topimage

2017-05

御在所岳頂上は荒れ模様 - 2013.05.03 Fri

寒い鈴鹿に花は無し
 前回、馬ノ背尾根(鎌ヶ岳)でアテにしていたバイカオウレンが空振りだったので、何処かで埋め合わせをしたい。
 この花を馬ノ背尾根で見るようになった前は、御在所岳の一ノ谷新道で見ていた。ここへはしばらく行っていないが、多分、咲いているだろうと思い、ここへ出掛けてみることにする。
 幸い、このゴールデンウィークの前半の天気は芳しいものではなかったが、中盤から持ち直しているので、この面での心配はしなくともよい。
 このため、昨日、5月2日にここへ行くことに決めた。
 ここには駐車場がないことは、前の馬ノ背尾根のときに分かったので、この日も何時もより早い時間に家を出ることにした。
 途中の道は、この日は休日でないこともあって混んでいたが、走行に支障をきたすほどではなく、ほぼ何時も通りに走りきることができた。
 目的地に近付き、真っ先に目をやったのが、この前に駐車した場所だった。だが、この空地には4、5台の車が停められていて駐車する余地は残っていなかった。
 御在所山の家にやってきた。この前の道路は広くなっていて、何時もなら10台内外の車が停められるが、本日は道路に沿って縦列駐車してあるため、4、5台でいっぱいになっていた。バカ者が早く来て、変な停め方、後のことを考えない停め方をするのでこれだけしか止まらないのだと胸の内で毒づきながら他を探すことになる。
 この反対側、斜め西側にも道路が膨らんだ場所があり、以前、ここもビッシリと車が停まっていた。だが、ここは、土が流れ出たためか、地面がガタガタになってしまい、車を出し入れすると腹を擦るようになってからは特殊な車しか停められない。この場所には、今、1台も車は停まっていない。注意深く観察すると、車の腹を擦らないで出し入れできる所が1台分だけだがあることが分かり、ここへ車を駐車させる。ちなみに、この直ぐ下に武平道(武平峠へ通じる登山道)が通じており、以前、ここのガードレールの下をくぐり抜けてスカイラインと武平道の間を行き来していた。
 本日、家を出るときには長袖のTシャツの上に裏地付きのベストを羽織っていた。車から降りると、これだけでは寒く感じた。このため、車に積んであったフリースの上着を、その上から着込むとちょうどよかった。
 ここの気温が何度であるかは分からないが、相当に冷え込んでいることだけは確かで、まだ雪の残る早春の気温といっても差し支えないだろう。こんな寒さではあったが、晴れているのが救いで、陽が高くなれば気温も上がってくるだろうと、これに期待を託していた。
 こんな中、8時53分、出発する。ちなみに、こんな分単位の細かい時間が分かったのは、本日、久しぶりにコンパクトデジタルカメラ(コンデジ)を持参してきたからだ。
 駐車した鈴鹿スカイラインから御在所山の家への通路となっている階段を登っていく。階段を登り詰めた所で、右に行けば本谷コースの登山口、左へ進めば一ノ谷新道コースのそれに出る。もちろん、私たちは左手、一ノ谷新道へと進路を採る。
 この登り始めの道端には、例年、ショウジョウバカマが多く咲いている。ある年には珍しい白色のものもここで見かけているので、『夢よ、もう1度』と、内心、秘かに狙っていたのだが、今年は既に終わってしまったか、まだ咲き出していないのかは判然としないが、ここではまったく見かけなかった。
 尾根ルートは、尾根に乗るまでは山腹をジグザグに急登させられることが多いが、ここもご多分に漏れず、勾配の急な道を登り上がらなければならない。登り始めということも加わって身体への負担は大きく、息は切れかかるし、足も上がらなくなり、頭の中では『ひと休みせよ、休憩しろ』と悪魔のささやきが聞こえてきて、この声が段々と大きくなってくる。
 こんな折、足元にピンクの花が見えた。そこへ目の焦点を合わせると、イワカガミであった。でも、まだ咲き始めたばかりで花の房も貧弱、色も淡くて、わざわざザックを降ろしてカメラを取り出すほど代物ではない。このため、そのままとおり過ぎる。この後、5、6回はイワカガミに出合うが、これらの何れもが最初のものと大差なく、写真を撮る気は起こらなかった。
 この頃になると、急登にも足が慣れてきたとみえて、頭の中の悪魔のささやきも聞こえなくなってくる。そして堀割状のザレた道から「ヨイショ」と登り上がると、尾根に乗った。
 尾根道は山腹に付けられた人為的な道とは異なって自然の勾配に従うだけで、楽ができたリ、そうではなかったりだが、ここでは平坦な道が続いて楽ができた。
