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2017-11

平ヶ岳(ひらがたけ・2141m) - 2012.10.24 Wed

最後の百名山を登る
 深田久弥が選定した日本百名山の全山踏破を目指す私たちは、これまでに99座に足跡を残している。残る1座は、新潟県と福島県の県境に位置する平ヶ岳だ。
 この山には、昨年、登る予定だったが、7月に起きた集中豪雨禍によって登山口に至る道路が崩壊したため、登頂を断念したという経緯がある。
 本年10月1日、この道路が復旧、開通した。
 これ以後、何時でも登ることが可能であったが、どうせ登るなら紅葉が盛りを迎える中旬まで待つことにした。
 そして10月も18日になり、『もう、よかろう』と腰を上げて、登山口に近い銀山平温泉の宿泊兼送迎バスを運行する民宿に予約を入れるために架電する。すると、「今年の登山口への送迎バスの運行は10月21日までだが、何れも満員である」と、まったく予想だにしない返事だった。
 平ヶ岳へ登る登山ルートは2本。1つは、鷹ノ巣ルート。もう1つは、中ノ岐川ルートである。
 前者は、昭和40年代初頭、清四郎小屋により開設されたという往復10余時間もかかる長大なルートだ。
 後者は、中ノ岐川林道を終点、標高1200mの辺りの登山口まで車で入るので、5、6時間で往復することができる手軽なルートである。ただし、国道352号の雨池橋を起点とする中ノ岐川林道は一般車両が通行禁止になっているため、ここを通行する権利(?)を有する銀山平温泉の民宿業者による送迎を受けなくてはならない。
 私たちは、もちろん、軟弱者向けの中ノ岐川ルートで登るつもりであったが、これがダメとなると来年まで諦めて待つか、長い鷹ノ巣ルートに挑戦するかの二者択一を迫られる。
 私が若ければ焦らずに待ったであろうが、何しろ、足腰の衰えを自覚する身では、来年までノンビリと構えているわけにはいかない。これを身近に見ている姫君も、来年まで待っていては百名山登了が難しいと考えたらしく、長大な鷹ノ巣ルートで行くことを渋々ながら賛成する。でも、全面的に賛成したわけではない。その証拠に、19日、『道の駅・ゆのたに』に到着したとき、「キャンセルが出ているかもしれないから民宿に尋ねてみよう」と架電したほどだ。
 ガイドブック(日本百名山・山と渓谷社)によると、往路5時間45分、復路4時間20分で、往復10時間05分となっていた。私たちが盛りのときなら歩けないこともなかったろうが、体力の衰えの激しい現時点では難しいかもしれない。加えて、今が昼間の時間が短い冬場であることもマイナス材料である。
 当初、正午をリミットに定めて、この時間まで進み、頂上に到着する、しないにかかわらず帰るというスタイルで挑戦することを考えていた。でも、これだと途中でリタイアの公算が大で、来年、再挑戦ということにもなりかねない。
 そこで、これを回避するためにテント泊で行くことを姫君に提案する。彼女は荷物を担ぐことを極端に嫌がるので、却下されることを念頭においていたが、案に相違してテント泊を受け入れた。
 10月20日、早朝に道の駅を出発。国道352号を新潟県と福島県の境、尾瀬の方面に向かって車を走らせる。1時間30分くらいで、この県境に到着する。
 ガイドブックでは、ここには4台が駐車可能な空地があることになっていたが、実際には2、30台を収容できるアスファルト舗装を施した駐車場ができていた。だが、ここは既に車でいっぱい、駐車する余地はなかった。でも、道路の反対側の空地があって、ここにも数台が停まっていたが、私の車を押し込むくらいの余地はあったので、ここに駐車させる。ちなみに、この駐車場には、最新式のバイオトイレも設置してあった。でも、これらの施設は近年になってできたようで、以前の駐車場は1kmばかり手前、新潟側にある清四郎小屋の辺りだったようだ。
 車中で朝食を摂り、何時もは使用しない大型ザックにテント、シュラ―フなど、必要な用具を詰め込む。ザックの重量は計量していないので正確には分からないが、12kgでは収まらず15kgくらいはあっただろうと思われる。何故、15kgと推定したかというと、一気にザックを背中まで担ぎ上げることはできず、一度、膝に引き上げ、ここで肩紐に腕を通してからザックを背中に振るようにするという2段階で行わなければならなかったことが重量を推定算出する根拠だ。
 9時37分、登山口になっている駐車場の横から車止めの鎖を避けて林道を奥のほうへ向かって歩き始める。林道は最初から登り勾配で、歩き始めの身には堪えるはずだが、これからの長い先を考えて気が張っているとみえて、この勾配もあまり苦にはならなかった。この林道は下台倉沢の左岸を登っていく形であったが、間もなく、この沢を横切って右岸に渡るようになっていた。以前、ここにはコンクリート橋が架けられていたようだが、これが流失して、今では狭い板一枚のみすぼらしい仮橋が架けられていた。
 仮橋を渡ってさらに前進すると、三叉路に差し掛かった。標高840mの登山口から水平距離で1km余、時間にして15分くらいの所だ。
 ここを右手に採ると、道の形態は林道から登山道へと化していた。この登山道入口には、『平ヶ岳頂上まで10.5km』という標識が建っていた。
