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御在所岳Ⅱ(ございしょたけ・1212m) - 2011.05.06 Fri
今年のゴールデンウィーク後半の天気予報は、3、4日が好天、以後、崩れるというもので、山行きを中心の生活をする者にとってはあまり嬉しいものではない。
3日に鎌ヶ岳の馬ノ背尾根と長石谷を歩いているので、私たちのような体力に劣る者には4日を休養に充てたいところだが、天気予報を信用すると4日を山行きに充当したほうが賢明との答えが出てくる。
いろいろな目的があって、山は御在所岳、ルートは地獄谷と決める。
まず、このルートについて簡単に触れておく。
出発点は、釈迦ヶ岳の主要登山口のある朝明ヒュッテバス停前の大駐車場だ。ここから根ノ平峠を経て雨乞岳への登山道を通って上水晶谷に出る。雨乞岳は、この谷を徒渉して直進するが、地獄谷へはこの谷の上流に向かって遡上する。位置から言うと御在所岳への裏道の国見峠へ向かって登ることになる。この谷を遡上して行くと、途中で地獄谷が流れ込んでいるので、この谷に移る。この谷を詰めて行き、流れが枯渇した辺りで御在所岳の北西斜面に取り付くと御在所岳の最高峰、望湖台の真下に到達する。これが、今回、歩くルートである。
7時10分頃、自宅を出て、途中、コンビニで食材を手当てしてからは、一路、鈴鹿に向かってひた走る。ラジオからの情報では、この日も高速道路は混雑していたようで早々と渋滞も報じられていたが、私たちの走る一般道はすこぶる順調で、9時前には朝明の大駐車場に到着する。
この日は、さすがに連休の最中である。ここの大きな駐車場は既に半分以上は車で埋まっていた。また、何時もは1人しかいない駐車場の係員も、この日は増員されていて3人もいた。
ここで500円の駐車料金を支払ってから身支度を整える。身支度を整えるといっても、靴を履き替えるだけなので、そんなに時間はかからない。
8時58分、この駐車場を後にする。
本日の登山者は、大半が庵座ノ滝ルートか、新しい中尾根ルートで釈迦ヶ岳へ向かうようで、同じ時刻に根ノ平峠方面へ向かったのは、私たちを含めて3組だけだった。他の2組も根ノ平峠へは行かず、羽鳥峰の方面へ向かった模様だ。なお、1組は山ガールの2人連れだった。彼女らの穿いていたスパッツが変わっていた。細かい横縞のものだったが、右と左の色がピンクと赤と異なっていたのにはびっくりした。今では、こんなスパッツも売っているようだ。そういえば、私も山ガールを倣って山ジジイスタイルの着衣1揃いを用意していて、何時でもデビューできる態勢にあるが、姫君からのゴーサインがなかなか出ないので、そのまま箪笥の中にしまい込まれたままである。
この2組、歩き始めは早かった。みるみる引き離されるので、足の長さのせいだと羨ましく見ていたが、ペースの落ちるのも早く、2つ目の橋の辺りでは私たちが先頭を歩いていた。
伊勢谷小屋へ渡る橋に『根ノ平峠登山道』の看板が架かっていたので、この橋を渡ることにした。これまでは、この先で朝明渓谷の浅瀬を渡っていたが、水害でこの先の道が壊れたのを機に迂回路が設けられたようだが、私たちは迂回路を通らずに従来どおりの道を歩いていたので、ここを通るのは今回が初めてだ。
この道は伊勢谷小屋の北側から西側をグルッと巻くように作られていて、土砂崩れのあった手前で旧道と交わっていた。旧道は、そのまま前進して伊勢谷を徒渉して行くが、伊勢谷左岸に新しい登山道が新設されているので、私たちもこの新しい登山道を通って行く。
この新しい登山道を暫く歩くと、再び旧道と交わる。この旧道というのは、昔、堰堤工事が行われた頃、資材運搬用としてコンクリート舗装の立派な道が造られたが、堰堤が完成した後は登山者が使用するだけなので修理もせずに放置してあるので、現在では舗装された部分は一部が残っているだけで、コンクリートが割れて石状に化したものが散乱する悪路に変わっている。
一度、伊勢谷を渡って右岸を歩くが、再び、左岸に戻る。ここからは何年か前の水害で伊勢谷には大きく損壊して、谷の岸辺に作られていた旧登山道は崩壊したが、同じような場所に新しい整備された登山道が造られていて、以前よりはスッキリした感さえする。