 こんな道を歩いて行くと、私たちがチンポコ岩と呼んでいる岩の所にやってきた。ここには鉄板に焼き付け塗装を施した立派な看板が立てられていた。そこには『きのこ岩』と記されていた。上品に表現されているとはいえ、人間は似たような連想をするものだとの思いを強くした。きのこ岩というと、この御在所岳の隣の国見岳のものが有名だが、ここへは久しく訪れていない。足の状態、体調が元に戻れば、もう1度、行ってみたい気持ちも強いが、現実はどうだろうか。
 こんなことを思いながら歩いていると、私と同年輩か少し上かという歳恰好の登山者が追い付いてきたので道を譲る。後姿を見送ったが、その足の速いこと、速いこと。見るみるうちに私たちとの距離は広がり、直ぐに姿が見えなくなってしまった。彼なら頂上まで1時間くらいで登ってしまうかもしれない。同年輩といえども、達者な人もいるものだと感心するとともに、今まで弱音を吐いていた自分が急に恥ずかしく思えてきた。
 きのこ岩を過ぎると急登が始まった。尾根自体が急になったことが窺われる。
 こんな場合、普通なら何処かへ逃げ道を設けて急な部分を緩和させるのだが、ここはそんな小細工を弄することなく、真っ直ぐ尾根芯に道が付けられている。
 この結果、木の根っこや枝、細い幹などなど、手に触れるものは何でも使って身体を引き上げなければならなくなる。早い話、足だけでは登っていけなくなってきた。
 こんな道を登っていくのは大変には違いない。しかし、私のように足が弱ってきていることに加えて膝など部分的な疾患を抱える者にとっては、手を使うことによって100%、全面的に足に依存せず、両手の外に上半身にも負担を分散させて、足にかかるそれを軽減させるという利点もあるので、逆説的にいえば足に優しい道だともいうことができる。
 この登山道が急なのは新しく作られた道であること、それも登山者が作った道のためだと私は考えている。
 普通、低山の登山道は、昔からある道、すなわちマタギと呼ばれる猟師(ハンター)や、杣人と呼ばれるキコリとか炭焼人によって歩かれた道を利用していることが多い。このような道はいわば生活道路なので、大きな荷物を背負っていくとか、両手に抱え持っていくとか、また、ときによっては体調が悪い時でも歩かねばならない。このようなときに手を使わなければ登れないような道は役に立たないので歩かれないし作られない。逆かもしれないが……。
 これに対して、この一ノ谷新道など登山者が登山者のために作った登山道は、登る者のための道なので、登れれば良いし、登る人だけが使うので、他のことは考えなくてもよい。また、マタギや杣人のように山を知り尽くしてはいないため、尾根に狙いを定めたら尾根通しというように固執し易いのだと思う。ちなみに、この一ノ谷新道が作られたのは1960年代(昭和30年代後半)。鈴鹿スカイラインの工事で表登山道が通行できなくなったのに伴い、この代替として作られたと仄聞する。ただし、このとき生まれていなかった、ここまで歳のサバを読めば洒落(しゃれ)にもならずないので言い返ると、登山に無縁だった私には、代替としてだったか否か正確なことは知らないが……。
 閑話休題。右手の谷の向こう側にロープウェイの白い大鉄塔が見えてきた。正確ではないが、鉄塔の基部より50mくらい低い辺りではないかとおもう。ここがバイカオウレンが咲く所だ。いや過去に咲いていたことがある所だ。だが、目の前には白い花はもちろんのこと、葉っぱの緑の痕跡すらない。
 まだ、この上にも咲く場所があったので、そこまで登ることにする。
 ここまで登ってくると外気温は上がっていないが、厚着している上にザックが当たる背中は僅かながら汗ばんできている。もう少し濡れてから休憩でもしたら冷えが一段と増すのは分かっているので、ここで何か1枚を脱いでおくことにする。フリースの上着か、ベストのほうか、何を脱ぐかを迷ったが、結局、ベストを脱ぐことにした。
 ここを過ぎて暫くすると、道は尾根から外れて大きく左手へ巻いて登るようになる。ここは尾根上に大きな岩盤があって真っ直ぐに登り上がれないため、このコースの中で唯一の巻き道だ。
 この辺りにはハルリンドウが咲いているのだが、これもまったく咲いていない。咲いていないというより、花らしきものはもちろんのこと、葉っぱを示す緑色のものも視界に入ることは皆無だった。
 このとき、姫君が右手を指差して、「見える?」と尋ねる。「何が?」と問い返すと、「ガスよ、ガスが出てきたわよ」と不機嫌な答えが返ってきた。「じゃぁ、帰ろうか」と申し出ると、「こんな所を、また、降るの? あと、どれくらい?」と、その口ぶりからは、ここからは降りたくはないことがありありと読みとれた。「あと、30分くらいだろう。本谷でいえば、今、三角岩(一般的には潜り岩)の辺りだと思うよ」と、登り慣れて判断基準になる本谷を例に引いて私の直感したことを口にする。「まだ、まだじゃぁない」と不満気だったが、そのまま歩き続けたので、どちらでもよいと思っていた私もこれに従う。
