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唐突に襲った病魔 - 2011.08.13 Sat
8月6日(土曜日)の夜、東北の山旅の後半を予定どおりに無事に終え、名古屋へ帰ってきた。
東北でも昼間は暑かったが、陽が落ちると火照りもなくて急速に気温が下がるので、最後の新潟を除くと、夜間は掛け布団がなしでは過ごせないという、夏にしては快適な状態が続いていた。このため、酷暑の名古屋の夜が心配されたが、幸いなことに6日の夜は涼しかったので、クーラーの世話になることもなく、真夏の名古屋では想像することのできないほどの快適な1夜を過ごすことができた。
翌7日(日曜日)は、前夜、ぐっすりと眠った延長で、何時もと比べると遅い目覚めであった。
朝食を済ませてブログに目を通すと、コメントと掲示板への書き込みが各々1件づつあったので、これらにレスポンスを付けるために机の前に座ったものの、どういうわけだか再起動がかってにかかってしまい、それまで書いたものが一瞬にして消えてしまった。これに気落ちして、ブログは月曜日から再開すること決め、以後、テレビを視たり、疲れては寝るという怠惰な1日を過ごすことになった。これも旅疲れの解消手段だと理屈付けして、この日、一日は完全休養と決め込む。
問題は、この日の夜に発生した。
19時頃、夕食が始まった。私たちには、晩酌の習慣があるので、この夜も当然のことのように酒を飲み始める。ビール(小)と焼酎の薄めの水割りであった。
酒も終わり、そろそろ食事にしようとなった頃、胃に異常を感じるようになる。痛いというより胃がパンパンに張り、これが原因か痛みも少し感ずるという症状だった。
これと同時に便意も催すので、トイレに駆け込む。途端に、大量の水便が出る。こんなときには、私の常備薬である正露丸をのむのが常なので、この際にもこれを服用する。
こんなことが2度も続く。これで腹の中のものは、綺麗サッパリと出きった感じだったが、症状はいっこうに回復することはなかったどころか、ますます酷くなったように感じた。
胃の張った感じはいよいよ顕著になり、気持ちの悪さも加わってきた。これが進行すると、大袈裟な表現になるが胃が張り裂けるのではないかという強迫間にも襲われる。これとともに幼児期の出来事を思い出していた。田舎育ちの私は、田んぼのカエルを捕まえて、それに麦幹を差し込んで膨らませるという、今では考えられないような悪さしたことがある。この罪悪感は大人になっても消えることはないというか、記憶から消し去ることはできず、このときもフッとそれが蘇ってきて、私の胃もカエルのそれと同様の運命を辿るのかという恐怖感も痛みを増幅させたようだ。
これに耐えていると、今度は弱い吐き気を催すので、大急ぎでトイレに駆け込み便器を抱え込んで備えるが、なかなか嘔吐するまでには至らない。諦めて部屋へ戻るが、気持ちの悪さは収まらず、暫くすると、再度、吐き気が襲う。また、便器を抱え込む。こんなことが2度、3度と繰り返された後、今度は大量な胃の中のものが吐き出された。これで上も下も空になったはずなので、そのうちに落ち着くものと思っていたが、これは希望的観測に過ぎなかった。また、吐き気が襲ってきた。この際、前回の嘔吐が嘘だったような大量の嘔吐物があったのには驚いた。
今度こそは大丈夫だろうと思ったが、そうは簡単には終わらなかった。
症状は酷くなるばかりで、苦しさが増し、吐き気もいっこうに改善しないので、トイレのドアーを開け放して便器の前で「くの字」になって寝ることになった。
これで病院へ行かざるを得ないことを悟るが、この日は日曜日で診察をする病院が分からない。仕方なく、救急車を呼ぶことにする。
架電後、数分で救急車が到着した。
救急車に乗るのは初めてのことなので興味があり、苦しい中ではあったが内部をつぶさに観察してみたい気持ちはあったが、実際にはそんな余裕はなく、早く病院へ着けてくれることだけを願っていた。
