ホテイランを鑑賞に八ヶ岳へ - 2018.06.07 Thu
6月に入り、梅雨が、直ぐ、そこまでに近付いてきた。
気象庁は、6月の2週目頃から梅雨入りになるのではないかという予報を発評していた。ということは、早ければ6月4日頃には宣言ということになってもおかしくはない。
私としては、梅雨に入る前に行きたいところがある。このところ定番となっている八ヶ岳のホテイランの鑑賞である。
今年は、3月下旬のヒロハアマナと5月中旬のクマガイソウを見に行っただけで、何処へも出かけていない。クマガイソウの際には、登山道でない場所を歩き、少しは自信を取り戻したが、次の機会にこの経験を生かそうという気持ちにはなかなかなれない。このため、山にはずっとご無沙汰となってしまっている。
ホテイランは、美濃戸まで車を乗り入れれば、それほど歩かなくても見ることができるということもあって、こういう気持ちにさせるのかもしれない。
そこで天気予報を改めて確かめてみると、2日、3日の土日が晴れ予想であるが、これが最後になるかもしれないとなっていた。
したがって、この両日を逃すと、花が終わってしまう恐れもある。今年はただでさえ花の開花が早いので、次の晴れの日を待つ余裕はないという気持ちにさせられた。
だが、困ったことに2日は小学校時代の同級生たちと生まれ故郷で会う予定になっていて、これを終えないと身動きが取れない。
2日、旧友との出会いを終えて家に帰ってきたのが、17時過ぎであった。
急ぎ、荷物を車に積み込んで、出発準備を整えて18時過ぎに自宅を出発する。
何時もなら、国道19号で塩尻を経由して諏訪を通って美濃戸へという道を採るが、本日は遅がけの出発ということもあって、春日井から中央自動車道を使うことにする。
恵那山トンネルを通り越して阿智パーキングエリア辺りで泊まることを考えていたが、この手前の恵那峡サービスエリアの手前辺りから薄暗くなり始めたこともあって、ここで泊まることにした。
6月3日の朝を迎えた。ここの駐車場は、車道との間にちょっとした林があって、これにさえぎられているためか、心配した騒音も前夜から今朝にかけて気になることはなく、快適な一夜を過ごすことができた。
5時頃、恵那峡サービスエリアを出発する。
途中、駒ヶ岳サービスエリアに立ち寄っただけで、諏訪南インターチェンジで自動車道を降りる。
ここからは、八ヶ岳ズームラインと呼称される道を通って鉢巻道路(県道107号)に出て、美濃戸口へという道順は、何度も、何度も走っているので、カーナビなどという面倒なものに頼らなくても体が覚えているので迷うことなく走ることができる。
美濃戸口には、八ヶ岳山荘と美濃戸高原ロッヂという2軒の山小屋と3面の大きな駐車場を備えていて、八ヶ岳の主要登山口になっている。ちなみに、ここの駐車場は150台を収容することが可能な大きなもので、いっぱいになることは滅多にないが、ここにきてチラッと横目で見たときには3面共に開かれて、一杯になっているか否かは分からなかったが、相当数の車が止められていて大いに驚く。これとともに、本日が日曜日だということを再認識した。
八ヶ岳へ登る場合、長野県側から登る場合と、山梨県側から登る場合がある。でも、主峰の赤岳に登る場合は、ここ美濃戸口から登る登山者が7割以上を占めていると私は思っている。このため、ある程度は混雑することも止む得ないが、本格的登山シーズンでもない今、このように混雑しているとは想像していなかった。
でも、私たちはもう1つ奥の美濃戸へ行く予定であるので、ここの混雑は対岸の火事といった趣であった。
ここから美濃戸まで距離は3.8キロメートルで、徒歩だと約1時間(反対の場合は45分)内外を要する。距離は短く、車でならば何の苦もないところだが、ここは地道である上に極端に路面が悪い。大石小石の散らばっている河原の中を走っているかの如くで、1度、走ってみると、2度と走りたくないと思うのだが、時間が経つと、この苦労を忘れて歩くよりはマシだと考える。走り終えてみると、次は車を乗り入れることはよそうと思うという繰り返しである。
