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2017-10

百名山の思い出・その12 - 2012.04.22 Sun

奥穂高岳(おくほだかだけ・3190m)
 1998年の5月の連休は燕岳から大天井岳を経由して常念岳まで縦走したことは先に述べた。なお、この折、燕岳が百名山になっていることを失念していたのでカウントし直した。すなわち、これまでに百名山12座に足跡を残したことになると訂正したが、燕岳はやはり百名山にはなっていなかったので、これまで登った山は11座と再訂正する。
 当時、私たちは各々仕事を持っていたので、アルプスなどの遠征登山ができるのは、祝日と日曜日がからむ連休のときだけだった。
 したがって、今度の遠征は7月の『海の日』がからむ連休である。
 当初、笠ヶ岳を目論んだようだが、途中、行き先が変更となって、岳沢から前穂高岳、奥穂高岳に登って涸沢に降りることになった。
 山行きの日取りは、7月18日(土)から20日(月)までの3日間。参加者は、姫君と私の2人だけだった。なお、これについても、『ヨレヨレ新聞』第4号に山行記が掲載されていたので、これを転記する。
賑わう河童橋と岳沢
《以下、ヨレヨレ新聞より》
7月18日(土曜日)
 午前5時に自宅を出発する。
 中央自動車道で中津川ICまで行き、ここから国道19号と県道、国道158号を走り継いで沢渡(さわんど)の駐車場に到着。ここで朝食を済ませ、身支度を整える。
 ここから上高地までは乗合タクシー(運賃は1100円。バスは1300円)で行くことになる。
 10時過ぎ、上高地に到着し、直ちに歩き始める。
 こんな早い時間であるのにかかわらず、河童橋の上は既に人、人、人、鈴なリになっていた。よくもまあ、こんなに人が集まるものと感心する。
 河童橋から20分くらい歩くと岳沢への分岐に着くが、姫君は昨夜遅くまで飲んでいたようで、早くも「休憩」の命令が下る。「もう、休憩か」と思いつつも、立場上、姫君の命令には絶対服従だ。
 ここで充分の休息をとってから、岳沢ヒュッテに向かって再び歩き始める。
 このとき、姫君が先を歩き、私が後ろに従う形だった。ここでは沢上側から風が吹いていたらしく、姫君の発する酒の強烈な臭いが私に襲いかかってきた。これに辟易して、姫君と先頭を交代する。
 ここの道には、先ほどの分岐を10番、以後、9、8、7番……という具合に区切り、0番が岳沢ヒュッテとなっていた。この区切りごとに休憩を採りながらユックリと登り上がっていく。
 この番号でいうと『6番』の所に別の標識があり、それには『風穴』と書いてあったが、見回してもそれらしきものはない。それでも林の中を涼しい風が吹き抜けていて、ここでも充分に涼しいのでユックリと休憩する。「さぁ、出発」となって1分も歩いただろうか、何と、そこに本当の風穴があった。ここには獣の巣かと思われるような小さな穴が空いていて、ここから冷風が吹き出ていた。この風は本当に冷たく、穴の前に1分もいると身体が冷え上がるというほどである。ここでも改めて休憩し直すことにする。
 再び、歩き始める。風穴を過ぎると、まもなく林の中から抜け出して、沢の縁のガラ場を登ることになる。
 ここを登っていると、先ほど、追い越して行った2人組が昼食を摂っていた。彼らは群馬県の草津温泉の近くからきたという。
 このように、歩いているのが長いのか、はたまた休憩しているのが長いか分からないような状態だったが、14時過ぎには何とか岳沢ヒュッテに到着した。
 普通、上高地から岳沢ヒュッテまでは2時間20分くらいで到着できるという。これに対して私たちは4時間を要している。普通の人の倍の時間をかけて登ったことになる。
 小屋ではタップリと時間がある。テラスでビールを飲みながら、前述の群馬のスイちゃんたちと歓談して時間を過ごす。彼らから面白い話を聞いたので、これを紹介しておく。
 それは、こうであった。「私たちの住む街では自転車を持っている家庭はありません。なぜなら、私たちの街は標高1700mの高地、いわば山の中なので道路といえば急な坂道ばかりです。このため、往きが下り坂で楽ができれば、帰りは逆に上り坂になって自転車を漕ぐのがおおごとです。このような理由で、自転車はあまり役に立つ道具ではないのです」と……。私たちのような平地で育った者には考えられないような話だった。
