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朝熊ヶ岳(あさまがたけ・555m) - 2012.11.14 Wed

歴史を感じる登山
 11月12日、志摩半島の相差(おうさつ)で泊まり、海の幸を味わった。
 折角、三重県の南の外れまでやってきたので、何処か山でもないかと探したところ、誰かが登ったとネットで報告していた朝熊山が伊勢市と鳥羽市の境にあったことを思い出し、ここに登ることにした。ちなみに、朝熊と書いて、どういうわけだか分からないが『あさま』と呼ぶそうだ。
 まず、朝熊山について説明しておく。
 この辺りには、標高555mの朝熊ヶ岳を最高峰とし、その他いくつもの峰々からなる連峰が形作られており、この連峰の総称が朝熊山だ。
 この連峰の1つの頂に金剛證寺がある。
 この寺は、伊勢神宮の鬼門を守る寺として有名で、伊勢神宮参拝の折には必ず金剛證寺へも参詣するのが習わしとなっていたといわれる。これは、‶♪ お伊勢 参らば 朝熊をかけよ 朝熊 駆けねば 片参り″と伊勢音頭にも唄われていることでも分かる。
 伊勢神宮に参拝する人たちが、この金剛證寺にも参るとなると、相当数の人々が登ったことになり、これを物語るように参詣道もいくつものルートがある。
 この参詣道は、①宇時から登る『宇治岳道』、②朝熊から登る『朝熊岳道』、③堅神(鳥羽市)から登る『堅神岳道』、④五知(磯部町)から登る『磯部岳道』が主要なものだった。
 このうち、近鉄鳥羽線に『あさま駅』の近くから登るルート、朝熊岳道が最短の道なので、現在ではこれが主要登山道となっている。
 これが朝熊ヶ岳に関する事前知識だが、これは山行記を書くにあたって調べて分かったことで、登る段階で得ていた知識ではない。
 相差のホテルの朝食は7時30分からだったので、ホテルを出たときは確か9時頃だったと思う。ここでカーナビを『あさま駅』に合わせて車を走らせる。何処をどう走ったかは審らかに説明できないが、駅の近くで朝熊ヶ岳登山道の標識を見付け、ここからはこれを頼りに進むと、車30台くらいを収容できる駐車場があった。ここには、トイレと四阿(あずまや)があり、車もいっぱいだった。ここが登山口の駐車場だということは分かったが、生憎なことに車を停める場所がない。仕方なく、白線外の邪魔にならない所に車を停めて様子を見ていると、1台が出ていき、そこが空いた。これ幸いと、そこへ駐車させる。
 身支度といっても、一時間くらいで登ることができるとのことだったので、登山靴に履き替えることもないと判断して、ジーパンに履いていた靴で行くことにする。荷物は、12時までには帰ってこられそうなので、お茶だけで良い。また、花は咲いていないのでカメラとか三脚は必要なく、荷物は何もない。このため大型のポシェットを腰に巻いただけ。姫君は登山靴には履き替えたが着替えはせず、普段、ハンドバック代わりに持ち歩くリュックを背負っただけという身軽ないでたちだった。
朝熊ヶ岳頂上
 駐車場を出ると、そこが登山口であった。
 9時57分、この登山口を歩き始める。
 勾配の緩やかな土の道で歩き易い。これなら足に優しい道なので、今日は楽ができると喜んだ。こんなとき、単身登山者が追い越して行った。先ほど、四阿で腰を降ろしていた人物で、下山してきたのかを尋ねたところ、これから登るのだと答えた男性だった。
 間もなく、道は岩の道に変わってきたが、この岩というのがゴロゴロしたものではなく、一枚の岩畳の上を歩くような形だ。これから判断すると、この山は岩の山かもしれないと思い始めた。
 10分くらい歩いた所で、道端に石柱が立てられていて、そこには『5町』と彫り込まれていたのに気付く。何だか分からないが合目を表す類のものだろうことは容易に推定できる。ちなみに、私は『5町』で初めて石柱に気付いたが、姫君は『4町』で気が付いたとの由。なお、帰路に注意して歩くと、登山口の手前に『1町』が埋められていた。
 そのうち、先ほど追い抜いて行った男性が立ち止まっていた。後から分かったことだが、彼は、毎日、ここを散歩がわりに登っており、ザックの中には鋸切りが入っていて、登山道へ張り出してきている邪魔な枝を切るなど、整備も行っている山の主のような人物だった。この彼が、私たちが名古屋からきたことや、この山が初めて登ることを知り、口には出さなかったが案内人を務めてくれ、色いろと説明をしてくれたので、1度では分からないようなことまで知ることができた。
 それによると、道脇にある『1町』、『2町』の石柱は、距離を表すものだった。すなわち、昔の距離を表す単位の『町』で、登山口からこの先の朝熊峠までの距離が22町、現在の長さの単位に換算すると2.4km内外ということになるらしい。ちなみに、1町は約109mということだった。
