topimage

2017-08

スポンサーサイト - --.--.-- --

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

仙香山(せんこうやま・983m)=途中撤退 - 2011.01.26 Wed

 1月25日(火曜日)、八風峠に近い仙香山を目指したが、これには伏線があった。
 このところ冬になると毎年1度は、釈迦ヶ岳へ尾高山経由で東尾根を登っている。ただし、ここは長丁場で、私たちの足では5時間くらいを要する。昨年は、これを実施したのが負担になり過ぎたのか、膝を痛める原因になったようだ。今年もトライしてみたい気持ちはあるが、また、身体を壊しては元も子もなくなるので躊躇していた。
 これに代わる案として、田光(たぴか)から岩ヶ峰尾根で主稜線に出て、ここから釈迦ヶ岳へ登ることも考えたが、この案も岩ヶ峰の手前に岩が立ち塞がっていて、雪と氷の冬場にこれが乗り越えられるかがネックになって踏みきれずにいた。
 もう1つ北側の尾根、段木尾根なら危険な個所もないので、ここから稜線は可能であるが、ここから釈迦ヶ岳までは遠すぎる感がある。
 それなら段木尾根で稜線に出て、仙香山に登ってから八風峠経由で下山するというのを思い付く。
 そして、23日(日曜日)にここを目指したが、鈴鹿に近付くにつれて天気の悪いことが分かって、この中で唯一に姿を表している藤原岳に目標を変えざるを得なかった。だが、JA西藤原に近付くにつれて、小雨ながら雨が降り出し、間欠ワイパーを回さないと運転がし辛くなってきた。駐車場に到着しても、いっこうに止むような気配はない。多少の雪なら、どうということはないが、私たちの冬用の上着は旧式で雨には適さない。
 毎日が日曜日という身の上である。何も、雨の日に無理をして登ることはないと、姫君と私の意見が珍しく一致し、車のエンジンを切ることなく、そのまま引き返した。
 こんな経緯があったので、本日は再挑戦の日だ。
 前回より少し遅め、8時過ぎに自宅を出発し、途中のコンビニに立ち寄って食料品を買い揃えて、一路、鈴鹿へ向かって車を走らせる。この日は、平日なので前回のように走ることはできずに到着は少し遅れたが、10時前には田光の集落を通り抜けた。
 でも、道には雪が積もっていた。旧射撃場跡までは問題なくは入れると思い込んでいたので、こんなに早く雪が現れたのは想定外のことだった。
 前方にライトバンが停まっていたので、これを避けようと雪の中へ突っ込んでいくと、車輪がスリップし始める。スタッドレスタイヤではあるが、2輪駆動ではハンドルを切ると、こうなることがある。ライトバンの運転手が、「私の車を前に進めるから、轍に沿って行ってください」と言ってくれるが、この先、突っ込んでいっても帰れなくなると困るので、これ以上、進むのを諦めて、車をバックさせる。
 すると、砕石場への侵入道路があったので、ここへ入り込み、邪魔にならない所に駐車させる。
 出発の準備をしていると、小雪が舞い落ちてきた。朝刊の天気予報では、愛知も三重も晴れマークだったのにとぼやくと、「平地と山とは違うわよ」と、姫君が達観したようなことを申される。「ここは平地だ」と反論しようとしたが、そんなことをいったところで、天気が好転するわけはなく、反対に姫君の機嫌を損ねる可能性があるので、口から出かかった言葉を慌てて飲み込む。
 こんな平地でも積雪があるのでは、山は深いことが見込まれるので、私はカッパの上下を着て、雪除けのスパッツを着ける。姫君は、下はカッパ、上を冬用のヤッケ、もちろん、スパッツも着用した。
 こうして身支度を整えて、10時22分、旧射撃場に通じる舗装道路を歩き始める。
 最初のうちは路面の7割が白色で、残り3割くらいがアスファルトの黒い地肌であったが、ほどなく、道路の全面が真っ白に替わってきた。積雪量は、舗装道路の上で15から20cmくらい、その先のキャンプ場への分岐となっている栃谷橋の上では40cmくらいあった。
 最初のうちは道路上に車の轍が残っていたが、橋のだいぶ手前からなくなっていた。ちなみに、帰りにはトヨタのランドクルーザーと思しき車が橋の直前まで乗り入れていたが、ここに放置していたので、ここで前進を諦めて徒歩で前進したと推定された。
 車の進入状況はこんな具合であったが、人の足跡はそんなに多くはないが何人分かは確認できた。また、薄いがカンジキの跡も残っていた。
 栃谷橋を通過したのが10時44分で、砕石場の取り付け道から22分が経過していた。そして旧射撃場跡横の登山口の掘立小屋に着いたのが、10時56分。思わぬアルバイトを強いられたことになった。