往路の紅葉
 ここで、この登山道の成り立ちを簡単にまとめて説明しておく。
 この登山道を地形図から解析すると、頂上迄に4つの異なった顔をもっていることに気付く。
 ①登山道入口(林道の三叉路)から下台倉山まで。
 標高910mの登山道入口から痩せて形のハッキリとした尾根を3.3km歩くと、そこは標高1604mの下台倉山の頂上だ。この間、下台倉山の直前に無名峰(1420余m)があって一直線に登り上がるわけではないが、これをあえて無視すれば、平均斜度は21%という厳しい勾配になっている。ここまで登ると第一関門を通過したことになる。
 ②下台倉山から白沢清水まで。
 下台倉山まで登り上がれば、ここから先の4.0kmは小さなアップダウンのある穏やかな尾根が標高1700mの白沢清水(水場)まで続いている。なお、この尾根の途中には、標高1695mの台倉山、同1650mの台倉清水(水場)という要所がある。この間、いくつもの小さいアップダウンをないこととして平均斜度を算出すると、何と2%に過ぎない。登山ではこんな平地を歩くようなことは滅多にないので、ありがたい区間だということができる。でも、これはあくまで平均値であって、台倉山への登りなどでは90余mの高度差がある。
 ③白沢清水から池ノ岳(姫池)まで。
 次が白沢清水から標高2080mの池ノ岳(姫池)までの2.1kmだ。この間の平均斜度は18%。この斜度はややきつい登り勾配の区間だということができる。
 ④池ノ岳(姫池)から平ヶ岳頂上まで。
 そして最後が、池ノ岳(姫池)からちょっと降ると、次は平ヶ岳(標高2141m)頂上まで緩やかに登り上がる道が付いている。この間の距離が1.1km、標高差が61mで、斜度を算出すれば5%に過ぎない。
 地形図で登山道の状態が分かって立てた作戦が、最低でも第一関門の下台倉岳まではテントを担ぎ上げることができれば、2日目に頂上の地を踏んで余裕をもって下山できるというものだった。
 9時52分、登山道入口(林道三叉路)を歩き始める。
 道は直ぐに尾根道となる。所どころに大きなモミノキのような針葉樹がみられるが、基本的には樹木の少ない道である。それもそのはず、尾根芯は岩が中心なので樹木が根付く環境ではない。こういう道は、往路の登りのときには難でもないが、『降りでは滑りそうで嫌だな』と帰り道のことを考えていた。今から思い返すと、まだ歩き始めたばかりで体力的に元気だったので、こんな先のことにまで思いを巡らす余裕があったのだろう。
 30分も歩くと体が温まってきた。本日は朝方が冷え込んでいたので、半袖と長袖の重ね着をしている。薄着の私が慣れぬ恰好をしているので気になって仕方がない。でも、『荷物を降ろして休んでいては……。とにかく、第一関門の下台倉山までは辿り着かなければ……』という強迫観念のようなものにとりつかれているためか、歩みを停める踏ん切りが付かない。
 この頃になると、目の前の木々の葉っぱの色が赤や黄色に鮮やかに色付いてきているのに目を奪われ、暫くは暑さも忘れさせてくれた。
 名古屋から岐阜と長野を走り継いでこの新潟と福島の県境まで車で走ってきたが、この間の道筋では葉っぱは少しも色は変わっていなかったので、紅葉にはあまり期待はしていなかった。でも、こうして高度が上がれば、この美しい光景に出合えたことに感謝していた。
 1時間近く歩いた所で、裸の土の馬ノ背状になった区間があった。「ちょっと、危なそう」と言いながら渡り終えところで、「暑いから、1枚、脱ぐよ」と姫君に声をかけて、ザックの腰のベルトを外す。何時も「休ませてくれない」と文句をいう姫君のことだから、当然、1も2もなく賛成すると思っていたら、『あ(豈)に計らんや』だった。「あそこの木の所まで行こうよ」と、何時もとは逆に姫君のほうが引っ張る。仕方がないので、大きなモミノキ2、3本が固まって生えている場所まで登り上がることになる。
 この木の下で長袖のシャツを脱いで、半袖のTシャツ1枚になる。本日は気持ちの良い青空、風もない最高の登山日和で、この姿でも寒くもなんともない。
 今まで同じような勾配の道を登り上がってきたが、急に道が降りになってビックリ。そのピークに標識の類はないが、一瞬、下台倉山に着いたのかと思い、ポケットから地形図を取り出す。それをよく見れば、1420峰だと分かったが、このとき、この峰の存在をスッカリと忘れていた。
 この無名峰から20m余を急降下した所が、最低鞍部の1405m地点だ。
 ここから下台倉山へ登り上がるのだが、この間の200mの登りが凄かった。大きな岩が重なる岩場の登りが連続、ちょっとした岩登りの練習場のようであった。もちろん、足場のない岩場にはロープなりの補助具が取り付けてあったが、大きな荷物を担いでいる本日のようなときには堪える区間だった。
 こんな岩場を終え、12時14分、下台倉山に到着した。
 ガイドブックのコースタイムは2時間だが、私たちは2時間37分も要している。前途多難が予想できる前兆であった。
 でも、ここまでくれば第一関門は突破したことになる。本日は、ここまでとしても良いが、先へ進めば進むほど、明日の負担が軽減される。幸いなことに、久しぶりに重い荷物を担いだが、疲労感はそれほどでもないので、ここでは写真を撮っただけで、次の台倉山へと歩みを続ける。
