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2017-07

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自費出版本第3弾完成 - 2017.03.30 Thu

 昨29日、このところ掛かりきりになっていた本の印刷と帳合が完了した。
 この本は、『2012年 北海道の花旅』という題名で、先に出版した『車旅日記』に次ぐ北海道シリーズの第2弾である。
 内容は、2012年に敢行した6月5日から8月3日間、60日間におよぶ花を求めて北海道内の花の名所を放浪して回った結果をまとめたものである。
 これは、ブログで発表したものを本にしただけで、目新しいものではない。
 これまでに制作した『私たちの山の履歴書』、『車旅日記』は、本の形式にした見本1部を刷り上げ、これをPDF形式に保存したUSBメモリーを印刷業者に渡せば、私の仕事は終わりであった。
 しかし、今回は花が主役であるため、本の中に挿入した写真は白黒ではなく、カラーにしたいという意向がある。
 これで見積もりを取り寄せると、印刷に要する費用が黒白に比して何倍もかかることが分かって、この計画は暗礁に乗り上げ、頓挫してしまった。
 一時は中止することも考えたが、折角、進めた計画である。何とか、実現したいとの思いが強く、種々、考えた結果、印刷は自分で行うことにする。
 自家印刷は『車旅日記』の際にも試みようとして、使い捨てをしても惜しくはない安価プリンターを手当てしてあった。このため、このプリンターを役立てる場面が出てきたことになり、ある意味では願ったり、叶ったりであった。
 でも、印刷に取り掛かるが、これがなかなかの難題であることが身をもって知らされることになる。
 本の体裁は、A5判、2段組で280ページである。
 1ページをジーコ、ジーコと印刷するだけでも数十秒を要する。これを280ページである。1冊分を刷り上げるだけでも、多くの時間を必要とする。時間をかければ何時かは終わるだろうと考えて、当初、これを100冊、印刷する計画で作業を始めた。
 後々のことを考えると、帳合をとる手間が省けるので1冊づつを刷り上げることがベストである。このように刷るとなると、奇数ページ(表面)を刷り上げてから、今度は偶数ページ(裏面)を刷らなければならない。
 これがうまくいけば問題はないが、何かの拍子に2枚の紙が重なった状態で送られてしまうと悲劇である。以後のページ全部が失敗になってしまう。既に表面は刷ってあるので、裏表面共に失敗になってしまい、損失は2倍になる。
 この愚を避けようとすると、1ページづつを愚直に刷っていかなければならなかった。
 これがなかなか大変な作業であることが分かり、100冊は無理だと早々に諦めることになり、80冊に計画補縮小する。その後、更に20冊を削り、最終的には60冊に落ち着くことになった。これにより、既に刷り上げたページの1部が不要となり、廃棄処分をせざるを得なかったが、これは潔く諦めることにした。
 こうして作業を進めていくが、インクの消費が思っていた以上であることが分かってくる。特に、カラーインクの消耗が激しい。
 『北海道の花旅』という本の性格上、写真の主役は花である。
 花の色は色々であるが、この周囲は葉っぱなどで緑色のことが多い。ということは、黄色と青色が先行して消費され、赤が残ることになる。
 使用するHP(ヒューレット・パッカード)社製のプリンターのインクは、ブラックとカラーの2種類である。インクボックス内部のことは分からないが、赤、青、黄色の何れかが無くなると、他の色が残っていたとしても、交換、廃棄しなくてはならず、不経済であることが判明した。
 このため、カラーページだけは、これまで使用している6色のインクが各々独立するエプソンのプリンター使用に切り替える。
 このように紆余曲折を経ながら、長い時間をかけて280ページ分が刷り上がり、帳合に取り掛かることになった。
 帳合とは、1ページから280ページまでを、番号順に綺麗に並べる、積み上げる作業である。
 この作業にはある態度の広い場所を必要とするが、貧乏所帯のわが家には適当な場所がない。仕方がないので、座卓の上を作業台代わりに使うことにする。座卓の上には13枚を広げることが可能であり、1回に13冊が出来上がり、この作業を5回づつ繰り返すと60冊が完成する運びとなる。
 これで終わりではなかった。
 果たして、間違いなくページ順にそろっているかを確認する作業が待っていた。
 これが意外に大変な作業であった。
 裏白のページがあったり、ページがひっくり返って並べられていたりという具合に、結構、見直してよかったと思うほどの間違い箇所が見付かった。
 こうして、昨日、ようやく完成をみて、製本業者に持ち込むところまで漕ぎつけることができた。
 こうして苦労して完成させた本に目を通してみると、肝心の文章の校閲が満足に出来ていない所が多々あることに気付かされた。
 自分で書いたものを自分で校閲することは、なかなか上手くはいかないことは分かっているが、それにしても今回は酷すぎる感が強い。これら箇所を直すといっても、今さら、できるものではない。
 これが分かってみると、完成の喜びも束の間、今では自責の念に苛まれている。
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    《印刷に先立ち、自分で製本してみた見本》
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春の訪れが実感できた - 2017.03.01 Wed