ちなみに、ある年の正月に車を乗り入れたことがある。このときの車は4輪駆動仕様(4WD)に普通タイヤにチェーンを付けるというものであった。往路は何事も起こらなかった。復路に問題が発生した。降り勾配であり、所々でブレーキを踏むのだが、車はハンドルの操作を無視して自分勝手に動いてしまうようになった。フットブレーキを使うことを諦めて、手動ブレーキの操作で乗り切ることにして、万が一の危険回避の意味を込めて姫君を降ろして、必死に運転して美濃戸口に到着したという思い出もある。なお、車の暴走の原因は、4WD車に重量のある鉄製のチェ―ンを付けると、バランスを崩してこのようになるのだと車屋に説明されたが、真偽のほどは今でも分からない。
何れにしても、こんな道である。上下、左右に大きくゆられて、必死にハンドルに掴まってヘトヘトになりながら美濃戸に到着した。
美濃戸には、やまのこ村、八ヶ岳山荘、美濃戸山荘という3つの山荘があり、ここには各小屋の収容台数の合計が70台という駐車場が備わっている。
私たちは、何時も、この中で一番に収容台数の多い真ん中の山小屋、八ヶ岳山荘に停めるので、このときも、ここへ乗り入れようとするが、その手前で進入を禁止するかのように三角コーンが置かれていた。
手前のやまのこ村にいた従業員に訊くと、「私のところもいっぱい。下の方に停めてきてください」と思ってもいなかったことを言う。
下の美濃戸口の駐車場の盛況で、ここの満杯を予想しなかったことを悔いてはみても、今からでは如何ともし難く、とにかく、戻るより他に方法はなかった。
戻りながら、この道を観察すると、道路の幅員が広がった所はすれ違い用の空地、また、周囲の山の中へ車を突っ込めそうな場所には諏訪ナンバーの車(軽自動車が主体)が停めてあって、登山者が停めるような余地はなかった。
引き返す際、私の頭の中にあったのは、この道が二股に分かれている辺り(この先にも同じように交わる所がある)の空地に停めることであった。先ほど、ここを通ったときに駐車する余地があることを確認しているので、そのままであってくれることを祈る気持ちであった。
ここまで戻ってくると、私が思い描いていた場所とは違うが、山の中へ車を乗り入れられる空地があって、道路上に停めなくともよかったので、安心して駐車させることができた。
ここで、前夜、恵那峡サービスエリアのコンビニで買い置いた朝食をユックリと食べ、これからの歩きに備える。
7時30分頃、歩き始める。
車で走っているときには感じなかったが、実際に自分の足で歩いてみると、ここが緩やかだとは言っても登り勾配であることが分かり、上の駐車場に停められなかったことを呪いながら歩くことになった。
この道は、昔は美濃戸口に車を停めて歩くことが普通であった。だいたい、美濃戸口の駐車料金が500円であるのに対して、美濃戸のそれは1000円である。貧乏人の私たちには、この差額は大きく感じられ、特別な場合を除くと歩くことが普通であった。足が弱ってくると、500円余分に支払っても、美濃戸まで行けたほうがよいと考えるようになってきた。今から考えると、不思議というか、よく歩いたものだと思える。
ここを歩いていて、1番の思い出は美濃戸からアブがずっと追いかけてきて、追い払っても、追い払っても離れずに執拗に攻撃を仕掛けてくるので、美濃戸口に到着したときには血だらけになっていた。今となっては、これも楽しい思い出である。