救急車が走り出すと、ゴトゴトと揺れて、意外にクッションが悪いことが分かった。私たちのヨレヨレ号も、救急車もベースとなる車はトラック、正確には乗用貨物車なので、これも止む得ないことかと変なことを考えていた。
救急車の到着した所は、名城病院だった。
到着後、レントゲンとCT検査をした結果、救急担当医の見立ては「腸閉塞=イレウス」だという。
さらに造影剤を注入したCT検査が必要で、これには本人ならびに保証人の承諾が条件だといわれた。これで、この検査には危険が伴うことが素人の私にでも分かるので、「できることなら受けたくない」と婉曲に拒否したが、何とかかんとか言いくるめられて結局は造影剤の注射をされることになった。ちなみに、結果的には造影剤による異常は何も感じることはなかったが……。
今度は、鼻からカテーテル(管)を胃の中まで差し込むというが、こんな経験はしたことがない。このような野蛮な行為は私には受け付けないだろうことは分かっていたので、そのことを告げるが、患者の気持ちを斟酌していては治療が進まないとばかりに、強引に鼻の穴へカテーテルを突っ込む。鼻の中は通るのだが、喉から食道へは入らずに舌の根元でカテーテルは蛇のようにドグロを巻くだけだ。すると、「うどんを飲み込むようにしろ」というが、うどんを口から入れるなら苦もなく飲み込むことができるが、鼻から押し込んだうどんではおそらく私には飲み込むことはできなかっただろう。こんな最中、「私は、うどんより蕎麦が好きだ」とジョークをいうが、うどんより細い蕎麦なら入るかもしれないという真意は彼らに伝わるはずもなく、人が代わって何回も行われるが、結局のところ、カテーテルの装着は諦めたようだ。
これで医師は悪感情を抱いたのか、「腸が腐っているかも分からない。今般、悪化すれば緊急手術を行う」と宣告。病室も6階の消化器内科から8階の外科病棟へと変えられた。
こうして外科病棟の808号室への入院が決まった。
このとき、既に日付は変わり、7日(日曜日)の1時を過ぎていた。
この病気は、格別の治療というものはないようで、点滴を受けただけで正露丸1粒も飲まされることはなかった。
でも、この夜はグッスリと眠ることができ、朝、目覚めると昨夜の大騒ぎが嘘みたい、胃に違和感が少し残るくらいで、平常と変わらなくなっていた。
でも、この日は完全に絶食を強いられた。でも、点滴のせいか格別の空腹感に苛まされることはなかった。
8日(月曜日)になると、朝食は「重湯=おもゆ」。昼から3分粥となった。
翌9日には5分粥。その次の10日は7分粥、その翌日、11日は全粥となり、12日からようやく普通の御飯となり、本13日、退院という運びになった。
このように入院中、格別の治療ならびに投薬は一切なく、食事療法のみであった。また、発病の原因も不詳のようで、今後、気を付けることといえば消化の良いものを食べることという頼りないものだった。
ちなみに、こんな入院にもかかわらず今般の入院費を始めとする支払総額は8万円内外と、治療内容に比す湖と高めの印象を受けるものだった。

東北でも昼間は暑かったが、陽が落ちると火照りもなくて急速に気温が下がるので、最後の新潟を除くと、夜間は掛け布団がなしでは過ごせないという、夏にしては快適な状態が続いていた。このため、酷暑の名古屋の夜が心配されたが、幸いなことに6日の夜は涼しかったので、クーラーの世話になることもなく、真夏の名古屋では想像することのできないほどの快適な1夜を過ごすことができた。
翌7日(日曜日)は、前夜、ぐっすりと眠った延長で、何時もと比べると遅い目覚めであった。
朝食を済ませてブログに目を通すと、コメントと掲示板への書き込みが各々1件づつあったので、これらにレスポンスを付けるために机の前に座ったものの、どういうわけだか再起動がかってにかかってしまい、それまで書いたものが一瞬にして消えてしまった。これに気落ちして、ブログは月曜日から再開すること決め、以後、テレビを視たり、疲れては寝るという怠惰な1日を過ごすことになった。これも旅疲れの解消手段だと理屈付けして、この日、一日は完全休養と決め込む。
