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2017-10

匿名電話 - 2011.02.11 Fri

 2月8日の朝日新聞の声欄に、『匿名の苦情電話は合点できぬ』という投稿(下の画像をクリック)が掲載されていた。一読したが、内容はくだらないの一語に尽きるものだった。このため、そのまま読み飛ばそうとしたが、投稿者が教師ということなので考えてしまった。
 内容は、概ね、こんなものだった。
 学校へ匿名電話で、生徒の道路を歩くマナーが悪いので指導してほしいとの苦情があったのが発端だった。これを受けた教師(投稿者・男)は身に覚えがあるので一旦は反省したが、次の瞬間、腹立たしさを覚えたようだ。原因は、電話が匿名だったことだ。でも、何故、匿名電話が、この教師を逆上させたかは記述がないので分からない。
 そして教師は、「子供が悪いのは学校だけの責任か。あなた(架電者)に責任はないのかと問いたい」と怒りだした。この教師の言い分は、「子供は、社会の宝であり、みんなで育てていかなければならない。言い換えれば、架電者も社会を構成する一員なので子供の不始末の責任の一端がある」というものらしい。
 この教師が、学校を出たての新米教師なら、このように短絡的な考えも理解できないことではない。でも、投稿者は59歳とのことで、30余年の教師経験があることになり、笑い話の類と放置してもおけないだろう。
 仮に、社会全体で子供を育てていくことが求められる現代であったとしても、子供を直接に指導する立場の教師と子供とは何の関わり合いを持たない一般の人とでは、接し方に違いがあって当然である。
 前者の場合は直接に子供を指導して当たり前であるのに対して、後者の場合には直接的な指導ができる場合はそうしてもよいし、両親なり教師なりを通じる間接的な指導が好ましいと思えばそうすればよいのであって、自ずと立場によって接し方は違うのが当たり前だ。
 この点、この教師は、自分の理解できる以外のことに対しては理解しようとする努力が足りないと考える。ということは、この教師は、反面教師としての存在価値しかないことになり、自分から自分を否定していることに気付いていない。これは、教師失格の烙印を自ら捺しているのに他ならない。
 最後に、匿名電話について考える。
 匿名とは、自分の名前を隠すまたは公表しないことである。
 街の中でインタビューを受けて発言するときは、一市民、大勢の中の一人という立場、すなわち特定の個人としての立場ではないので名前などはどうでもよい。声欄などで発言する場合は、その人、個人の意見(発言に一定の責任を持たせる意味)ということでごく一部の例外を除いて実名で発言することが求められる。
 では、今般の抗議の電話もしくは注意の電話を架ける場合はどうであろうか。
 私は、前述のように実名の場合がよいときと匿名で構わない場合があると考える。
 実名の場合は、抗議した内容に対してどのように対処したかの報告を求めるときだ。ただ単に善処を求める場合は匿名で構わないと思う。
 今回の場合、教師は抗議をする架電者に対して執拗に名前を名乗ることを求めているが、後になって礼の意思を表すとか、事後処置ならびに結果を報告する意思があってのことだろうか。この文面から見て、私はそうとは思えない。注意された意趣返しで怒っているに過ぎないとおもう。
 私は、この教師の顔は知らない。しかし、どんな顔をしているだろうと思ったとき、以前、テレビに映った国旗・国歌を否定する東京都の女教師の顔が浮かんできた。

2011.02.08 朝日新聞・声欄

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