前穂高岳頂上(後ろは奥穂高岳と涸沢岳)
7月19日(日曜日)
 本日が今回の山行きのメインイベントになる。
 岳沢ヒュッテから紀美子平に登り上がり、ここから標高3090mの前穂高岳の頂上に立ち、再び紀美子平に戻りって吊尾根を辿って標高3190mの奥穂高岳に至るというもので、3000m超峰を1日で2座も登るという欲張った計画である。ちなみに、この日は穂高岳山荘に泊まる予定だ。
 ガイドブックによると、この間の所要時間は6時間30分となっているが、私たちの足では8時間以上がかかるだろう。また、岩場の多いコースのようなので、天候のほうも心配である。とはいえ、今のところ、曇ってはいるが雨の降りそうな気配はない。
 とにかく紀美子平まで登り上がることができれば、予定どおり前進するか、中止して岳沢ヒュッテに決めることができるとの腹積もりで、5時30分に岳沢ヒュッテを出発する。
 早朝とはいえ、小屋泊まりの人たちは、概ね、この時間に出発するので、登山道には列ができ、前日、顔見知りになったばかりの人たちと声を掛け合いながら、写真を撮り合いながらの楽しい雰囲気で進む。これがよかったのか、順調に登ることができ、8時過ぎには紀美子平に到着している。
 このとき、前穂高岳山頂は雲に隠されて見ることはできなかったが、奥穂高岳はハッキリと見えていた。また、ここからその奥穂高岳へ通じる吊尾根の登山道が岩肌に刻み込まれているのがクッキリと見えていた。
 取り敢えずは、前穂高岳の頂上を極めなければならないので、休憩もそこそこに切り上げて山頂へ向かう。途中、下山してくるスイちゃんたちに出会ったが、彼らとの脚力の違いを見せつけられた思いだった。このとき、雲が切れて槍ヶ岳が顔を出していたので、4人で記念写真を撮り、彼らは奥穂高岳から涸沢岳を経て北穂高岳までの長丁場の旅へ、私たちは前穂高岳へと別れる。ちなみに、槍ヶ岳が顔を見せたのは、今回、これが最初で、最後でもあった。
 9時20分、前穂高岳の頂上に到着する。
 前穂は、遠くから眺めると尖がっているが、実際に頂上に立ってみると長細い形ながら槍ヶ岳に比べると問題にならないくらいに広かったのには驚く。
 『前穂高岳 標高3090m』と記した立派な標柱の前で記念写真を撮った後、頂上を移動しながら写真数枚を写す。このとき、上空は真っ青だったが、北のほうは雲が出ていて視界は閉ざされていて、槍ヶ岳を捉えることができなかった。
 ここを後にして紀美子平まで降りる。
 時間はよし、天気もよしで、予定どおり奥穂高岳へ向かうことになる。
 前穂高岳から奥穂高岳へ向かうというコースを採る人は少なく、圧倒的に奥穂高岳から降りてくる人のほうが多い。したがって、岩場でのすれ違いは待たされることのほうが多く、これが適当な休憩になり、比較的、楽に奥穂高岳に近付くことができた。
 途中には切り立った崖の上を歩くというような所もあったが、幸いというか、下のほうはガスに隠されていたので、小心者の私でも恐怖を感ずることなく通過することができた。だが、スリルを味わうのが好きな姫君には少し物足りなかったようだった。
 奥穂高岳に近付くに従い、ガスはますます濃くなり、南稜ノ頭では10m先が判らないくらいになるが、道はシッカリしていて歩くのに困るようなことはなかった。
 13時15分、奥穂高岳(標高3190m)に到着、今回の目的を無事に達成する。
 この山は、富士山、北岳(南アルプス)に次ぎ、わが国では第3位の高峰で、北アルプスの中にあっては最高峰でもある。
 頂上の方位盤の周りには多くの人たちが群がっていて近付くことができず、隣の2m以上もあろうかという大ケルン(上には祠が祀ってある)の上に登って記念写真を撮る。写真の出来上がりを見ると、顔もハッキリしないほどの濃いガスであった。このガスでは、周りの景色を楽しむことは無理で、360度の展望は次の機会に譲ることになる。
 ここで少し遅い昼食を摂る。
 目的達成の満足感からか、何時にも増して美味しく感じる。惜しむらくは、ビールで乾杯ができなかったことくらいである。