問題は、この日の夜に発生した。
19時頃、夕食が始まった。私たちには、晩酌の習慣があるので、この夜も当然のことのように酒を飲み始める。ビール(小)と焼酎の薄めの水割りであった。
酒も終わり、そろそろ食事にしようとなった頃、胃に異常を感じるようになる。痛いというより胃がパンパンに張り、これが原因か痛みも少し感ずるという症状だった。
これと同時に便意も催すので、トイレに駆け込む。途端に、大量の水便が出る。こんなときには、私の常備薬である正露丸をのむのが常なので、この際にもこれを服用する。
こんなことが2度も続く。これで腹の中のものは、綺麗サッパリと出きった感じだったが、症状はいっこうに回復することはなかったどころか、ますます酷くなったように感じた。
胃の張った感じはいよいよ顕著になり、気持ちの悪さも加わってきた。これが進行すると、大袈裟な表現になるが胃が張り裂けるのではないかという強迫間にも襲われる。これとともに幼児期の出来事を思い出していた。田舎育ちの私は、田んぼのカエルを捕まえて、それに麦幹を差し込んで膨らませるという、今では考えられないような悪さしたことがある。この罪悪感は大人になっても消えることはないというか、記憶から消し去ることはできず、このときもフッとそれが蘇ってきて、私の胃もカエルのそれと同様の運命を辿るのかという恐怖感も痛みを増幅させたようだ。
これに耐えていると、今度は弱い吐き気を催すので、大急ぎでトイレに駆け込み便器を抱え込んで備えるが、なかなか嘔吐するまでには至らない。諦めて部屋へ戻るが、気持ちの悪さは収まらず、暫くすると、再度、吐き気が襲う。また、便器を抱え込む。こんなことが2度、3度と繰り返された後、今度は大量な胃の中のものが吐き出された。これで上も下も空になったはずなので、そのうちに落ち着くものと思っていたが、これは希望的観測に過ぎなかった。また、吐き気が襲ってきた。この際、前回の嘔吐が嘘だったような大量の嘔吐物があったのには驚いた。
今度こそは大丈夫だろうと思ったが、そうは簡単には終わらなかった。
症状は酷くなるばかりで、苦しさが増し、吐き気もいっこうに改善しないので、トイレのドアーを開け放して便器の前で「くの字」になって寝ることになった。
これで病院へ行かざるを得ないことを悟るが、この日は日曜日で診察をする病院が分からない。仕方なく、救急車を呼ぶことにする。
架電後、数分で救急車が到着した。
救急車に乗るのは初めてのことなので興味があり、苦しい中ではあったが内部をつぶさに観察してみたい気持ちはあったが、実際にはそんな余裕はなく、早く病院へ着けてくれることだけを願っていた。
救急車が走り出すと、ゴトゴトと揺れて、意外にクッションが悪いことが分かった。私たちのヨレヨレ号も、救急車もベースとなる車はトラック、正確には乗用貨物車なので、これも止む得ないことかと変なことを考えていた。
救急車の到着した所は、名城病院だった。
到着後、レントゲンとCT検査をした結果、救急担当医の見立ては「腸閉塞=イレウス」だという。
さらに造影剤を注入したCT検査が必要で、これには本人ならびに保証人の承諾が条件だといわれた。これで、この検査には危険が伴うことが素人の私にでも分かるので、「できることなら受けたくない」と婉曲に拒否したが、何とかかんとか言いくるめられて結局は造影剤の注射をされることになった。ちなみに、結果的には造影剤による異常は何も感じることはなかったが……。