再び、美濃戸へ到着したとき、八ヶ岳山荘前の道路上に置かれていた三角コーンは取り払われていた。早朝の下山者が、早々に帰っていったことによって、駐車場に空きができたようである。そういえば、駐車地から、ここにくるまでに降りていった3台ばかりの車とすれ違っており、これらの分が空いたらしい。こんなことなら、もう30分も遅くくれば良かったことになる。残念なことをしたと悔やむことになった。
赤岳山荘の前にきたとき、老登山者が「カモメランが咲いている」と私たちに向かって語りかけてきた。「何処ですか」と尋ねると、親切に小屋の横にある小さな岩の所に連れて行ってくれた。そこまで行っても何処かが分からず、「何処ですか」と、再度、質問する。すると、「ここです」と言って、この岩を指差す。
その岩に目を近付けて見てみると、そこには数株のピンクの小さな花が咲いていた。花が小さいので、それと分かっていなくては仮に岩の前に立ったとしても、これを判別することは難しかっただろう。
カモメランという名前は知っていたが、これまで実物を見たことはなく、その色や姿形は、今回、実物を見て初めて知った。こんな花だけに嬉しさはひとしおで、駐車場がなくて、戻って歩いてきたという不運を補ってあまりないものであった。
美濃戸山荘の横から南沢に入っていく。
すくに堰堤があるので、これを越えて沢に降りて、1度、徒渉して沢沿いに歩いていく。
少し歩くと緑色のロープが張られている。最初にホテイランを探しにきたとき、ここの崖の上の方にこの花が咲いていたことを思い出し、注意深くその辺りを見回してみるが、それらしきものは見付からなかった。
以後、注意して登山道を進んで行くが、最初に見付けたのは姫君だった。「あったわよ」といい、谷側にしゃがみこんだ。
少し遅れて、私も撮影に加わったが、少し時期が遅いのか、真ん中の色模様がスッキリとしていない。今年は花の咲くのが例年よりも早い。内心、ホテイランも早く咲いたようだと思い、今年は収穫がないかもしれないと弱気の虫が頭をもたげ出した。
狭い痩せ尾根の所へやってきた。ここは踏み跡が小さく1周できるように付いている所で、ここを下へ降りていくと、昨年、ホテイランが2つ並んで咲いていた。ここへくると、ここには何と4つが固まって咲いているではないか。これは本当かと、再度、見直したくらいである。見直しても、やはり現実は変わらなかった。これまで何回もきているが、同じフレームに2つ以上のホテイランが入ることはなかったので、4つが1枚の写真に収まることは、このあとでも見ることができるかと問われれば、否定するであろう。
これだけ、珍しいシチュエーションである。早速、三脚を立てて、丁寧に撮影し始めた。
本日は天気予報通りに快晴だったが、惜しいことに、ここは樹林の中で陽の光が入り込まず、薄暗い感じである。このため、被写体が暗く、ファインダー越しに覗くそれは細かい所が私の目にはイマイチ判然としない。写真を撮る分には難はないが、ピント合わせには苦労した。先ほどのカモメランは太陽の光をさえぎるものはなかったので、ピントが合わせ易かったことに比べると、このホテイランは明らかに不利であった。
こうして苦労はあったが、撮影枚数でカバーするという下手特有の方法でカバーして何とか満足できるものが出来上がった。
これで目的は達成したので、下山に取り掛かる。何年か前、ここにきたとき、イチヨウランを教えてもらって撮影したので、柳の下のドジョウ狙いで、丹念に探してみたが、結局は空振りに終わり、諺どおりであることを再認識させられた。
美濃戸から三叉路まで歩かねばならないが、こちらから行く場合は降り勾配であり、往路の苦労を味わうことなく、難なく車に到着する。
だが、まだ気が抜けない。美濃戸口までの悪路との戦いがある。往路と同様に上下に、左右に大いに揺さぶられて、クタクタになりながら最後の橋を渡る。それまでに私の車の後ろには乗用車に付かれていたので、ここの空地で幅寄せして追い抜いてもらう。すると、1台だけではなかった。私の後ろには3台が繋がっていたらしく、これらが次々と追い越していった。この悪路も乗用車と私のようなトラックでは揺れる度合いが異なることが、これだけでもよく分かった。