 旧射撃場跡と書くが、ここには2、3年前までクレー射撃の練習場があった。道路の方から山側に向かって銃弾を発射して標的の皿を狙い撃つ競技の練習場になっていた。この銃の音は登山中に耳に入ってくるので、音の大きさで登山口まで遠いか、近いかの判断基準になっていた。
 また、この射撃場の記憶として残っているのに、こんなこともあった。細かい経緯は忘れたが、八風峠でテントを張ったことがあった。このとき、あいにくと酒が切れた。誰が言ったかは忘却の彼方だが、「射撃場に自動販売機があるはずだ。誰か、買ってこい」誰も応ずる者はないと思ったが、一番若い元気者の藪ちゃんが余程ビールを飲みたかったのか、「僕、買ってくる」といい、この射撃場まで酒を買いにきた。結果は、『射撃場は危険な銃を扱う所。そんな場所に酒を置いてあることは考えられない』ということで、買えなかったという落ちが付いている。
 閑話休題、登り勾配の雪道を40分近くも歩いてくると、早くも身体は暑くなり、カッパの上は脱いで、スポーツシャツ(厚手の冬用)姿になる。ちなみに、下のカッパはそのままだ。姫君は、ヤッケはそのまま、中のシャツを1枚脱いだようだ。
 11時06分、小屋を後にする。
 暫く歩くと、左手の沢の方にちょっとした広場があった。『段木尾根への入口は、ここかもしれない』と思い、姫に待ってもらい、この広場の方へ偵察に向かうが、沢の様子が異なっている。この段木尾根は、これまでに2、3回歩いているが、いずれも降りに使い、登りに使ったことはない。降りの場合は、沢に降りれば、それを渡りきると登山道というか、林道に到達する。林道に交われば、そこを降るだけのことなので、何処に着いたかは問題ない。このため、この徒渉地点が詳しい記憶として残っていないのだ。昨年1度、この尾根を降りてきているが、豪雨被害によって川の相は従前とは著しく異なっていたのを思い出していた。ちなみに、尾根への取り付きは、2つの沢が合流している所だが、ここは川の相も違えば、沢の合流もなかった。
 とにかく、本日は白一色の世界だ。無雪期とは、景色がまったく異なっている。このときのことを思い出せと言っても、それは無理というものだ。こんなことなら、地図でも持参すればよかったと思ってはみたが、慣れ親しんだ鈴鹿に来るのにわざわざ地図を持参しなくともということで、近年、持ってきたためしがないことが裏目に出たということだ。
 ここを諦めて、先人の付けた足跡に従って前進していく。
 そのうちに何時しか、小さな涸沢へと入っていく。こんな沢道は歩いたことがないはずで、『道を間違えたかな』と思ってはみるが、もう少し、この足跡に付いて行くことにする。ちなみに、帰ってから調べてみると、この涸沢は、モミノキ谷というらしい。
 このモミノキ谷のある箇所で、足跡は前進を止めて右手の急斜面を直登していた。この上の尾根がどうなっているかは分からないが、何れは三池岳へ通じていそうなことは推定できる。これをみて1度は、『乗りかかった船』で、この足跡をトレースする誘惑も感じたが、何処へ行くか分からないものの後に従っても仕方がないと思い、これは断念する。登山道は、沢沿いに付いているので、左手にあることは間違いない。この登山道へ戻るために左手の急斜面を登り上がりきると、そこには林道があった。
 ちなみに、帰り道に、この林道をそのまま降って行ってみた。林道は左手に緩やかにカーブしている様子なので、それに沿って進んでみると、道は途切れてしまう。反対に右手に進んでいくと、これまた行き止まりになる。林道は深い雪が覆っているので、それが果たして道なのかどうかは分からないが、2人の知恵を出し合った結論では、『林道が3年前の洪水で流されて消滅してしまった』というものであった。昨年、ここを通ったときのことを憶えていても良さそうなものだが、このときの記憶は2人ともに蘇ることはなかった。
 ここから再び林道歩きになるが、ここに付く足跡はカンジキの薄いものがあるだけだ。降雪の状況が分からないので、正確なことは言えないが、先週末に付けられたものではなく、もっと以前のものだと考えられる。
 この林道を歩いて行くと、大きな堰堤の手前で沢の中へ入っていく。この堰堤を乗り越えていくのは分かっているので、何とか通れそうな場所を選びながら進んでいくのだが、岩と岩が積み重なっているとか、岩と流木が重なり合っているとか、地形は複雑を極めている。この上に1m弱の雪が被っているので、下がどのようになっているのか推測もできない。運が悪ければ何処かで踏み抜くかも分からないので、慎重に片足づつ間合いを計りながら堰堤へと詰めていく。こんな場面で、片足が落ちても股で停まるので少しくらい痛くともたいしたことにはならないが、両足が落ちて岩の間に身体が挟まったら、抜け出すに抜け出せないということも考えられる。このため、慎重の上にも慎重に下を探りながらなので大変であった。