 それから直ぐ、「雨、降ってきたわ。私、カッパ着るわ」と姫君が言う。私も顔を上げてみると、なるほど、霧雨らしきものが顔にかかるのが分かったが、これは一瞬のことだけに終わった。私がこれを確認したとき、姫君もたいしたことはないと思ったらしく、足を停めることはなかった。
 それから直ぐに、巻き道を終えて稜線に登り上がった。
 このとき、本日、3枚目の写真を撮っていたが、これを後から見てみると、10時11分だった。頂上に着いたのは、この27分後だったので、先ほどの会話はいい線を言っていたことになる。
 ここから水平の尾根を少し進むと、大きな岩の所で行止まる形になる。この岩が、『たかみ岩』というとの先ほどの『きのこ岩』と同様の立派な標識が立てられていた。
 ここは右から高巻くのだが、ここは高巻くというより、直接に岩場をよじ登る感じが強かった。
 この辺りから岩が濡れていて滑り易くなっているので要注意だった。本日、私はゴム長靴を履いている。これは底が柔らかいので踏ん張るときに力がかかると変形してしまう。このため、力が足元の岩へ直接には伝わらない感じがする。この感触が何だか頼りなくて余計に神経を使う。
 この難所を通過すると、また、違った岩場の急登が始まる。両側には笹が出てきて、この笹を見ると頂上は目前だ。
 このとき、下山者に出会った。彼が言うには、「頂上は猛吹雪でした」と。これはオーバーな表現だと思ったが、コンディションが芳しいものではないということだけは確かだろう。でも、ここまで来たからには行くより他に選択肢はないので、そのまま上へと進んでいく。
 ここは登山道が2本に分かれている。以前は登りの左側だけで、これは3m以上もある1枚岩の登降を1本の鎖を使って行っていた。その後、左側の笹の中を登り降りする人が出てきて、この踏み跡が道と化し、現在では後者が本道となっていた。ちなみに、左側には千切れて半分ほどになった鎖がぶら下がっていた。
 これを登り終われば、頂上は指呼の間である。グルッと左手へ緩やかに巻き上がっていけば、レストラン・アゼリアや旧・カモシカセンターのある頂上広場だ。
 10時38分、頂上に到着する。
 到着したとき、単独の女性登山者が声をかけてきた。「ここ、危険はないでしょうか。降りられますか」と……。こういう質問が、一番、困る。人によって危険である場合と、ない場合があるからだ。そこで「岩場の登り降りの経験はありますか?」と尋ねてみる。するとあるとの返事だったので、「それなら大丈夫でしょう。私たちのようなヨレヨレの老人でも登ってこれたのですから……」と答えて歩き始める。直ぐに、彼女が事故でも起こしたらという心配が頭をもたげてくる。振り返って、「今、言ったことは私見です。降るのは自分の責任で行ってください」と言わずもがなのことを口走っていた。
 先ほど出会った登山者の言のとおり、頂上は強い風が吹き荒れていた。雪こそ降っていなかったものの、斜面は黒と白とのまだら模様になっている部分が見られたほどだ。ちなみに、黒は土の色、白は吹きつけた新しい雪がザラメ状に残っている色だった。
 こんな頂上に長居は無用だ。中道から降りると決めると、トイレで用を足しただけで、この下山口へ歩き始めた。途中、ザッという音がザックで鳴り、顔が何だかスッと濡れた感じがした。風に細かい雪粒が混じっていたようだ。これで先ほどの登山者が語った吹雪という表現も満更嘘ではないと思った次第だ。
 こんな風ではあるが、ロープウェイの運行は行われていた。この乗客も多少はあったようで、ここを歩く観光客もいるにはいるが数えるほど。寧ろ、登山者のほうが多いという印象であった。
 こんな寂しい頂上を歩いて中道下山口に到着する。
 10時51分、下山を開始する。
 だが、この中道を選択したことは間違いだったことは直ぐに思い知らされた。続々と登山者が登り上がってくる。頂上から暫くは岩場が続くので渋滞しがちで、登山者は直ぐに団子状態になってしまう。こうなると、大型ツアーに遭遇したのと同じ原理で、下山者はズッと待たされることになり、私の忍耐力を試験されているようなものだ。試験の結果は、私が如何に短気であったとしても、数の力には屈服せざるを得ず、忍耐力には合格点をもらえることになった。
 また、この岩場の降りは手を使わなくてはならないが、岩が濡れているので、手袋は直ぐに濡れてしまう。こんなことは想定しておらず、持参している手袋は、所謂、軍手(軍隊用手袋)である。これは風を通すので、冷たくて仕方がない。一刻も早く取り変えたいのだが、交換しても直ぐに同じになることは分かっているので、8合目の岩場まで辛抱することにした。