今度は、鼻からカテーテル(管)を胃の中まで差し込むというが、こんな経験はしたことがない。このような野蛮な行為は私には受け付けないだろうことは分かっていたので、そのことを告げるが、患者の気持ちを斟酌していては治療が進まないとばかりに、強引に鼻の穴へカテーテルを突っ込む。鼻の中は通るのだが、喉から食道へは入らずに舌の根元でカテーテルは蛇のようにドグロを巻くだけだ。すると、「うどんを飲み込むようにしろ」というが、うどんを口から入れるなら苦もなく飲み込むことができるが、鼻から押し込んだうどんではおそらく私には飲み込むことはできなかっただろう。こんな最中、「私は、うどんより蕎麦が好きだ」とジョークをいうが、うどんより細い蕎麦なら入るかもしれないという真意は彼らに伝わるはずもなく、人が代わって何回も行われるが、結局のところ、カテーテルの装着は諦めたようだ。
これで医師は悪感情を抱いたのか、「腸が腐っているかも分からない。今般、悪化すれば緊急手術を行う」と宣告。病室も6階の消化器内科から8階の外科病棟へと変えられた。
こうして外科病棟の808号室への入院が決まった。
このとき、既に日付は変わり、7日(日曜日)の1時を過ぎていた。
この病気は、格別の治療というものはないようで、点滴を受けただけで正露丸1粒も飲まされることはなかった。
でも、この夜はグッスリと眠ることができ、朝、目覚めると昨夜の大騒ぎが嘘みたい、胃に違和感が少し残るくらいで、平常と変わらなくなっていた。
でも、この日は完全に絶食を強いられた。でも、点滴のせいか格別の空腹感に苛まされることはなかった。
8日(月曜日)になると、朝食は「重湯=おもゆ」。昼から3分粥となった。
翌9日には5分粥。その次の10日は7分粥、その翌日、11日は全粥となり、12日からようやく普通の御飯となり、本13日、退院という運びになった。
このように入院中、格別の治療ならびに投薬は一切なく、食事療法のみであった。また、発病の原因も不詳のようで、今後、気を付けることといえば消化の良いものを食べることという頼りないものだった。
ちなみに、こんな入院にもかかわらず今般の入院費を始めとする支払総額は8万円内外と、治療内容に比す湖と高めの印象を受けるものだった。

● COMMENT ●
kitayama-walk さん、おはようこみ゛ざいます。
ご丁寧な御見舞を頂戴し、痛み入ります。本当に、ありがとうございます。
一時は、切られる寸前までいき、「これで今年中の百名山の完登はなくなった」とガッカリしました。でも、結果的には、軽くて済み、「目的は達成できそう」だと、喜んでおります。
因果関係がはっきりしていると、対処法もそれなりに分かるが、原因不明というのでは今後のことが分からないので、漠とした不安が払しょくできません。
kitayama-walk さんは、まだお若いので私たちとは比べられないが、それでも暑い夏は体力の消耗も激しいのは変わりません。充分の上にも充分に御身体を労わってください。
ご丁寧な御見舞を頂戴し、痛み入ります。本当に、ありがとうございます。
一時は、切られる寸前までいき、「これで今年中の百名山の完登はなくなった」とガッカリしました。でも、結果的には、軽くて済み、「目的は達成できそう」だと、喜んでおります。
因果関係がはっきりしていると、対処法もそれなりに分かるが、原因不明というのでは今後のことが分からないので、漠とした不安が払しょくできません。
kitayama-walk さんは、まだお若いので私たちとは比べられないが、それでも暑い夏は体力の消耗も激しいのは変わりません。充分の上にも充分に御身体を労わってください。
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突然のことで大変な思いをされたことと思います。医者の見立てのとおり、腸閉塞(イレウス)だったのですね。でも、その原因がよくわからないということですか? 多分、機能的イレウスで軽度だったため、保存的治療で間に合ったのでしょうね。いずれにしても、健康にはくれぐれも気をつけて下さい。暑さの真っ直中なので十分ご自愛下さるようお願いします。