暫くは、谷沿いを歩くが、やがて道は谷から離れていき、次第に谷川を流れる水の音も段々と小さくなってくる。この辺りも登山道は改修してあって、ずいぶんと歩き易くなっている。
根ノ平峠に近付いてくると、昔は谷道の両側は笹に覆われていて、少し薄暗い感じだったのが、今では笹は綺麗に枯れてなくなっていて、明るく変身していたし、道自体が谷道から外れて土のジグザグ道に付け変えられていて、これまた、歩き易くなっている。ただし、少々急傾斜の所もあって、こういう所では昔が懐かしく思い出される。
10時04分、根ノ平峠に到着する。
峠には3人ばかりの女性登山者が休んでいたが、私たちの到着する直前に国見岳へ向かって発って行った後だったので、峠は無人であった。
ここでは水分補給をしただけで、すぐさま出発する。
ここからは杉峠へ向かう登山道があり、これを昔の千種街道と呼称しているが、今、私たちが歩く道が昔通りだというわけではなさそうである。昔の千種街道は、この根ノ平峠から小峠を経て杉峠に通じていたことは確かだが、根ノ平峠から小峠に至る道がタケ谷を降るか、私たちの進む上水晶谷から行くのか判然としない。
これはさておき、根ノ平峠からは多少のアップダウンはあるものの、どちらかというと平坦な道になるので歩き易い。また、以前は掘割の道というか小さい水路の中を歩いていたが、これも笹が枯れたおかげで陸地に新しい踏み跡ができているので、昔に比べると数段も歩き易くなっている。
方向としては、途中でタケ谷の源流部を横切り、以後、これに付かず離れず前進していく。この水路に左手から同じような小さい水路が交わってきている場所がある。笹のなくなった現在、この辺りが丸見えになっているので気が付いたが、この辺りの地形は他にも水路が交わっていて、そんなに単純なものではなかったが、目標物としては大きな岩が牛が寝そべるがごとく鎮座している。
この大岩から左折するのだが、これから先の地形は複雑で説明するのはなかなか難しいが、今の時期なら明確な踏み跡があるのでこれを辿ればいい。ただし、落ち葉で道が隠れている所があるが、こんな場所はそんなに多くはないので迷うことなく歩くことができる。
10時35分、上水晶谷にぶつかる位置にやってきた。
ここを上水晶谷出合という人もいるが、正確にはこのような地形は出合とはいわない。ちなみに、大きい川が小さい川と交わる地点を『大きい川の小さい川出合』というのが正式な名前だが、大きい川の名前を省略するので『小さい川出合』となる。この上水晶谷は、この下流で神崎川(愛知川)と交わり、この地点が『神崎川の上水晶谷出合』であり、『神崎川の』を省略して通称を『上水晶谷出合』ということになる。先ほどのタケ谷も神崎川に合流しているので、この合流地点は、『神崎川のタケ谷出合』であるのが、これまた『神崎川の』を省略して『タケ谷出合』というのが一般的である。ここのように登山道が上水晶谷に出合ったとしても、ここを『出合』とは呼ばないのである。
閑話休題。私たちは、ここから上水晶谷を徒渉することなく、そのまま右岸を遡上して行けばよい。谷を見ると、これまでなかった丸木橋が架けられていた。ここは水量の多いときには徒渉するのに難儀した場所だったので、どんなものか、試しに渡ってみた。丸太3本を針金で留めただけの簡単な造りではあるが、安定感もあって、これからは重宝しそうである。
そういえば、根ノ平峠ではお茶を飲んだだけで休憩らしい休憩はしていないので、ここで休みを採ることにする。
そして30分余、たっぷり休んだ後、11時11分に出発する。
ここからは踏み跡はあったり、なかったりである。どういうことかというと、歩き易い場所を各人がそれぞれ歩くので、こうなるのだが、基本は上水晶谷に沿って行けばよいので、これでも特に問題はない。
40分ばかり歩くと右岸の一部が崩れ落ちていたため、谷の中へ入って前進すると前方の上のほうに白い標識らしきものが見えていたので、それに向かってよじ登ると、その標識が地獄谷出合を示すものであった。先ほどのおさらいをすると、上水晶谷が地獄谷に出合う場所で、大きい谷の上水晶谷を省略して『地獄谷出合』となる。なお、この出合に到着したのが11時56分だった。
対岸を見ると、右手に涸れたやや大きめの谷、左手に水の流れのあるやや小さめの谷が上水晶谷に入り込んでいる。