 そのうち、小さい橋が架かっていて、これを渡るが、この橋の下から真っ直ぐに上に向かって、以前、道路として使われていたような痕跡が残っていた。案内役の彼によると、ここには戦前にケーブルカーが敷設、運行されていたが、鉄塔など鉄材を戦争中に供出させられて廃業。戦後も再開されることはなかったとのことだった。戦前に、こんな辺鄙な山の中にケーブルカーが敷設されていたなど、想像しようにも想像できないことだ。当時、『朝熊駆け』に如何に多くの人々が詣でていたかが分かるというものだ。
 このことでも分かるように、ここは参詣道で老若男女、多くの人たちが歩いた道なので当然といえば当然のことだが、緩やかな勾配の歩き易い道が造られている。
 現在、私は、脹脛(ふくらはぎ)筋肉痛に悩まされている。したがって、勾配の強い急斜面を歩くのは非常に辛いが、ここを歩いている分にはそれほどの辛さは感じないので大いに助かった。
 登山口から3、40分くらい歩いた所に道の真ん中に大きな木が立っていた。枝を見ると桜のようだが、根元の部分には桜独特の木肌模様がなく、接ぎ木をした如く見える。こんな自然界で接ぎ木をして歩く人はおらず、自然現象だと思われるが、これに気付き疑問を呈している3人組がいた。これまで下山者とは何人もに出会っているが、登りの人たちと出会うのは初めてだった。彼らは的矢湾沿いのホテルの仲間で、休日を利用して朝熊山に登山に来ているとのことだった。この彼らには帰り道に金剛證寺から朝熊峠までを案内してもらうことになった。
朝熊山経塚群跡
 10時52分、『22町』の石柱が立つ朝熊峠に到着する。ここには、昔、『とうふ(東風)屋旅館』が建っていたが、火事で焼失したということを書きとめた看板が出ていた。この旅館も参拝者を相手にしたものだろうが、直接、車で金剛證寺まで行くことができる今では、旅館などは再開してとしても経営は困難だろう。
 ここで終わりだと思っていたら、さらに先があるとのことだった。
 『22町』で終わりだと思い込んでいた私たちには、この先は付録のようなもので、歩く意欲はなくしているので、これから頂上までが、結構、きつく感じたものだ。
 11時03分、標高555mの朝熊ヶ岳の頂上に到着した。ここには神社が祀られており、ちょうどこの日が祭礼とかで、多くの車が境内というか、空地に停められていた。
 また、ここの北から東側にかけては展望が開けていて、湾内に浮かぶ小島が霞んで見えていた。天気が良ければ、セントレア空港まで一望できるとのことだったが、残念ながら、本日はそれが叶えられるほどではなかった。
 案内してもらった人から、「この先、経塚群や金剛證寺があるから……」と薦められたので、これらを見学することにする。
 鈴鹿の霊仙山にも経塚山の名を持つ山があり、その昔、経典が収められたとの言い伝えがあるとのことだが、それを示すものは何もない。だが、ここ朝熊山の経塚群には五重塔とか色いろな形をした石碑が立てられていて、その下に経典収められていたことが窺え、珍しいものに接した思いだった。
 金剛證寺は天台宗の寺のようだが、徳川将軍家からの奉納品もあり、格式の高い寺の印象であった。俳人、松尾芭蕉も訪れたことがあるらしく、『神垣や おもひもかけず 涅槃像』という句碑も建てられていた。また、ここには墓はないが、卒塔婆が供える大きな区画があり、もの凄い数のそれが立てられている。私の知る卒塔婆は薄い板状の貧弱なものだが、ここのそれは立派な柱だった。大きなものは1尺5寸角、長さ5mもある巨大なものであることに驚いた。
 この寺の奥には展望台が設けられ、この一角にはみやげ物店やレストラン、足湯まであった。
 これらを一回りして帰る段になったとき、桜の木の所で出会った3人組に再会する。彼らに近道はないかと尋ねたところ、「案内する」ということで昔の参詣道を通って朝熊峠に出る道を一緒に戻ることになった。
 12時47分、峠まで帰ってきた。ここから先は、登ってきたときと同じ道を降っていけばよい。
 登山道で無いために足元はシッカリせず、少々、歩き難かったが、登りに比べれば降りは楽なので、13時34分、無事に登山口の駐車場に帰り着き、この日の朝熊ヶ岳登山は終わることになった。
塔婆供養所

● COMMENT ●

骨休めのついでに朝熊ヶ岳へ登られたのですね。
私もちょうどこの時期に行ったので、三太夫さんと同じく金剛證寺極楽門と真っ赤なモミジの写真を撮りましたよ。
私が行った時はほとんど人に会いませんでした。
それに引き換え三太夫さんの時は駐車場も満車だったのですか。
そして解説してくれる人や近道も教えてくれる人などがいてラッキーでしたね。

 モタさん、こんばんは。
 モタさんのお蔭で朝熊ヶ岳に登ることができました。ありがとうございます。
 今、私は慢性筋肉円に悩ませられていて、急勾配があると足が痛くて大変です。でも、ここは登り易い山だったので大いにたすかりました。こんな身になると、お元気なモタさんが羨ましくてなりません。


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