topimage

2017-06

百名山の思い出・その2 - 2012.03.18 Sun

大台ヶ原山(おおだいがはらやま・1694m)
 1995年8月、富士山の山頂に立つことができて、俄然、山登りに自信のようなものが湧いてきた。
 死にそうになって辛うじて頂上まで辿り着いたという事実は記憶から徐々に薄れていき、日本の最高峰、標高3776mの富士山の頂上に立ったということだけが鮮明な記憶として残り、これが自信に繋がったのだから私が如何に軽薄であるかということが分かる。
 日本には数多(あまた)の山々があるが、それらはいずれも富士山より低い。
 富士山に登った私たちに、それより低い山が登れないわけがないと単純に考えるようになった。今から思えば噴飯ものだが……、無知とは恐ろしいものだ。
 とはいうものの、富士山と学生時代に登った浅間山、富士登山に備えて登った御在所岳くらいしか山の知識はなかった。何処へ行き、どの山を登るかという知識もないし、調べ方も分からない。
 では、どうすればよいか。人に訊けばよいという、ごく単純な方法を思い付く。
 そのころ、私が仕事で出入りしていた法務局に、山についての造詣の深いハナちゃんという職員がいた。彼に相談すると、奈良県に大台ヶ原山という山があり、ここへ三重県側の大杉谷から取り付けば、常時、正面に滝を見据えながら登ることができて楽しいということを教えてくれた。
 この案を富士山に同道したヒロシちゃんに話すと、1も2もなく賛成する。どうせ行くのなら、もっと多くの人にも参加してもらったらと考えて呼び掛けたところ、姫君の店(スナック)の従業員とかお客さん、私の知己などで、総勢10名が集まる。この中に私の竹馬の友のクニちゃんがいた。彼は自衛官で、学生の頃にはサバイバルの訓練を受けた折、成績優秀で勲章(メダル)を貰ったということを人伝(ひとづて)に聞いていたので、彼を隊長に据えた。
 この登山は、2泊3日を予定。96年5月1日から3日までの3日間を実施日と決めた。
 次に登山中に各々が交通費やら宿泊代などを支払っていては煩雑なので、これらを一括して旅行クーポンを組むことを考えついた。詳細な計画書を持参して姫君の店の近くにあった近畿日本ツーリスト社を訪れて、これを依頼する。すると、近鉄電車を始め同バス、登山口まで運んでくれる船、宿泊する桃ノ木小屋や大台ヶ原山頂にある小屋などの代金をまとめてクーポン券を作ってくれた。このとき、登山参加者の紹介に始まり、ルートの詳細、費用の明細などを記した計画表が作成してあったことを思い出し、この「百名山の思い出」を書くにあたって探してみたが見付からなかった。この紛失は、改めて惜しいことをしたとおもうが、今になってはいたしかたない。
 こうして登山の当日、5月1日を迎える。
 近鉄名古屋駅を集合場所として、ここから電車、松阪からバスに乗り換えて船着き場へ、ここから船で登山口まで行ったのだが、生憎、この日は水位が低く、船は最奥まで行けずに最初の船着き場で下ろされた。それだけ歩く距離が長くなった。これは歩き慣れない私にとっては一大事だったが、いたしかたなかった。
 ここからいよいよ大杉谷に沿って遡上、この日の宿泊予定の桃ノ木小屋まで行くのだが、今から思えば休憩ばかりしていた。振り返ってみれば、今の倍くらい時間がかかったのではないかと思うほどだ。そんなのんびりした歩きでも、私にはそれでもなおかつ、呼吸を整えることができず、休んでいてもハァハァゼイゼイ。心臓の鼓動も激しく、これがなかなか治まらず、最年長参加者のアンちゃんに「君の動悸は凄いね。ここまで聞こえてくるよ」といわれる始末であった。
 そんな難行苦行の末、夕暮れが間近になってきたころ、橋の向こうに桃ノ木小屋が見えてきたときにはホッと安堵したことを今でもハッキリと思い出すことができる。
 ここは予約していたためか、狭い粗末な部屋ながら、私たちだけの1部屋が用意してあって、食事もここで一緒に摂ったが、食事の中身については覚えていない。
 もう1つ、この小屋には、沸かし湯だが小さい風呂があって、疲れ切った足を癒すには大いに助かったことが今でも鮮明な記憶として残っている。
 2日の朝は曇り空。今にも降り出しそうな芳しからざる天気だったが、大台ヶ原に向かって歩き始める。お昼頃から朝の不安が的中、雨が降り始めた。ここは天気の悪い日が多いということは前知識として仕入れてはいたが、以後、大変に難儀な歩きになったことはいうまでもない。ちなみに、事前の知識として、ここはヒル(蛭)が多く、上からもヒルが降ってくるのでツバのある帽子が必要だということだったが、これは外れて被害を蒙ることはなかった。
 夕方、雨のザァザァ降る中、予約の入れてあった小屋というか旅館に到着した。ここは山頂とはいえ車で来ることができるだけに、桃ノ木小屋のような粗末な山小屋ではなく、確か、鉄筋コンクリート造りの立派な建物だったように記憶している。中も綺麗だったが、大広間に雑魚寝スタイルは山小屋風であった。
 最終日、3日も朝から雨だった。カッパを着て頂上部分を周回したが、何処をどのように回ったかは記憶からは欠落している。写真を見てみると、正木ヶ原とかシオカラ谷吊り橋の下で記念写真を撮っているので、これらを回ったのだろう。
 ちなみに、翌97年10月26日にも、この山を訪れているが、このときは頂上まで車で行き、前年に行かなかった大蛇などを訪ねている。
 この大台ヶ原に参加した10名が中心メンバーとなって、これ以後も互いに誘いあって登山するようになる。だが、何時もヨレヨレになるので、自嘲を込めて「我われは、ヨレヨレ登山隊だ」と誰かが言い始め、これが会の名称になる。その後、ヨレヨレ新聞を発行するに当たり、「ヨレヨレ山歩会・名古屋」と恰好を付けて改名したという経緯がある。
 このように私たちにとっては、この大台ヶ原山行きが、すべての始まりで、この山行きを第1回としてカウントをするようになっている。

大杉谷のとある滝の前で一休み

大台ヶ原山頂・シオカラ谷の吊り橋

● COMMENT ●


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://yore4040.blog24.fc2.com/tb.php/365-f7d65abe
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

2012 山野草・その1 «  | BLOG TOP |  » 今年も出合えた!

アクセス数

検索フォーム

最新記事

最新コメント

カテゴリ

登山 (147)
山野草 (417)
雑文 (139)
未分類 (14)
お知らせ (6)
案内 (2)
百名山 (22)
花旅 (75)
旅行 (29)
2014 北の大地花旅 (86)
2016・北海道 (83)
2016・北海道 (1)

月別アーカイブ

リンク

このブログをリンクに追加する