復路の紅葉
 ここからほんの少しだけの区間が樹林の中だったが、直ぐに左手が開けてくる。すると、その先には尾瀬の名峰、燧ヶ岳(ひうちがたけ)の独特の雄姿が青空にクッキリと浮かび上がっていた。また、近くに目を移すと、進行方向の登山道脇は真っ赤に燃えるように葉の色を変えていたり、また、赤から黄色へと、種々、色調を変える葉っぱに彩られており、久しぶりに見る美しい光景に大いに感動する。
 この尾根も今までと同じような狭い尾根で、道は最も左端に付けられている。したがって、道の左手は急斜面が下方へ落ち込んでいるのに対して、右手は灌木帯が道へと迫ってきていて、道幅自体はあまり広くはない。また、道の上には灌木の根っこが張り出してきているので、歩き易い道だとはいえない。
 でも、この美しい紅葉は何物にも代え難く、台倉山への90mの登りも景色に目を奪われているうちに何時しか終わり、13時33分、台倉山の頂上に着いていた。下台倉山からここまでのコースタイムは1時間であるので、この区間でも私たちはこれを19分もオーバーした勘定になる。
 なお、『……着いていた』とは書いたが、着いたという安堵感とか到達感はまったくなかった。それもそのはず、平坦な狭い登山道の途中というのに過ぎなかったためだ。普通なら行き過ぎるところだったが、道の真ん中に三角点が埋め込まれていたので、それと気付いただけで、辺りを見回しても頂上を示す標識の類は何も見当たらなかった。ただ、三角点の付近にはテント2張りを設置できるくらいの空地があって、ここにテントを張ることも可能だったが、まだ、陽は高い。このため、昼食だけ摂って前進しようと提案したところ、「こんな陽の当たる所で食事?」と日焼けを気にしたのか、姫君からクレームが付いたので、木陰のある所まで移動することになる。
 少し進むと、道は右手の尾根下へと入っていき、木陰になったので、ここでザックを降ろして昼食にする。持参したオニギリ1つを食べたところで、胃が張ってきたので、また、食べればよいと思って、取り敢えず昼食を終わらせた。
 再びザックを担ぎ上げ、次の目標値である台倉清水に向かって歩き始める。
 昼食を摂った場所から少し降ると、直ぐに台倉清水があった。到着が13時46分だったので、台倉山から13分しかかかっていない。この間、5分くらい昼食休憩をしているので、正味に歩いた時間は5、6分ということだろうか。
 この台倉清水は水場にもなっている。休んでいる人に尋ねると「水はあるにはあるが飲むのはゾッとしない」とのことだったので、汲みに行くのは止めにして、そのまま、歩き続ける。
 この頃から胃の張りが強くなってきたのに加えて、下腹に少し痛みを感じるようになり、ガス(おなら)が頻繁に出るようになる。消化器に異変をきたしていることは確かである。このように自覚すると、嫌なことを思い出した。昨年8月、東北の山旅から帰ってからのある夜。突然、腹の具合が悪くなり、救急車で病院に担ぎ込まれると『腸閉塞』との診断が下された。結果的にはたいしたことなく済んだが、現在の症状がそのときに似ていないこともない。『治らなかったら、どうしよう』とか、『救急車は無理なので、結局、ヘリコプタになるが、電話は使えないので伝令に頼らなくてはならないが、時間がかかるが持ちこたえることができるだろうか』などなどと良からぬ想像が頭の中を駆け巡ったが、大事に至らないほうに賭けて、そのまま黙って前進を続ける。
 14時45分、白沢清水にやってきた。ここも水場になっているが、先ほどの台倉の水場とは異なり、汲みに行く必要のない木道に沿ってあるが、溜り水でとても飲めそうにない代物だった。本日、持参している飲料水は、2人で2.5リットル。これまでに飲んだのが1リットルで、まだ、充分に余裕はあるので水を採るのは止めにした。
 ここで、1人の青年が立ったままでパンを食べていた。私が登山口で荷物を詰めていたとき、登って行った青年だと気付き、彼にそのことを告げると覚えていた。私たちと10分は違わない出発なのに、もうここまで帰っていた。その健脚に驚いていたら、上には上があるということが翌日になって分かった。私たちが頂上から荷物の置いてある所まで帰ってきたとき、登ってきた人がいたので驚いて訊くと走って登っているとのことだった。この彼は、私たちが台倉山の辺りを降っているときに追い越していった。彼がいうには、3時間10分とか15分で登ったとのことであった。
 この白沢清水までで平坦部分は終わり、あとは登り一辺倒になる。最初のうちは登りといっても緩やかな勾配だったので助かったが、次第に斜度がきつくなってきて、一挙に体力を消耗させた。また、登山道の真ん中は雨水のために大きく浸食されていて歩く部分はこの溝の両ふちだけ。それも笹に邪魔されているので狭い上にササの茎に滑らないように気を使わなければならず、これまた疲れる要因になる。これにより、体力は完全に底を尽き、少し登って直ぐ立ち止まり、また歩いて立ち止まるというヨレヨレ状態になってしまい、何もない溝道の中で3度目の休憩を取らざるを得なかった。
宿泊地(後方は池ヶ岳)