美濃戸口に到着、危険地帯を脱出したことになってヤレヤレであった。このとき、時刻は11時前で、時間はたっぷり残っていた。
そこで計画どおり、権現岳山麓でオキナグサを見ることにする。ちなみに、オキナグサは既に花は終わっているのだが、この花には花後にも見所はある。名前の由来になった老人の白い髭状のものが花後に見られるからだ。これは他の花にたとえると、チングルマの花穂を白くした感じのもので、前回訪れたときはまだ白くなる前だったので、これを見てみたいと、かねてより思っていたという経緯があった。
だが、ここへ行く道順が定かでない。このため、近くの道の駅『こぶちざわ』で情報収集することにした。
ここの道の駅には観光案内所があり、ここで情報を収集する。ここは親切で、地図をくれて親切に説明してくれる。
教えられたように車を走らせると、見慣れた駐車場に到着する。だが、ここも駐車車両でいっぱいで、既に指定外にも車が止められている状態であった。これも、日曜日効果であろうか。私たちも、普段であれば停めないであろう邪魔にならない場所に駐車させ、オキナグサの自生地へ向かう。
この道は、権現岳の登山道にもなっていて、この時刻にもなると早出の登山者がボツボツと帰ってくるのに出会った。中には、20名以上の団体もあり、これは下の駐車場に停めてあった埼玉(所沢)ナンバーのバスの乗客だと推定が付いた。
オキナグサの自生地に到着すると、白くなったものもあるにはあったが、タンポポの花穂のようにまん丸のもので、もう少し形が崩れたもののほうが命名の雰囲気が出ていただろうと、少し残念でもあった。
だが、これで当初の目的は達成、カモメランのオマケまで付いたことに満足して、帰ることにした。本当は、もう少し滞在したかったが、私が薬を忘れたこともあってこうなってしまった。
気象庁は、6月の2週目頃から梅雨入りになるのではないかという予報を発評していた。ということは、早ければ6月4日頃には宣言ということになってもおかしくはない。
私としては、梅雨に入る前に行きたいところがある。このところ定番となっている八ヶ岳のホテイランの鑑賞である。
今年は、3月下旬のヒロハアマナと5月中旬のクマガイソウを見に行っただけで、何処へも出かけていない。クマガイソウの際には、登山道でない場所を歩き、少しは自信を取り戻したが、次の機会にこの経験を生かそうという気持ちにはなかなかなれない。このため、山にはずっとご無沙汰となってしまっている。
ホテイランは、美濃戸まで車を乗り入れれば、それほど歩かなくても見ることができるということもあって、こういう気持ちにさせるのかもしれない。
そこで天気予報を改めて確かめてみると、2日、3日の土日が晴れ予想であるが、これが最後になるかもしれないとなっていた。
したがって、この両日を逃すと、花が終わってしまう恐れもある。今年はただでさえ花の開花が早いので、次の晴れの日を待つ余裕はないという気持ちにさせられた。
だが、困ったことに2日は小学校時代の同級生たちと生まれ故郷で会う予定になっていて、これを終えないと身動きが取れない。
2日、旧友との出会いを終えて家に帰ってきたのが、17時過ぎであった。
急ぎ、荷物を車に積み込んで、出発準備を整えて18時過ぎに自宅を出発する。
何時もなら、国道19号で塩尻を経由して諏訪を通って美濃戸へという道を採るが、本日は遅がけの出発ということもあって、春日井から中央自動車道を使うことにする。
恵那山トンネルを通り越して阿智パーキングエリア辺りで泊まることを考えていたが、この手前の恵那峡サービスエリアの手前辺りから薄暗くなり始めたこともあって、ここで泊まることにした。
