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2017-09

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御在所岳④(ございしょだけ・1212m) - 2011.11.13 Sun

 先の藤原岳行きから帰ってみると、膝はガクガクであった。翌日になると別の個所が更に悪くなっていた。太股の表側と向こう脛の筋肉痛だ。これが4日間、金曜日まで続いた。
 土、日曜日の天気予報は『好天』であったが、月曜日以降は崩れるという予報である。
 このため、日曜日には、是非、出かけたいので、この旨、姫君に申し出ると、彼女も同じ気持ちだったらしく、直ちに、お許しが出る。
 13日(日曜日)の朝、何時もより早めの7時30分頃、自宅を出発する。鈴鹿への道は空いていて、順調に走ることができた。
 希望荘の手前で鈴鹿スカイラインに合流。するとゲート(冬期通行止めになる場所)の所で駐車している車がある。『おかしい』と思っていると、道路端の空地という空地は、すべて車で埋め尽くされるようになってきた。
 仕方がないので、そのまま車を走らせると、この道が有料道路であった頃に料金徴収をしていた場所(今は駐車場)にやってきたが、駐車するスペースなどは皆無、道の両側にはびっしりと車が停められていた。『引き返さなくてはならないか』と思いつつ、目を先のほうへ向けると、これまで通行止めをしていた柵が取り払われて先へ進入が可能になっている。3、4年前の集中豪雨で道路ののり面が崩壊後、修復工事のために通行止めになっていたのが解除されたことが分かる。これで武平峠を通って滋賀県側との行き来ができることになったようだ。
 そういえば、鈴鹿スカイラインに入ってから自転車が多くて理解に苦しんだが、これで謎が解けた。この道路の復旧、開通で、自転車族が一挙に押し掛けたのだということが分かった。
 私たちも、駐車可能な空地を求めて前進することにすると、幸運は直ぐに訪れた。御在所山の家への通路脇に1台のみだが駐車できるスペースが、私たちを待っていたとでも言いたそうに空いていた。こんな特等席が残っているとは何という幸運かと思ったときには、ここへ車を突っ込んでいた。多分、ここに停めていた車が直前に何かの理由で帰ったのだと推定された。
 それにしても、本日の登山者は多い。一時、下火になっていた登山ブームが最盛期へ戻ったようにも映った。ここから見通せる中道登山口へ通じる道も登山者の列が途切れることはなく続いている。
 私たちは、往路を裏道、復路を中道という図式を漠然と描いていた。が、裏道登山口は既に通り過ぎているので、ここからだと、中道、一ノ谷新道、本谷ルートから選択することになる。本日の人出では、普通の登山道は大混雑することは目に見えているので、避けた方が懸命だ。すると、残るは本谷ルートということになる。このことを姫君に告げると、彼女は強いて反対はしないので、本日のルートは自然に本谷ルートに落ち着いた。
 9時25分、車を後に残して御在所山の家に通じる石段を上がって行く。この建物をグルッと回り込むと正面広場にやってくる。この広場の最奥に本谷登山口が設けられている。
 落ち葉の積もった登山道を歩いて行くと、嫌なものを目にした。
 銀色のペンキが立木にぬたくって(名古屋弁?=塗って)ある。それも中ほどと高い場所の二ヶ所もにである。「ここにもバカがいる」と姫君にいうと、声が大きかったのか、先を歩いていた登山者が振り向いた。
 巻き道が終わって谷に降りると、この新手のペンキ印がより目立つようになる。先に目を向けると、谷の幅いっぱいに幾つもの銀色の丸印が広がっている。付けも付けたりというより、良くも汚してくれたものよと怒るより呆れたほどだった。
