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2017-06

時代遅れ - 2012.02.06 Mon

 本日の朝日新聞『声』欄の投書の1文に、『私には難しいことは分かりませんが、増税しなければ、子や孫に負担が先送りされることはわかっています』という1節があった。
 また、『住まい 私記』欄の中には、『……住民の反応が気になっていましたが、今のところ不満の声はないようでホッとしています』というのもあった。
 これらに共通するのは、文章の最後を『です・ます』で終わらせていることである。これらとは別に、ほとんどの新聞記事の最後は『である』で終わらせている。
 この小文を書くにあたってネットで調べてみると、最後を『です・ます』で終わらせる方式を『敬体』といい、『である』で終わる場合を『常体』ということがわかった。ちなみに、これらは小学校で教わるとのことだが、私にとっては初めて知り得た名称だ。
 これらの名称は初めて知ったことだが、敬体の場合には1つの決まりがあることは前から知っていた。知っていたといっても小学校で習ったのを覚えていたわけではなく、還暦を過ぎてから得た知識であって大声でいうようなことでもないが……。
 1つの決まりとは、1節の文章の中で『です・ます』を使うのは文章の最後に1回のみということだ。
 これを覚えたのは、何年か前に山岳雑誌『岳人』に寄稿文を投稿して採用になった際である。この紀行文の原稿はA4版15枚くらいの長文を掲載誌面の制約で半分以下に縮めることを要求された。この作業を補佐してくれた編集者が、「文の途中で『です・ます』を使わない。『です・ます』は文の最後に使うものだ」と教えてくれた。
 したがって、最初に取り上げた2つの例文は間違っていることになる。すなわち、最初の文章は『私には難しいことは分からないが、増税しなければ、子や孫に負担が先送りされることはわかっています』、2番目は『……住民の反応が気になっていたが、今のところ不満の声はないようでホッとしています』と書くのが理に適っている。
 しかし、会話ではこのような話し方をすることがほとんどで聞く分には違和感を抱くことはない。いや、違和感がないというより、このほうが耳触りの良い場合が多い。
 私は、教えてもらってからは正しい用法で書くことに努めているが、話言葉と違う書き方は何かと疲れる。
 なお、話言葉は、時の経過とともに変化しており、多くの人が使うようになれば、例え、それが文法上に間違いがあったとしても、それはそれで正しいと見做されるらしい。文章は、言葉よりは後から変化するだろうが、言葉が既に変わってしまった現在では、こんなことに気を使うのは時代遅れかもしれない。

名古屋城の堀に群れる水鳥

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