6月3日の朝を迎えた。ここの駐車場は、車道との間にちょっとした林があって、これにさえぎられているためか、心配した騒音も前夜から今朝にかけて気になることはなく、快適な一夜を過ごすことができた。
5時頃、恵那峡サービスエリアを出発する。
途中、駒ヶ岳サービスエリアに立ち寄っただけで、諏訪南インターチェンジで自動車道を降りる。
ここからは、八ヶ岳ズームラインと呼称される道を通って鉢巻道路(県道107号)に出て、美濃戸口へという道順は、何度も、何度も走っているので、カーナビなどという面倒なものに頼らなくても体が覚えているので迷うことなく走ることができる。
美濃戸口には、八ヶ岳山荘と美濃戸高原ロッヂという2軒の山小屋と3面の大きな駐車場を備えていて、八ヶ岳の主要登山口になっている。ちなみに、ここの駐車場は150台を収容することが可能な大きなもので、いっぱいになることは滅多にないが、ここにきてチラッと横目で見たときには3面共に開かれて、一杯になっているか否かは分からなかったが、相当数の車が止められていて大いに驚く。これとともに、本日が日曜日だということを再認識した。
八ヶ岳へ登る場合、長野県側から登る場合と、山梨県側から登る場合がある。でも、主峰の赤岳に登る場合は、ここ美濃戸口から登る登山者が7割以上を占めていると私は思っている。このため、ある程度は混雑することも止む得ないが、本格的登山シーズンでもない今、このように混雑しているとは想像していなかった。
でも、私たちはもう1つ奥の美濃戸へ行く予定であるので、ここの混雑は対岸の火事といった趣であった。
ここから美濃戸まで距離は3.8キロメートルで、徒歩だと約1時間(反対の場合は45分)内外を要する。距離は短く、車でならば何の苦もないところだが、ここは地道である上に極端に路面が悪い。大石小石の散らばっている河原の中を走っているかの如くで、1度、走ってみると、2度と走りたくないと思うのだが、時間が経つと、この苦労を忘れて歩くよりはマシだと考える。走り終えてみると、次は車を乗り入れることはよそうと思うという繰り返しである。
ちなみに、ある年の正月に車を乗り入れたことがある。このときの車は4輪駆動仕様(4WD)に普通タイヤにチェーンを付けるというものであった。往路は何事も起こらなかった。復路に問題が発生した。降り勾配であり、所々でブレーキを踏むのだが、車はハンドルの操作を無視して自分勝手に動いてしまうようになった。フットブレーキを使うことを諦めて、手動ブレーキの操作で乗り切ることにして、万が一の危険回避の意味を込めて姫君を降ろして、必死に運転して美濃戸口に到着したという思い出もある。なお、車の暴走の原因は、4WD車に重量のある鉄製のチェ―ンを付けると、バランスを崩してこのようになるのだと車屋に説明されたが、真偽のほどは今でも分からない。
何れにしても、こんな道である。上下、左右に大きくゆられて、必死にハンドルに掴まってヘトヘトになりながら美濃戸に到着した。
美濃戸には、やまのこ村、八ヶ岳山荘、美濃戸山荘という3つの山荘があり、ここには各小屋の収容台数の合計が70台という駐車場が備わっている。
私たちは、何時も、この中で一番に収容台数の多い真ん中の山小屋、八ヶ岳山荘に停めるので、このときも、ここへ乗り入れようとするが、その手前で進入を禁止するかのように三角コーンが置かれていた。
手前のやまのこ村にいた従業員に訊くと、「私のところもいっぱい。下の方に停めてきてください」と思ってもいなかったことを言う。
下の美濃戸口の駐車場の盛況で、ここの満杯を予想しなかったことを悔いてはみても、今からでは如何ともし難く、とにかく、戻るより他に方法はなかった。
戻りながら、この道を観察すると、道路の幅員が広がった所はすれ違い用の空地、また、周囲の山の中へ車を突っ込めそうな場所には諏訪ナンバーの車(軽自動車が主体)が停めてあって、登山者が停めるような余地はなかった。