 私は、テープを巻いたり、リボンを下げるという目印は、邪魔だなと思っても、それを必要とする人もいるのだから……との理由で容認してもよいと考える。でも、立木にペンキを塗るのはもちろん、谷の中の岩にペンキでのマーキングも止めた方がよいと考える。谷の中の岩は、大水の度に動いている。ペンキマークを付けた岩が、流されて別の場所に落ち着いたらどうなるか、それを頼りにする人を間違った方に誘導することにならないかということも考えてみたい。
 アルプスなどの高山では、濃いガスに包まれることがある。このようなとき、岩場を歩いているとペンキマークは涙の出るほどありがたいものだが、この鈴鹿の山中でそんな濃いガスが出るときに巡り合わせたことがなく、正直にいってこれだけ連続した印は不要である。
 でも、マークを付ける人は、自分の行いは善行であると思い込んでいるので始末が悪い。特に老人は、善行の積み重ねが死後の極楽浄土への道だと思っているらしい。こうなってくると、止める術はなく、彼が善行を積めなくなるのを待つより他に方法がない。
 これだけ連続的に印を付けられると、何だか「俺に従え、俺の後をついてこい」と言われているようで反発したくなる。わざと印を外そうと試みても、谷の中で通過できる範囲は自ずと限られてくるので、知らず知らずのうちに印の後に従うことになってしまい、後実の悪さを味わうことになる。
 こんなことを繰り返して不動滝までやってくる。
 ここからは谷の右岸を高巻き、不動滝を越えた所で、再び、谷に入っていく。相変わらず、谷の中にはびっしりと銀色のマークで埋まっている。
 とある場所で、マークは右岸の岩場を登って行くように誘導している。ここは、左岸に近い所に1個の大岩が斜めに横たわっている場所で、以前、この岩をよじ登るためのロープが付いていたが、数年前にこれが取り払われた。ここは左岸を高巻く踏み跡もあって姫君はここを使うことが多いが、私はこの岩をよじ登っている。でも、折角、印が付いているので、左手の方へ偵察に赴く。近付いて観察すると、足場はしっかりしているが、垂直に岩壁を3、4m以上も登らなければならない。登って登れないことはなかろうが、ちょっと危険でもあるので、ここは諦めて何時もの大岩の所に戻る。大岩の下には短い流木が立てかけてあって足場が造られているので、以前に比べると登り易くなっている。今日はどうしてか、以前、この岩の上で滑り落ちそうになったことを思い出し、1歩を踏み出す勇気が湧かず、姫君の後に従い、高巻き道を登った。
 ちなみに、ペンキ印は、こちら側にも付いていた。ということは、両方の登り方を示しているので、印は丁寧に付けられたものだと言える。また、私が危険だと判断した岩場を登っているところから推し、岩登りの技量もある人物が付けたと推定される。でも、これだけペンキをぬたくっては、やり過ぎと非難されてもいたしかたなかろう。
 ここを登り上がると、間もなく大黒滝にやってくると思い込んでいた。このため、そのまま谷を詰め登っていくが、どうも様子が変。なかなか大黒滝が見えてこない。そのうちに姫君が「谷を間違えていない?」と言い始める。「いや、ここでいいはずだ。間違えているとすると正しい谷はどっちにあると思う?」と問うと、「右手よ」との答えが返ってくる。「それはおかしい。間違っているとするなら、本来の谷は左手になければならないよ」と私の考えを述べたが、2人の答えが違っていてはトラバースして進むわけにもいかず、そのまま登ってきた方向へ降ることにする。
 ある程度降ると、姫君が「この谷よ」と右手の方向を指差す。「違うよ」と反論すると、「今、登った谷は、以前、あなたが間違えて登った谷よ」と言う。こう言われれば思い出した。私たちが入り込んだ谷が『こうもり谷』だったことが……。『こうもり谷』の存在は頭の中にあったが、記憶していた順番が異なっていたのだ。不動滝~こうもり谷出合~大黒滝という順番であったのを、不動谷~大黒滝と早とちりをしていたのだ。
 こうして軌道修正はでき、ここからひと登りで、大黒滝にやってきた。