 5分も休んだだろうか。再び、目の上に見えている池ノ岳の頂上に向かって最後の力を振り絞って歩き始める。ちなみに、この池ノ岳の頂上にこのルートで唯一のキャンプ指定池があるので、ここから先へは行く必要がない。そして、頂上に登り上がった。だが、先へ続く道があり、その先に頂上が見えていた。そこへは右手から別の尾根が通じており、また、左手には平ヶ岳の御椀を伏せたような頂上も見えているので、今度は騙しではなく、正真正銘の頂上であることは間違いない。目測量では、そこまで到達するには30分も見ておけばよい。このとき、16時だったので明るいうちに到着することは可能だ。しかし、ここが頂上だと思って来たので、この時点で登山モードから完全にオフモードに切り替わっていた。加えて、道がほんの少しだが広くなっていて、無理すればテントを張って張れないことはないことも前進意欲を萎えさせる一因になった。
 結局、この日は、ここでテントを張ることに決め、準備を始める。ちなみに、ここは標高1800mの辺りで、池ノ岳頂上から180m内外下という場所だった。
 テントを張り終えて、この中へ潜り込むが疲労はピークに達していて、ひと眠りしようとして横になっても眠気はまったくやってこなかった。これは私だけのことではなく、姫君も同様だった。2時間くらい、寝袋の中でじっとしていると、身体も元に戻ってきたようなので、それほど食欲はなかったが何か胃の中に詰め込もうということになって、恐るおそる菓子パンを半分ばかり食べる。
 この頃になると、昼間はまったく吹いていなかった風が出てきて、テントを叩くようになる。ここでこの風だと、吹きっさらしの上では相当に強いだろう。ここでテントを張って正解だったと、自分に都合の良いように解釈していた。
 翌朝、5時過ぎに目覚めると、辺りは真っ暗だった。しばらく、そのままでいたが、テントの色が黄色だと識別できるようになったころ、起き出して荷物を整理すると共に、残りものの菓子パンを少し口の中へ放り込む。
 荷造りを終えたザック2つを道端に置き、私がサブザックを担いで、頂上へ向けて歩き始める。このとき、時計の針は6時27分を指していた。
 この日の天気予報は晴れで、前日の曇りのち晴れより良いものだった。夜中にテントの外に出たときにも星が瞬いていたので、天気の心配はまったくしていなかったが、何処をどう間違ったのか、どんよりとした黒い雨雲が上空を覆っていた。でも、本日は頂上で写真を撮るというアリバイ作りが最重要テーマなので、天気は雨さえ降らなければそれで良い。
 目の前に見えている頂上に向かって歩いて行くと、頂上が視界から消えてくる。それだけ近付いてきたということなので、自然に足にも力が入る。そして、急坂を登り終え、道が平坦になったと思っていると、直ぐに木造テラスのテント場に飛びだす。ここには『姫池』という標識が建てられているが、ここが池ノ岳頂上だ。テント場では3名ばかりがテントを畳んでパッキングをしていた。のちになって分かったことだが、彼らは千葉県からやってきた職場の仲間だとのことだった。
 ここに到着したのが6時47分、今朝の出発地からちょうど20分を要している。昨日の白沢清水から私たちのテント場までが1時間19分だったので、通算すると、白沢清水から池ノ岳までの所要時間は1時間39分ということになる。ちなみに、この間のコースタイムは1時間15分だ。
 ここから400mばかり『たまご石』のほうへ入った所に水場があるとのことだったが、ここへは帰り道に立ち寄って水を採る予定で、そのまま頂上に向かう。ここからが今回の区間の中では最も楽な部分だった。もちろん、空身ということもあっただろうが、木道の上を粛々と歩いて行けば、自然に頂上に到着した。
 そのとき、7時19分で、昨日から通算すると、往路の所要時間は7時間19分ということになる。
 この時間帯では、頂上は無人であった。姫と互いに写真を撮り合っていると、話し声が聞こえてきた。先ほどのキャンプ場のグループがやってきたことは直ぐに分かった。彼らと交代に写真を撮り合い、百名山の全山踏破を祝ってもらう。姫君は、「少し、寂しいわね」と不満顔だったが、私はそんなことはどうでもよく、やっと終わったという安堵感のほうが強かった。
 彼らによると、檜枝岐(ひのえまた)村の本日の天気予報は『曇りのち雨』と私たちが見たときとは変わっていた。現に、上空の黒い雲からは、何時、雨粒が落ちてきてもおかしくない空模様だ。少しでも早く降りたほうが賢明だと判断、頂上には5分いただけ、7時24分に直ちに下山を開始した。
 そして、姫池に7時49分、白沢清水に9時04分、台倉清水に9時55分、台倉山に10時13分、下台倉山に11時13分と、ここまで3時間41分と私たちとしては善戦したが、ここから先は滑り易い岩道ということで苦戦を強いられる。この結果、下台倉山から登山道入口までが2時間17分、ここから登山口までが17分と、降り道に関わらず登りのときの記録より遅く、フラフラになってゴールに辿り着いた。
 ちなみに、降りに要した時間は6時間23分であった。これに往路の所要時間を加えると、往復で13時間42分になる。これだとすると、午前5時に出発したとしても、帰りは18時42分となり、真夏の昼間の時間が長い季節でも日帰りは難しかったことが分かった。
平ヶ岳頂上