この2つの谷のうち、左手の水流のある谷、上水晶谷の上流部に入ってきている谷が地獄谷である。
取り敢えず、上水晶谷を渡って左岸に立ち、地獄谷へと入っていく。
地獄谷へは左岸から取り付く。取り付いて直ぐに白い小さな花が、この辺り一面に散らばっているのに気付く。よく見るとバイカオウレンであった。バイカオウレンは、今年は御在所岳では早過ぎて空振りに終わったので、鎌ヶ岳で見ているが、パラハラッと咲いていただけで、こんなにまとまっては咲いていなかったので、ここに来てこれだけのバイカオウレンを見られたのは、何だか儲けものをしたような気分にさせられた。また、ここにはショウジョウバカマも今が旬といった風情のものが、これまた、いっぱいに咲き誇っていた。
暫く左岸を登っていくと、少し大きめの滑め滝が行く手を阻んでいた。この滝には見覚えがある。右岸側をよじ登った記憶があり、今、両岸を見比べてみても右岸側が安全そうである。このため、滝壺の手前を右岸側、すなわち左手へと渡り、この滝の縁を登り始める。すると、姫君は「私、こんな所を登るのは嫌よ。こちらから行くわ」と、もう少し遠回りして、この滝を越えたようだ。
ここれから先は、結果的には危険な箇所はなく、歩き易い場所を選びながら左岸側、右岸側へと徒渉を繰り返しながら谷を詰めながら登り上がっていく。
この谷のフィナーレを右から涸れた沢が入っている所を少し進むと、左手斜面へ登り上がると頂上まで一息という記憶が残っていた。
これに似た場所へやってきたので、記憶通りに涸れた沢へ入って行った。だが、歩き難くてしようがない。右へ手の尾根へ登り上がったほうが歩き易いかもしれないと思って、こちらへ移動する。やや急ながら谷の中を歩くよりは歩き易い。そこで、この尾根を登り上がっていく。何分くらい歩いただろうか、いずれにしても、そんなに長い時間ではなかった。左手の彼方に山の頂が見えた。よくよく観察すると御在所岳であることが分かった。あの位置に御在所岳があるということは、ここを登りきっても頂上に着かないことは間違いない。
ということは、先ほどの谷、地獄谷をもう少し登り上がらなければならないことになる。このことを姫君に告げると、途端に機嫌が悪くなる。女性は先天的に防衛本能に優れているためか、間違いとか、冒険とかを避けたがるので致し方のない。謝って、谷まで降って更に地獄谷を上流に向かって前進する。
なお、よくよくか思い起こしてみると、この道間違いは以前にも犯している。場所も確か同じだったように記憶する。最初の間違ったイメージを修正することなく、何時までも記憶に残しているために起こる失敗のようだ。
12時53分、地獄谷と別れて御在所岳の斜面に取り付く場所にやってきた。ここまでくればもう大丈夫なので、小休止することにして、ザックを降ろす。
すると、青い花が目に付いた。ハルリンドウだった。この花が本日の主目的だった。もう1つは、チゴユリだが、これは空振りに終わったようである。
早速、カメラを構えたことは言うまでもない。――が、まだ上でいっぱいに咲いているはずなので、ここのは簡単に撮っておいたに過ぎなかったが、これが大間違いだった。今年は、花の咲くのが遅いためか、上のほうに咲いているはずだった群生するハルリンドウは見当たらず、あちらでパラッ、こちらでパラッという状態だった。
この小休止を終えて再び歩き始めると、2人の登山者が降りてきたのに出会った。根ノ平峠からこちらで出会ったのは、上水晶谷で大阪からの親子連れとこの2人の4名だけであった。
13時14分、御在所岳の最高峰である望湖台に到着した。ここには多くの人がいたが、そのほとんどがロープウェイでやってきた観光客で、登山者は目に付かなかった。
ここでは落ち着かないので、三角点のある頂上(1210m)に出て、ここの四阿(あずまや)で遅がけの昼食を摂る。昼食といっても、おにぎりとパンというつつましいものなので直ぐに終わってしまう。
ここで帰路のルートの相談だ。
結局、まとまったルートは、最も楽のできるものだった。すなわち、頂上の少し下のスキー場から国見峠の少し北へ降りる道があるので、これで峠下の巨岩の所まで降りて、上水晶谷を降って千種街道に出て、後は往路を逆に歩き根ノ平峠を経て朝明の駐車場へ戻るというものだ。