 8合目は大きな岩場がある所で、ここで休んでいる人も多くて大袈裟にいえば身動きするのも困難なくらいだった。こんな場所で休む気にもならないので、手袋の交換という所期の目的を達成すれば、ここには用はなくなり、直ぐにここを後にする。こうして手袋を交換しても、暫くは指先に感じる痛みは消えず、これが消えたのはどれくらい経ってからだろうか。いずれにしても、大変な目に遭った。
 7合目のテラス(展望台)を過ぎると、登ってくる登山者は疎らになり、ホッとする。こうなると、余裕も出てきて歩きながら、姫君と相談する。この先、中道を忠実に辿るか、途中で抜け道を採るか、どちらを選択するかということが主題だ。キレットの手前で登山者とすれ違ったので、彼らに訊いてみる。「キレットの風はどうでしたか?」と。すると強風が吹いているとのことだった。キレットから先は尾根道なので、キレットの風が強ければ、その先も強いことは尋ねるまでもない。これで抜け道を使って降りることが決まった。
 この道は、『鈴木新道』と呼ばれている。某山の会の鈴木さんが開拓した道で、最初は彼らに付いて行って、この道を覚えた。その後、何回もこの道を通ったが、あるとき、姫君がこれと並行する別の踏み跡を偶然に見付けた。この道のほうが歩き易いので、私たちは専らこちらを利用することになって今に至っている。その後、御在所山の家の主人と話をする機会があった。すると、彼はこの道の存在を知っており、昔はよく使っていたとの由。以後、私たちは、この道を佐々木旧道と呼び分けることにした。
 最近、私たちは御在所岳の頂上まで登ることは少なくなっていて、この佐々木旧道を使うこともなくなっていた。このため、歩く前にはどうなっているかという多少の心配がなくはなかった。しかし、歩いてみた結果は、落ち葉に埋まって道だと知らないと歩けないかもしれないが、道そのものは変わっていないので、惑わされるようなこともなく、順調に降りることができた。ただ、本谷へ降りる場所が崩れて、旧来の道は歩けなくなっていたので、手前で谷の中へ降りて、これを降っていくことになった。
 そして、12時34分、御在所山の家の前に到着して、今回の御在所岳行きに終止符を打った。
 主目的であったバイカオウレンは影も形も見ることは叶わず、その他の花も往路のイワウチワ、復路のショウジョウバカマの他は何も目にすることはなく終わるという収穫なき登山であった。こんな登山だったので、ザックからカメラを取り出す機会は1度たりとももなく、重い荷物を何のために背負って歩いたか訳が分からなかった。これまでにこのような惨めな結果に終わったことが、何時、あったかは、思いを馳せてみたが記憶に残ってはいなかった。カメラといえば、コンデジのほうも散々であった。6度、シャッターを押していた。だが、最初に登山口に咲いていた花を『花モード』で撮り、そのままでシャッターを切り続けて最後まで気付かないというミスを犯してしまった。これで残りの5枚すべてがピンボケという、これまた無残な結果であった。
 でも、収穫は他にあった。
 今の体調および足の状態では、御在所岳頂上まで到達することは難しいとおもい、花を撮れば下山するつもりであった。したがって、あわよくば頂上までという思いは頭の片隅にもなかった。これが成り行きとはいえ、往路を1時間45分、復路を1時間43分というまずまずのタイムで往復できたことは花の収穫のなかったことを補って余りあるものだった。なお、頂上滞在13分を加えると、総登山時間は3時間41分という短いものであったが、中身は濃く、私自身を充分に満足させるものであった。

御在所山の家前に咲く花

● COMMENT ●


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://yore4040.blog24.fc2.com/tb.php/666-2c67115e
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

2012 山野草・その147 «  | BLOG TOP |  » 2012 山野草・その146

アクセス数

検索フォーム

最新記事

最新コメント

カテゴリ

登山 (147)
山野草 (416)
雑文 (139)
未分類 (14)
お知らせ (6)
案内 (2)
百名山 (22)
花旅 (75)
旅行 (29)
2014 北の大地花旅 (86)
2016・北海道 (83)

月別アーカイブ

リンク

このブログをリンクに追加する