 こうして、この難所をクリアすると、そこには標識が建てられていた。
 この標識を写真に撮ったが、そのときの正確な時刻は、12時09分(後に画像で確認)であった。
 この標識は八風観光協会が建てたもので、ここが八風峠ならびに中峠登山道であることに間違いなく、ここが滝谷出合であることが記されていた。
 そして標識の後ろには山のほうへ登り上がることができそうな道が付いていた。ためしに、これを上へ偵察に行くと、間もなく、雪により道か否かが分からなくなってしまった。
 降りてから、このことを姫君に告げると、「ここから新しい道ができたのよ。こちらを通ればあの怖い所を通らなくて済んだの」と姫君が申されるが、私は何のことやらチンプンカンプンであった。帰り道でも、姫君は、この高巻き道を通ろうと主張したが、私には意味が分からなかったので往路と同じルートで降った。暫く歩いたところで、姫君が、指で指し示しながら、ここから山側へ入って、先ほどの標識のところへ降りれば怖い思いで岩を渡り、乗り越えなくてもよいのだと口が酸っぱくなるほど説明してくれたので、ようやくエスケープルートが設けられていたことを理解できた。こうしてみると、姫君のほうが記憶力の良いことを認めざるを得なかったが、これを口にするとバカにされるのは必定なので、出そうになる言葉を呑みこむことにする。
 要するに、この辺りも林道が洪水のために崩壊してしまったことが、帰ってから奥村光信翁の絵地図をみながら勉強して初めて理解できた。
 この絵地図を見ていて、もう一つ分かったことがある。
 それは、この滝谷出合いこそが、段木尾根への取り付きだということが……、である。しかしながら、この時点では段木尾根への取り付きは、既に見落して通過してしまったものだと思い込んでいたので、地形を見ようとも思わなかった。
 ここで写真を撮ったとき、姫君が時間を聞いたので、カメラから時間を読み取ることにし、取り終えた画像を見ると、なんと、1時25分を示していた。「もう、13時25分だよ。物凄く、時間がかかっているね」といい、同時に、本日、仙香山に行くことは困難だとの諦めの気持ちが起こっていた。
 ここから先、1つの堰堤脇を乗り越えると林道はなくなり、これまで歩いてきた沢の左岸から右岸へ渡ることになる。薄いカンジキの跡は堰堤の真上を渡ったように付いている。危ないと思いながらも、それに倣ったが、帰りには流石にそれは避けて何時も徒渉する場所から渡ったが……。
 これからは惰性で歩いているだけで、頭の中では何処で区切りを付けて帰ろうかということでいっぱいだった。そして、途中で帰るとならば雪景色の写真も撮っておかなければと、ここで初めて2、3枚の景色の写真を撮った。
 2番目の八風観光協会の標識に出合った。
 これには、左が水晶谷、右が八風谷であり、ここがこれらへの分岐点であることを示されていた。
 このとき、再び、カメラの時刻を確認すると、12時45分を示していた。すると、先ほどの1時(13時)25分は何だったかと思い、再び、画像モニターを見つめると、あるある1時25分の表示が……、その他に12時45分の表示もある。種明かしすると、1時25分だと思ったのは、1月25日の日付を時間だと思っていたという笑うに笑えない失敗だった。
 これを姫に伝えると、「ここから頂上まで、どれくらいかかる?」とご下問がある。「1時間くらいじゃぁない。でも、今日は時間がかかっているので、どれくらいかかるか分からない」と答え、「今日は、ここらで帰ろうよ」と言葉を継ぎ足す。こんな場合、何時もなら私が「もう少し、行こう」と引っ張るのを、姫君が「もう、ここらで止めとこうよ」と止めるのだが、本日は先ほどの『13時25分』で撤退を決め込んでいる私と立場が逆転していた。
 こんな具合で、この八風谷出合を最終到達点として、ここから引き返すことになる。
 普通なら、登山口の掘立小屋から、ここまでのコースタイムは1時間30分くらいであるのに対して、本日の私たちは1時間36分であった。コースタイムが雪のない道を歩くのに対して、私たちは歩き難い雪道である。こんなハンディを考慮すると頑張って歩いてきたといえるが、いかんせん、登山口までの40分近い余分な歩きが悔やまれる。
 帰路は、13時52分に登山口、ここで昼食休憩20分を採り、14時12分に登山口を出発して14時39分に砕石場取り付け道路に停めた車の所に帰り着いた。