こう決まれば、後は早い。13時30分頃、頂上を出発。15時12分に根ノ平峠、そして16時03分に朝明の駐車場に帰着する。

3日に鎌ヶ岳の馬ノ背尾根と長石谷を歩いているので、私たちのような体力に劣る者には4日を休養に充てたいところだが、天気予報を信用すると4日を山行きに充当したほうが賢明との答えが出てくる。
いろいろな目的があって、山は御在所岳、ルートは地獄谷と決める。
まず、このルートについて簡単に触れておく。
出発点は、釈迦ヶ岳の主要登山口のある朝明ヒュッテバス停前の大駐車場だ。ここから根ノ平峠を経て雨乞岳への登山道を通って上水晶谷に出る。雨乞岳は、この谷を徒渉して直進するが、地獄谷へはこの谷の上流に向かって遡上する。位置から言うと御在所岳への裏道の国見峠へ向かって登ることになる。この谷を遡上して行くと、途中で地獄谷が流れ込んでいるので、この谷に移る。この谷を詰めて行き、流れが枯渇した辺りで御在所岳の北西斜面に取り付くと御在所岳の最高峰、望湖台の真下に到達する。これが、今回、歩くルートである。
7時10分頃、自宅を出て、途中、コンビニで食材を手当てしてからは、一路、鈴鹿に向かってひた走る。ラジオからの情報では、この日も高速道路は混雑していたようで早々と渋滞も報じられていたが、私たちの走る一般道はすこぶる順調で、9時前には朝明の大駐車場に到着する。
この日は、さすがに連休の最中である。ここの大きな駐車場は既に半分以上は車で埋まっていた。また、何時もは1人しかいない駐車場の係員も、この日は増員されていて3人もいた。
ここで500円の駐車料金を支払ってから身支度を整える。身支度を整えるといっても、靴を履き替えるだけなので、そんなに時間はかからない。
8時58分、この駐車場を後にする。
本日の登山者は、大半が庵座ノ滝ルートか、新しい中尾根ルートで釈迦ヶ岳へ向かうようで、同じ時刻に根ノ平峠方面へ向かったのは、私たちを含めて3組だけだった。他の2組も根ノ平峠へは行かず、羽鳥峰の方面へ向かった模様だ。なお、1組は山ガールの2人連れだった。彼女らの穿いていたスパッツが変わっていた。細かい横縞のものだったが、右と左の色がピンクと赤と異なっていたのにはびっくりした。今では、こんなスパッツも売っているようだ。そういえば、私も山ガールを倣って山ジジイスタイルの着衣1揃いを用意していて、何時でもデビューできる態勢にあるが、姫君からのゴーサインがなかなか出ないので、そのまま箪笥の中にしまい込まれたままである。
この2組、歩き始めは早かった。みるみる引き離されるので、足の長さのせいだと羨ましく見ていたが、ペースの落ちるのも早く、2つ目の橋の辺りでは私たちが先頭を歩いていた。
伊勢谷小屋へ渡る橋に『根ノ平峠登山道』の看板が架かっていたので、この橋を渡ることにした。これまでは、この先で朝明渓谷の浅瀬を渡っていたが、水害でこの先の道が壊れたのを機に迂回路が設けられたようだが、私たちは迂回路を通らずに従来どおりの道を歩いていたので、ここを通るのは今回が初めてだ。
この道は伊勢谷小屋の北側から西側をグルッと巻くように作られていて、土砂崩れのあった手前で旧道と交わっていた。旧道は、そのまま前進して伊勢谷を徒渉して行くが、伊勢谷左岸に新しい登山道が新設されているので、私たちもこの新しい登山道を通って行く。
この新しい登山道を暫く歩くと、再び旧道と交わる。この旧道というのは、昔、堰堤工事が行われた頃、資材運搬用としてコンクリート舗装の立派な道が造られたが、堰堤が完成した後は登山者が使用するだけなので修理もせずに放置してあるので、現在では舗装された部分は一部が残っているだけで、コンクリートが割れて石状に化したものが散乱する悪路に変わっている。
一度、伊勢谷を渡って右岸を歩くが、再び、左岸に戻る。ここからは何年か前の水害で伊勢谷には大きく損壊して、谷の岸辺に作られていた旧登山道は崩壊したが、同じような場所に新しい整備された登山道が造られていて、以前よりはスッキリした感さえする。
暫くは、谷沿いを歩くが、やがて道は谷から離れていき、次第に谷川を流れる水の音も段々と小さくなってくる。この辺りも登山道は改修してあって、ずいぶんと歩き易くなっている。
