藤原山麓 - 2015.02.28 Sat
セツブンソウが咲く
2月27日、前日の雨から一転して晴れた暖かい日になった。
こうなると藤原山麓のセツブンソウが気になってくる。
4、5年前、このセツブンソウの群生地を知ってからは、毎年、ころ合いを見計らって訪れている。年によっては1度で花の盛りに出合うこともあれば、2度、3度と訪れなくてはならないこともあって、なかなかドンピシャとはいかない。今年は寒い冬ということもあって、少しは遅れることはあっても、2月も末ともなれば、咲いていないはずがないと自分に都合のいい理屈を付けて出かけてみることにする。
そういえば鈴鹿へ向かうのは、昨年、北海道に出かける前だったので10ヶ月も間があることになる。以前は夏でも冬でも少なくとも月に2回は鈴鹿に通っていたので、こんな長期にわたっていかなかったのは20年ぶりのことである。言い換えると、これだけ山とは御無沙汰していたわけで、改めて老いを再認識させられた。
車を運転していると、風が少し強いのが難ではあるが、陽をまともに浴びる運転席はポカポカと温かく、絶好の運転日和を喜んだ。だが、これも桑名市(多度町)に入った頃から様相が一変した。太陽が顔を隠したと感じた途端、フロントガラスに細かな水滴がへばりつくようになった。これとともに暖かかった室内にスッと冷気が入ってくる感じを受ける。これをみて、『しまった。来るんじゃぁなかった』と後悔の念が襲ってきた。でも、向こうに着けば、この天気も変わるかもしれないと思い直してアクセルを踏み続けた。
この悪天候も、そんなに長くは続かなかった。
藤原岳の山麓に到着したときには小雨も止み、太陽が顔を覗かせるようになっていた。しかし、余談は禁物である。なるほど、現在は青空部分に太陽がいるが、全天の内、青空はごく一部に過ぎず、8割方は雲に覆われているからだ。その雲も、半分くらいは黒い雨雲であることからみて、何時、降り出すか分からないという微妙な状態にある。
その後、太陽が雲の中に入ってしまい、本日の撮影のコンディションにあまり望めないことを覚悟したこともあったが、とにかく、現地に早く着くことを願い、足に力が入った。
目的の場所に近付いてくると、今度は天気よりもセツブンソウが開花しているか否かが心配になってくる。『どうか、咲いていてくれ』と祈りながら、その場所へ急ぐ。
そこへ近付くと、何時も咲く地点に注意を集中させる。その辺りは白っぽく見えるので、咲いているらしいことは分かる。すると、また次の心配が頭をもたげてくる。『遅くはないか』という不安だ。こんなことは、ここまで近付けば分かることなので、しなくともいい心配だが、元来、気が小さいというか、心配性というか、要らぬことを考えてしまう。
その場所に到着した。そこにはビッシリとセツブンソウが密集して咲いていた。これまでにいろいろと心配したことが馬鹿らしくなるほどであった。
いいことは重なるものだ。このとき、幸運にも雲の切れ間に太陽がいて、暖かな光をいっぱいに小さなセツブンソウに降り注いでいた。
ちなみに、この後にセリバオウレンを見に行ったが、このときには青空はなくなるどころか、強い風に雪が舞い、寒くて、寒くて、とても撮影どころではなかった。
2月27日、前日の雨から一転して晴れた暖かい日になった。
こうなると藤原山麓のセツブンソウが気になってくる。
4、5年前、このセツブンソウの群生地を知ってからは、毎年、ころ合いを見計らって訪れている。年によっては1度で花の盛りに出合うこともあれば、2度、3度と訪れなくてはならないこともあって、なかなかドンピシャとはいかない。今年は寒い冬ということもあって、少しは遅れることはあっても、2月も末ともなれば、咲いていないはずがないと自分に都合のいい理屈を付けて出かけてみることにする。
そういえば鈴鹿へ向かうのは、昨年、北海道に出かける前だったので10ヶ月も間があることになる。以前は夏でも冬でも少なくとも月に2回は鈴鹿に通っていたので、こんな長期にわたっていかなかったのは20年ぶりのことである。言い換えると、これだけ山とは御無沙汰していたわけで、改めて老いを再認識させられた。
車を運転していると、風が少し強いのが難ではあるが、陽をまともに浴びる運転席はポカポカと温かく、絶好の運転日和を喜んだ。だが、これも桑名市(多度町)に入った頃から様相が一変した。太陽が顔を隠したと感じた途端、フロントガラスに細かな水滴がへばりつくようになった。これとともに暖かかった室内にスッと冷気が入ってくる感じを受ける。これをみて、『しまった。来るんじゃぁなかった』と後悔の念が襲ってきた。でも、向こうに着けば、この天気も変わるかもしれないと思い直してアクセルを踏み続けた。
この悪天候も、そんなに長くは続かなかった。
藤原岳の山麓に到着したときには小雨も止み、太陽が顔を覗かせるようになっていた。しかし、余談は禁物である。なるほど、現在は青空部分に太陽がいるが、全天の内、青空はごく一部に過ぎず、8割方は雲に覆われているからだ。その雲も、半分くらいは黒い雨雲であることからみて、何時、降り出すか分からないという微妙な状態にある。
その後、太陽が雲の中に入ってしまい、本日の撮影のコンディションにあまり望めないことを覚悟したこともあったが、とにかく、現地に早く着くことを願い、足に力が入った。
目的の場所に近付いてくると、今度は天気よりもセツブンソウが開花しているか否かが心配になってくる。『どうか、咲いていてくれ』と祈りながら、その場所へ急ぐ。
そこへ近付くと、何時も咲く地点に注意を集中させる。その辺りは白っぽく見えるので、咲いているらしいことは分かる。すると、また次の心配が頭をもたげてくる。『遅くはないか』という不安だ。こんなことは、ここまで近付けば分かることなので、しなくともいい心配だが、元来、気が小さいというか、心配性というか、要らぬことを考えてしまう。
その場所に到着した。そこにはビッシリとセツブンソウが密集して咲いていた。これまでにいろいろと心配したことが馬鹿らしくなるほどであった。
いいことは重なるものだ。このとき、幸運にも雲の切れ間に太陽がいて、暖かな光をいっぱいに小さなセツブンソウに降り注いでいた。
ちなみに、この後にセリバオウレンを見に行ったが、このときには青空はなくなるどころか、強い風に雪が舞い、寒くて、寒くて、とても撮影どころではなかった。
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