● COMMENT ●

はじめまして

趣味人倶楽部から飛んできました。
すごいの連続です。
私も、今から百名山を目指したいので折に付け
参考にさせていただきます。

参考までに

 三太夫さん、ご存知かも知れませんが、平ヶ岳のガイド記事が「岳人」2012年11月号に載っています。本を買うまでもありませんが、本屋で立ち読みされてはいかがでしょうか。ご参考までに。

 ぜんちさん、こんばんは。
 よくおいでくださいました。ありがとうございます。
 拙いもので恐縮ながら、御気に入っていただけたら、また、お越しください。

 kitayama-walk さん、こんばんは。
 以前は『岳人』も『山渓』も購読していたことがあったが、最近は御無沙汰気味で、平ヶ岳の記事の件はお教えいただいて初めて知りました。
 早速、明日にでも本屋に行って読んできます。
 ありがとうございます。

追伸(10/26)
 本日、本屋へ出かけて行き、平ヶ岳の部分を立ち読みしてきました。
 でも、最初のときは巻頭特集だとは思いもよらず、一生懸命に探したが見付けだすことができず、1度、家に帰ってkitayama-walk さんのコメントを読み直し、岳人のホームページで確認してから本屋を再訪するという大失態をおかしてしまいました。
 これを読んだ感想としては、やはりプロはプロ。短く適格な表現で、この山の良さが読者に伝わるように書くものだと感心しました。


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