根ノ平峠に近付いてくると、昔は谷道の両側は笹に覆われていて、少し薄暗い感じだったのが、今では笹は綺麗に枯れてなくなっていて、明るく変身していたし、道自体が谷道から外れて土のジグザグ道に付け変えられていて、これまた、歩き易くなっている。ただし、少々急傾斜の所もあって、こういう所では昔が懐かしく思い出される。
10時04分、根ノ平峠に到着する。
峠には3人ばかりの女性登山者が休んでいたが、私たちの到着する直前に国見岳へ向かって発って行った後だったので、峠は無人であった。
ここでは水分補給をしただけで、すぐさま出発する。
ここからは杉峠へ向かう登山道があり、これを昔の千種街道と呼称しているが、今、私たちが歩く道が昔通りだというわけではなさそうである。昔の千種街道は、この根ノ平峠から小峠を経て杉峠に通じていたことは確かだが、根ノ平峠から小峠に至る道がタケ谷を降るか、私たちの進む上水晶谷から行くのか判然としない。
これはさておき、根ノ平峠からは多少のアップダウンはあるものの、どちらかというと平坦な道になるので歩き易い。また、以前は掘割の道というか小さい水路の中を歩いていたが、これも笹が枯れたおかげで陸地に新しい踏み跡ができているので、昔に比べると数段も歩き易くなっている。
方向としては、途中でタケ谷の源流部を横切り、以後、これに付かず離れず前進していく。この水路に左手から同じような小さい水路が交わってきている場所がある。笹のなくなった現在、この辺りが丸見えになっているので気が付いたが、この辺りの地形は他にも水路が交わっていて、そんなに単純なものではなかったが、目標物としては大きな岩が牛が寝そべるがごとく鎮座している。
この大岩から左折するのだが、これから先の地形は複雑で説明するのはなかなか難しいが、今の時期なら明確な踏み跡があるのでこれを辿ればいい。ただし、落ち葉で道が隠れている所があるが、こんな場所はそんなに多くはないので迷うことなく歩くことができる。
10時35分、上水晶谷にぶつかる位置にやってきた。
ここを上水晶谷出合という人もいるが、正確にはこのような地形は出合とはいわない。ちなみに、大きい川が小さい川と交わる地点を『大きい川の小さい川出合』というのが正式な名前だが、大きい川の名前を省略するので『小さい川出合』となる。この上水晶谷は、この下流で神崎川(愛知川)と交わり、この地点が『神崎川の上水晶谷出合』であり、『神崎川の』を省略して通称を『上水晶谷出合』ということになる。先ほどのタケ谷も神崎川に合流しているので、この合流地点は、『神崎川のタケ谷出合』であるのが、これまた『神崎川の』を省略して『タケ谷出合』というのが一般的である。ここのように登山道が上水晶谷に出合ったとしても、ここを『出合』とは呼ばないのである。
閑話休題。私たちは、ここから上水晶谷を徒渉することなく、そのまま右岸を遡上して行けばよい。谷を見ると、これまでなかった丸木橋が架けられていた。ここは水量の多いときには徒渉するのに難儀した場所だったので、どんなものか、試しに渡ってみた。丸太3本を針金で留めただけの簡単な造りではあるが、安定感もあって、これからは重宝しそうである。
そういえば、根ノ平峠ではお茶を飲んだだけで休憩らしい休憩はしていないので、ここで休みを採ることにする。
そして30分余、たっぷり休んだ後、11時11分に出発する。
ここからは踏み跡はあったり、なかったりである。どういうことかというと、歩き易い場所を各人がそれぞれ歩くので、こうなるのだが、基本は上水晶谷に沿って行けばよいので、これでも特に問題はない。
40分ばかり歩くと右岸の一部が崩れ落ちていたため、谷の中へ入って前進すると前方の上のほうに白い標識らしきものが見えていたので、それに向かってよじ登ると、その標識が地獄谷出合を示すものであった。先ほどのおさらいをすると、上水晶谷が地獄谷に出合う場所で、大きい谷の上水晶谷を省略して『地獄谷出合』となる。なお、この出合に到着したのが11時56分だった。
対岸を見ると、右手に涸れたやや大きめの谷、左手に水の流れのあるやや小さめの谷が上水晶谷に入り込んでいる。
この2つの谷のうち、左手の水流のある谷、上水晶谷の上流部に入ってきている谷が地獄谷である。
取り敢えず、上水晶谷を渡って左岸に立ち、地獄谷へと入っていく。