引き返す際、私の頭の中にあったのは、この道が二股に分かれている辺り(この先にも同じように交わる所がある)の空地に停めることであった。先ほど、ここを通ったときに駐車する余地があることを確認しているので、そのままであってくれることを祈る気持ちであった。
ここまで戻ってくると、私が思い描いていた場所とは違うが、山の中へ車を乗り入れられる空地があって、道路上に停めなくともよかったので、安心して駐車させることができた。
ここで、前夜、恵那峡サービスエリアのコンビニで買い置いた朝食をユックリと食べ、これからの歩きに備える。
7時30分頃、歩き始める。
車で走っているときには感じなかったが、実際に自分の足で歩いてみると、ここが緩やかだとは言っても登り勾配であることが分かり、上の駐車場に停められなかったことを呪いながら歩くことになった。
この道は、昔は美濃戸口に車を停めて歩くことが普通であった。だいたい、美濃戸口の駐車料金が500円であるのに対して、美濃戸のそれは1000円である。貧乏人の私たちには、この差額は大きく感じられ、特別な場合を除くと歩くことが普通であった。足が弱ってくると、500円余分に支払っても、美濃戸まで行けたほうがよいと考えるようになってきた。今から考えると、不思議というか、よく歩いたものだと思える。
ここを歩いていて、1番の思い出は美濃戸からアブがずっと追いかけてきて、追い払っても、追い払っても離れずに執拗に攻撃を仕掛けてくるので、美濃戸口に到着したときには血だらけになっていた。今となっては、これも楽しい思い出である。
再び、美濃戸へ到着したとき、八ヶ岳山荘前の道路上に置かれていた三角コーンは取り払われていた。早朝の下山者が、早々に帰っていったことによって、駐車場に空きができたようである。そういえば、駐車地から、ここにくるまでに降りていった3台ばかりの車とすれ違っており、これらの分が空いたらしい。こんなことなら、もう30分も遅くくれば良かったことになる。残念なことをしたと悔やむことになった。
赤岳山荘の前にきたとき、老登山者が「カモメランが咲いている」と私たちに向かって語りかけてきた。「何処ですか」と尋ねると、親切に小屋の横にある小さな岩の所に連れて行ってくれた。そこまで行っても何処かが分からず、「何処ですか」と、再度、質問する。すると、「ここです」と言って、この岩を指差す。
その岩に目を近付けて見てみると、そこには数株のピンクの小さな花が咲いていた。花が小さいので、それと分かっていなくては仮に岩の前に立ったとしても、これを判別することは難しかっただろう。
カモメランという名前は知っていたが、これまで実物を見たことはなく、その色や姿形は、今回、実物を見て初めて知った。こんな花だけに嬉しさはひとしおで、駐車場がなくて、戻って歩いてきたという不運を補ってあまりないものであった。
美濃戸山荘の横から南沢に入っていく。
すくに堰堤があるので、これを越えて沢に降りて、1度、徒渉して沢沿いに歩いていく。
少し歩くと緑色のロープが張られている。最初にホテイランを探しにきたとき、ここの崖の上の方にこの花が咲いていたことを思い出し、注意深くその辺りを見回してみるが、それらしきものは見付からなかった。
以後、注意して登山道を進んで行くが、最初に見付けたのは姫君だった。「あったわよ」といい、谷側にしゃがみこんだ。
少し遅れて、私も撮影に加わったが、少し時期が遅いのか、真ん中の色模様がスッキリとしていない。今年は花の咲くのが例年よりも早い。内心、ホテイランも早く咲いたようだと思い、今年は収穫がないかもしれないと弱気の虫が頭をもたげ出した。