最終到達地点(八風谷出合)

追記
 雪の状態についての記述が中途半端だったので、改めて触れておく。
 積雪量は、栃谷橋の上で40cmということは前に述べたとおりであるが、林道を終えて谷の中へ入っていくと、ハッキリしたことは言えないが、概ね、1mくらいではないかと思う。
 これだけの積雪があると、歩くのが大変だと思いがちであるが、下層部分の雪は締まっていて、ここから下は沈み込むことはない。したがって、上層の新雪部分が少し沈み込む程度であり、埋まった足を引き抜いて歩くということはなかった。雪のない普通の登山道を歩くよりは、雪がある分、歩き難いことはあったが、積雪量に比べると楽ができた。
 また、雪質は、さらっとした雪で新雪部分は踏み込むと確実に締まって止まるので、滑ることを意識することは殆どなかった。このため、私も姫君もアイゼンを付けようという気にはならなかった。
 問題があるとすれば、下がどのようになっているのかは不詳ながら、スボッと踏み抜くことがあることだ。これは表面を見ても踏み抜くか否かは分からない。運が悪いとそうなるが、頻度としてはごく稀れであった。大岩の積み重なった河原を除けば、股まで落ちたのが1回、膝までのことが1回あっただけだ。

● COMMENT ●


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://yore4040.blog24.fc2.com/tb.php/30-6a242977
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

北海道の花・その68 «  | BLOG TOP |  » 北海道の花・その67

アクセス数

検索フォーム

最新記事

最新コメント

カテゴリ

登山 (147)
山野草 (417)
雑文 (139)
未分類 (14)
お知らせ (6)
案内 (2)
百名山 (22)
花旅 (75)
旅行 (29)
2014 北の大地花旅 (86)
2016・北海道 (83)
2016・北海道 (1)

月別アーカイブ

リンク

このブログをリンクに追加する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。