 この食事中、ふと思い出したように姫君が「北岳は確か3192mで、ここと2mくらいしか違わないと何かに書いてあったわ。このケルンが2m以上あれば、ここのほうが北岳より高いことになるわよ。このケルンはそのために造ったんじゃぁない?」という。
 そういえば、私が生まれ育った尾張地方に尾張富士という山があって、これが隣の山と背比べしたところ負けてしまった。これ以後、地元の人たちが石を担ぎあげて、この山が高くなるように祈ったという言い伝えがあり、これが『石上げ祭』という奇祭の起こりだといわれていることを思い出す。
 「そうだ、奥穂のケルンと北岳に雨樋をかけて水を流してみれば判るよ」と軽口も飛び出した。このとき、「次は北岳だ」と、次の目標が決まる。
 14時頃、奥穂高岳を後にして、本日の宿舎である穂高山荘へ向かって下山を始める。
 「今ごろ、スイちゃんたちはどの辺りだろうか。健脚の彼らのことだ。もう、北穂に着いているだろうか」と話をしながらノンビリと降りていく。
 15時前に穂高岳山荘に到着するが、まだ時間は十分に残っている。ここから下のほうを見ると、涸沢のテント場には色とりどりのテントが張られているのが小さくではあるがハッキリと視認できる。『あそこまで、行けそうだな』と、心の中で思っていると、姫君も同じ心境だったようで、「明日、楽できるから涸沢まで降りようか」との提案がある。姫君がそういうなら、私に異存はない。
 直ちに、ザックを担ぎあげて、そのまま涸沢へ直行することになる。
 この降りの道をザイテングラードというらしいが、結構、これがハードであった。加えて、上から見た感じでは近かった涸沢も、実際に歩いてみると行けども行けども近付かず、向こうも私たちに歩調を合わせて遠ざかっているような錯覚に陥ったほどだった。
 疲労の極限は急にやってくるようで、私は敢え無くダウンする。
 もう、これ以上、歩くのはできない。こう思うと足が1歩も動かなくなる。姫君に叱咤され、激励されて何とか足を動かしてはいるが、牛が歩くといったら牛が怒りそうなほどのノロノロ。這うような歩みであった。
 それでも何とか近いほうの涸沢小屋に倒れ込むように辿り着く。
 部屋で横になって休むが、なかなか回復せず、無理やり食べようとした夕食も半分以上を残してしまった。後になって思い返すと、この日はビールも飲んでいなかった。
 とにかく疲れた1日だった。
涸沢のテント村
7月20日(祝日:海の日)
 昨夜はグッスリと眠り、今朝は、昨日の疲れが取れて、ダウンしたのが嘘のような爽やかな目覚めであった。
 これとは裏腹に、外は雨が降っていた。
 この雨が昨日だったら大変であっただろうと思うと、昨日、視界の悪さに口を突いて出た愚痴も、本日には感謝に変わっていた。人間は、というより私は本当に身勝手だということが分かった。
 5時30分、カッパを着けて出発する。
 その後、天気は回復、本谷の辺りでカッパも長袖のシャツも脱ぎ、身軽になって平坦な道をひたすら歩く。
 横尾を過ぎた辺りで知己に出会う。彼は、私が仕事の車を預けている駐車場の管理人で、今回は家族3人で奥穂高岳を目指したが、天気が悪くて横尾で諦めて帰るところだった。
 上高地に、11時30分頃、到着した。
 だが、これからが大変であった。大混雑でバスもタクシーも動けず、上高地を脱出するのに多くの時間を費やした。また、帰り道の道路も連休最終日ということもあって混雑を極めた。結局、自宅に帰り着いたのは20時過ぎだったように記憶している。
 なお、沢渡から白骨温泉に立ち寄り、ここの露天風呂で3日間の汗を流してから、スーパー林道を通って帰ったが、ここで野生のイノシシの子供が道路を走るのに遭遇した。野生のイノシシを見たのは、このときが初めてであった。

奥穂高岳頂上

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奥穂高岳(おくほだかだけ・3190m)1998年の5月の連休は燕岳から大天井岳を経由して常念岳まで縦走したことは先に述べた。なお、この折、燕岳が百名山になっていることを失念していたのでカウントし直した。すなわち、これまでに百名山12座に足跡を残したことになる。当時...

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