 大黒滝は、右岸の垂直の2mくらいの岩壁を登るのだが、ここにも幾つものペンキマークが付けられていた。岩壁の窪みのいくつかを丸で囲んであるので、そこが足場であることを示しているのだと思われるが、こんなことはいらぬお節介だ。そんなことを指示してもらわなくても自分で登り易い所を登ればよいのだ。私たちは、手がかりのないそこではなく、木の根っこを支えにできる場所から登っている。
 この次は、御影石に刻まれた細い水路に沿って登り上がる場所があり、ここを冬場に登るときは姫君が苦手としている所でもある。でも、雪も積もっていないし、凍ってもいない今は姫君も比較的に簡単に登り上がることができて、「あら、簡単だったわ」と姫君はニッコリ。
 ここから暫くは、急登が続く。まともに足だけでは登っていけず、何かを掴んで身体を腕の力を借りながら持ち上げていかなければならないほどの厄介な場所である。
 ここを通過すると、再び、谷の中に入っていく。
 すると、次の難所は谷の真ん中に覆いかぶさるような形で岩がせり出している。これを越すには、岩の中にできた自然の穴をくぐり抜けるか、この邪魔する岩の右か左かをすり抜けるように登らなくてはならないが、最も安全なのは岩の中をくぐり抜ける方法だ。
 私たちは、水の流れ落ちる細い滝を正面から登り、大岩の根元に辿り着き、ザックを降ろして、ここにできた穴を上の方にくぐり抜けていく。穴の出口は、以前より広がり、抜け出すのが容易になっていた。穴を塞いでいた岩が1つ何らかの要因で落ちたものとみられる。
 ここをくぐり抜けたとき、1人の登山者が登り上がる背中が見えた。私たちが岩の穴をくぐり抜けているうちに、脇の方を追い抜いて行ったことが分かった。そういえば、本日、出会った登山者は、登山口付近で追い抜かれた人と今の背中の人の2名だけ。その他に私たちの前を行く複数の登山者の背中が見え隠れしていたが、私たちが『こうもり谷』に入り込んでいたうちに私たちとの距離は開き、これ以後、彼らを見かけることはなかった。こんな具合で、他のルートの大混雑とは裏腹に、本谷は静か、そのものであった。
 このくぐり岩の難所を過ぎると、危険な場所はもうない。後は、急勾配の谷を体力勝負で登り詰めればよい。
 真上に見えるロープウェイが、駅舎内で減速するときに発する摩擦音が耳許で聞こえるようになると谷も大詰めに近づく。何時もは、最奥まで詰めて左手の大黒岩に通じる尾根にでるか、右折してロープウェイの巡視路を辿るかだが、この日は巡視路へ右折する道は通行止めにしてあり、逆に左手の方向に誘導していた。この道も大黒岩の尾根に通じていることは分かっているので、こちらへ方向を採る。
 尾根に出ると、直ぐ左手に大黒岩が見えているが、ここは立ち寄っても仕方がないので、直ちに右折して頂上の1つである朝陽台(あさひだい)へ向かう。
 途中で2ヶ所、一ノ谷新道に交わる道があるが、これをやり過ごして直接に駅舎の方へ向かい、ここから中央広場に降る。
 そして、12時10分、登山者と観光客がごった返す朝陽台に到着する。出発から2時間45分がかかっている。道を間違えてロスした20分内外があるので、何時もよりは余計に時間がかかった勘定である。
 ここのテーブルの空いていた場所に座ると、前の席に見覚えのある人の顔があった。大垣山岳協会のナベさんだった。久しぶりの再会を喜び、食事を摂りながら思い出話に花を咲かせているとあっという間に時間は過ぎていった。
 12時30分、頂上を後にして中道から下山する。
 この時間になっても、中道は大混雑であった。この中には、観光バス2台できたという大阪からの80名のツアー登山グループも含まれていたので、混雑ぶりも分かろうというものだ。
 この混雑も、キレットまで。キレットの手前から、右手へ降りる佐々木新道を使ったので、以後、人と出会うことはなかった。
 こうして、13時45分に御在所山の家前の駐車地に帰り着いた。
 まだ、時間が早いので開通がなったという武平峠まで様子を見に行き、ここまで通れることを実際に確認してから家路に就いた。

御在所岳朝陽台

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