地獄谷へは左岸から取り付く。取り付いて直ぐに白い小さな花が、この辺り一面に散らばっているのに気付く。よく見るとバイカオウレンであった。バイカオウレンは、今年は御在所岳では早過ぎて空振りに終わったので、鎌ヶ岳で見ているが、パラハラッと咲いていただけで、こんなにまとまっては咲いていなかったので、ここに来てこれだけのバイカオウレンを見られたのは、何だか儲けものをしたような気分にさせられた。また、ここにはショウジョウバカマも今が旬といった風情のものが、これまた、いっぱいに咲き誇っていた。
暫く左岸を登っていくと、少し大きめの滑め滝が行く手を阻んでいた。この滝には見覚えがある。右岸側をよじ登った記憶があり、今、両岸を見比べてみても右岸側が安全そうである。このため、滝壺の手前を右岸側、すなわち左手へと渡り、この滝の縁を登り始める。すると、姫君は「私、こんな所を登るのは嫌よ。こちらから行くわ」と、もう少し遠回りして、この滝を越えたようだ。
ここれから先は、結果的には危険な箇所はなく、歩き易い場所を選びながら左岸側、右岸側へと徒渉を繰り返しながら谷を詰めながら登り上がっていく。
この谷のフィナーレを右から涸れた沢が入っている所を少し進むと、左手斜面へ登り上がると頂上まで一息という記憶が残っていた。
これに似た場所へやってきたので、記憶通りに涸れた沢へ入って行った。だが、歩き難くてしようがない。右へ手の尾根へ登り上がったほうが歩き易いかもしれないと思って、こちらへ移動する。やや急ながら谷の中を歩くよりは歩き易い。そこで、この尾根を登り上がっていく。何分くらい歩いただろうか、いずれにしても、そんなに長い時間ではなかった。左手の彼方に山の頂が見えた。よくよく観察すると御在所岳であることが分かった。あの位置に御在所岳があるということは、ここを登りきっても頂上に着かないことは間違いない。
ということは、先ほどの谷、地獄谷をもう少し登り上がらなければならないことになる。このことを姫君に告げると、途端に機嫌が悪くなる。女性は先天的に防衛本能に優れているためか、間違いとか、冒険とかを避けたがるので致し方のない。謝って、谷まで降って更に地獄谷を上流に向かって前進する。
なお、よくよくか思い起こしてみると、この道間違いは以前にも犯している。場所も確か同じだったように記憶する。最初の間違ったイメージを修正することなく、何時までも記憶に残しているために起こる失敗のようだ。
12時53分、地獄谷と別れて御在所岳の斜面に取り付く場所にやってきた。ここまでくればもう大丈夫なので、小休止することにして、ザックを降ろす。
すると、青い花が目に付いた。ハルリンドウだった。この花が本日の主目的だった。もう1つは、チゴユリだが、これは空振りに終わったようである。
早速、カメラを構えたことは言うまでもない。――が、まだ上でいっぱいに咲いているはずなので、ここのは簡単に撮っておいたに過ぎなかったが、これが大間違いだった。今年は、花の咲くのが遅いためか、上のほうに咲いているはずだった群生するハルリンドウは見当たらず、あちらでパラッ、こちらでパラッという状態だった。
この小休止を終えて再び歩き始めると、2人の登山者が降りてきたのに出会った。根ノ平峠からこちらで出会ったのは、上水晶谷で大阪からの親子連れとこの2人の4名だけであった。
13時14分、御在所岳の最高峰である望湖台に到着した。ここには多くの人がいたが、そのほとんどがロープウェイでやってきた観光客で、登山者は目に付かなかった。
ここでは落ち着かないので、三角点のある頂上(1210m)に出て、ここの四阿(あずまや)で遅がけの昼食を摂る。昼食といっても、おにぎりとパンというつつましいものなので直ぐに終わってしまう。
ここで帰路のルートの相談だ。
結局、まとまったルートは、最も楽のできるものだった。すなわち、頂上の少し下のスキー場から国見峠の少し北へ降りる道があるので、これで峠下の巨岩の所まで降りて、上水晶谷を降って千種街道に出て、後は往路を逆に歩き根ノ平峠を経て朝明の駐車場へ戻るというものだ。
こう決まれば、後は早い。13時30分頃、頂上を出発。15時12分に根ノ平峠、そして16時03分に朝明の駐車場に帰着する。

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