまだ冷たいので半袖のティシャツ1枚では寒く、脱ぐのを辛抱する。
 ここから暫く踏み跡の分からない部分が続くが、何時の間にやらシッカリとした道に変わってくる。こうなると稜線は近い。
 9時39分、稜線に辿り着く。
 これで孫太尾根に乗ったことになり、ここの左手には前述の標高点387mの神武というピークが手の届きそうな位置に見えている。これに向かって尾根を忠実に辿って行けばよい。
 この稜線通しで行く手段の他に、ここから直進すれば神武を踏まずに行ける尾根下の水平な巻き道があるので、省力化してこれを通っていく。
 巻き道が終わると、林状の広い尾根になるが薄い踏み跡があるので、これを辿ればよい。ちなみに、積雪期でトレールがなくとも、何とか尾根芯であることが分かるので、雪があっても大丈夫である。
 この先、尾根は狭まり痩せ尾根と化してくる。この痩せ尾根の上の立木を避け、木の根っこを避けながら歩いて行くと、再び、尾根が広がってきて、山腹を登るような感じに変わってくる。そして尾根を乗り換えるように登り上がると、再度、尾根の上に立つ。ここからは藤原岳を始め、銚子岳などの雪を被った白い頂の繋がりが、本日の晴天に一段と映えている。このとき、10時05分で、出発から概ね1時間を要した勘定になる。
 ここから先、先ず忠実に尾根の上を歩いて行く。尾根から外れるときは、尾根上を塞ぐブッシュを避ける所が2ヶ所ばかりあるだけだ。あとは、狭い岩場などが、これまた2ヶ所ばかりあって歩き難いが、道を間違えるような所はない。
 最後の樹林帯を抜けると、目の前は灌木と岩のゴロゴロした急傾斜が立ち塞がるように待ち構えている。ここが丸山への取り付きだ。ここは雪が解けてからそれほどの日数が経過していないので、明確な踏み跡はなく、樹木や大きな岩を避け、歩き易いと思う所を上に向かって登っていくと、踏み跡らしきものが断続的に残っている。
 ここは登るのには道があってもなくても、踏み跡が付いていようがいまいが何の痛痒も感じない。だが、降りの場合はこの限りでないので注意が必要だ。
 何時だったかは忘れたが、ある年の春先、単身でここを歩いた。登りの途中から雪が降り出した。加えて、頂上に着いた頃には、これが本格化して、見る見るうちに辺りは真っ白と化してきた。悪いときには悪いことが重なるもので、ガスが濃くなって視界が利かない状態になった。頂上から降ることになったが、地表は真白、視界もなしという状態だったので、何回も行きつ戻りつの苦労の末、何とかこの取り付き地点まで戻ることができてホッと胸を撫で下ろしたことがある。こんな条件のときは、何年に1回、10年に1回ということだろうが、起こらないという保証はないので注意したい。
 こうして、10時49分、丸山の頂上に到着する。
 この時間なら草木まで行こうと思えば行くことができたが、行ったところで収穫が望めるわけでもないので、頂上で30分余ばかり遊んで、11時23分に下山を開始する。
 本日は、天気も良く見通しも利くので、方向を定めて一気に下りることができ、難なく取り付き地点に戻る。ここからは尾根歩きだ。途中の日当たりのよい岩場で20分ばかりのランチタイムを楽しんだ末、12時57分に登山口に帰り着いた。
 こうして、登り1時間41分、降り1時間11分、休憩57分という丸山登山を終えることになった。

丸山頂上

● COMMENT ●

おかげさまで

こんばんは!
去年、教授様の繊細なレポで、念願の孫太を歩く事ができました。
改めて御礼を申し上げます。
お恥ずかしいミスで、大貝戸登山口から2時間かけて車まで戻ったのも
今となってみると懐かしい思い出です(笑)
あの時はたまたまタイミングが悪く、雪で花はあまり見られませんでしたので
孫太の良さというのがまだ分かっていません。
条件の良い機会にまた歩いてみたいと思っています。
ちなみに停まっていた大阪ナンバーの車は私の山友で
草木まで行って戻ったそうです。
やはり、あまり成果はなかったみたいですねぇ(笑)

No title

 SIVA先生、おはようございます。
 先生はお顔が広くいろいろな所にお友達がお見えで、少ない私からみると羨ましい限りです。「見習わなくては……」との思いはあるが、仁徳のない私には無理な相談です。
 孫太尾根は、これから暖かくなるにつれて華やぎを増してきます。この頃を狙ってもう一度くらい、ここへも行きたいと思っております。
 先生の所からは少し遠いという難点はあるが、歩いてみるとそれだけの価値はあるとおもいます。
 ぜひ、もう1度、お越しください。その節にはお供させていただきます。
 


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