狭い痩せ尾根の所へやってきた。ここは踏み跡が小さく1周できるように付いている所で、ここを下へ降りていくと、昨年、ホテイランが2つ並んで咲いていた。ここへくると、ここには何と4つが固まって咲いているではないか。これは本当かと、再度、見直したくらいである。見直しても、やはり現実は変わらなかった。これまで何回もきているが、同じフレームに2つ以上のホテイランが入ることはなかったので、4つが1枚の写真に収まることは、このあとでも見ることができるかと問われれば、否定するであろう。
これだけ、珍しいシチュエーションである。早速、三脚を立てて、丁寧に撮影し始めた。
本日は天気予報通りに快晴だったが、惜しいことに、ここは樹林の中で陽の光が入り込まず、薄暗い感じである。このため、被写体が暗く、ファインダー越しに覗くそれは細かい所が私の目にはイマイチ判然としない。写真を撮る分には難はないが、ピント合わせには苦労した。先ほどのカモメランは太陽の光をさえぎるものはなかったので、ピントが合わせ易かったことに比べると、このホテイランは明らかに不利であった。
こうして苦労はあったが、撮影枚数でカバーするという下手特有の方法でカバーして何とか満足できるものが出来上がった。
これで目的は達成したので、下山に取り掛かる。何年か前、ここにきたとき、イチヨウランを教えてもらって撮影したので、柳の下のドジョウ狙いで、丹念に探してみたが、結局は空振りに終わり、諺どおりであることを再認識させられた。
美濃戸から三叉路まで歩かねばならないが、こちらから行く場合は降り勾配であり、往路の苦労を味わうことなく、難なく車に到着する。
だが、まだ気が抜けない。美濃戸口までの悪路との戦いがある。往路と同様に上下に、左右に大いに揺さぶられて、クタクタになりながら最後の橋を渡る。それまでに私の車の後ろには乗用車に付かれていたので、ここの空地で幅寄せして追い抜いてもらう。すると、1台だけではなかった。私の後ろには3台が繋がっていたらしく、これらが次々と追い越していった。この悪路も乗用車と私のようなトラックでは揺れる度合いが異なることが、これだけでもよく分かった。
美濃戸口に到着、危険地帯を脱出したことになってヤレヤレであった。このとき、時刻は11時前で、時間はたっぷり残っていた。
そこで計画どおり、権現岳山麓でオキナグサを見ることにする。ちなみに、オキナグサは既に花は終わっているのだが、この花には花後にも見所はある。名前の由来になった老人の白い髭状のものが花後に見られるからだ。これは他の花にたとえると、チングルマの花穂を白くした感じのもので、前回訪れたときはまだ白くなる前だったので、これを見てみたいと、かねてより思っていたという経緯があった。
だが、ここへ行く道順が定かでない。このため、近くの道の駅『こぶちざわ』で情報収集することにした。
ここの道の駅には観光案内所があり、ここで情報を収集する。ここは親切で、地図をくれて親切に説明してくれる。
教えられたように車を走らせると、見慣れた駐車場に到着する。だが、ここも駐車車両でいっぱいで、既に指定外にも車が止められている状態であった。これも、日曜日効果であろうか。私たちも、普段であれば停めないであろう邪魔にならない場所に駐車させ、オキナグサの自生地へ向かう。
この道は、権現岳の登山道にもなっていて、この時刻にもなると早出の登山者がボツボツと帰ってくるのに出会った。中には、20名以上の団体もあり、これは下の駐車場に停めてあった埼玉(所沢)ナンバーのバスの乗客だと推定が付いた。
オキナグサの自生地に到着すると、白くなったものもあるにはあったが、タンポポの花穂のようにまん丸のもので、もう少し形が崩れたもののほうが命名の雰囲気が出ていただろうと、少し残念でもあった。
だが、これで当初の目的は達成、カモメランのオマケまで付いたことに満足して、帰ることにした。本当は、もう少し滞在したかったが、私が薬を忘れたこともあってこうなってしまった。
スポンサーサイト