 2月も残り少なくなった27日。
 この日は穏やかに晴れた暖かい1日であった。
 こんな陽気に誘われて、姫君の御供で藤原岳の麓にある集落に出向き、気になっていたセツブンソウの様子を見てきた。
 三岐鉄道の西藤原駅の駐車場に車を置いて、ここから歩いて現地に赴く。
 ここへの道を歩いていくと、屋敷畑の手入れをする主婦と出会う。挨拶に伴う会話によると、今年のセツブンソウは少ないとのことであった。
 でも、裏を返すと、今年もセツブンソウは咲いているということでもあり、多い少ないは別にして、ここまで出張ってきた甲斐があったことが分かって胸を撫で下ろす。
 現地に着くと、なるほど、これまでに比べるとセツブンソウの数は少ない。
 小さな水路と人家の離れの間の土手には、数えることができる程度の花がパラパラッと咲いているだけ。何時ものように離れた場所からでも分かるような密度ではなく、先ほどの主婦の話が本当であったことが証明された。
 もう1ヶ所、この土手と隣り合わせた人家の前庭のような場所には、もう少し固まって咲いてはいたが、こことて例年に比すと寂しいかぎりであった。
 これが今年に限ったことか、来年以降もこの傾向が続くかは不詳であるが、でき得るならば前者であって欲しいと願いつつ、撮影に取り掛かる。
 このあと、旧藤原自然科学館の近くにあるセリバオウレンの自生地にまわる。
 ここでも狙う花は1つを見付けるのがやっとに終わり、ここでも花が少なくなっていて、少し落胆することになった。
 それでも春の花2つをゲットすることができ、私たちの冬モードもこの日を境に春モードに切り替えができた。
 翌28日。
 今度は瀬戸市と尾張旭市に跨る愛知県森林公園にいってみる。
 いつものように南門の詰所で開花状況を尋ねると、「梅が5分咲き、ユキツバキが咲き始めたところです。草花は3月にならないと……」とのことだった。
ということで、ここは空振りの様相であったが、「折角、ここまで来たのだから園内を一回りしていこう」と相談がまとまり、歩き始める。
 なるほど、ここはまだ冬の延長上のような雰囲気であった。すなわち、木々は葉っぱを落とした裸の木が多いし、地面も緑は殆ど見当たらないという具合であった。
 園内の中央に位置する展示館前の花壇を覗いてみると、フクジュソウが1つだけ黄色の花を咲かせており、蕾も2、3個が散見することができた。ここは、まだ冬だとはいえ、春の訪れは直ぐ近くになっていることが分かって少し気分が明るくなってきた。
 これに気を良くして更に足を延ばすと、東門近くの噴水の傍でヒメオドリコソウとハコベが見付かった。この隣には極小の花が咲いていたが、何だかは分からなかった。オオイヌノフグリに似ているように感じたが、これより小さいし、接写レンズで見てみるとこれとは違うことが歴然であった。ちなみに、帰りに南門の詰所の職員に尋ねると、『フラサバソウ』ということが分かった。
 こうして初見の花といってもいい、フラサバソウに出合えたことを収穫に、心も軽く家路に就いた。
 3月1日の本日。
 恒例の朝の散歩の折、姫君が「寄って行こうか」と言い、名城公園内に立ち寄ることを誘う。狙いは直ぐに理解できた。
 2週間くらい前、ここでフクジュソウを見てみたが、このときには影も形も認めることができなかった。とはいえ、昨日、森林公園でフクジュソウが咲いていたので、ここのそれも咲いているかもしれないので見ておこうという意味合いだ。
 ここには2ヶ所でフクジュソウが植えられている。
 散策路からも見える場所に1ヶ所がある。ここに近付くと、黄色がチラチラと目に飛び込んでくる。咲いていた。近付いてみると、花びらは開いているにはいたが、まだ小さく、もう2、3日くらい後が見ごろになりそうだろう。
 もう1ヶ所、といっても最初の場所から10メートルくらいしか離れていないが……。ここにも行ってはみたが、ここの花は最初のものよりも、もっと小さく、盛りになるにはもう少し時間を必要としそうであった。
 本日から3月。暦では春になったとはいえ、まだ寒く、冬の延長上ある感じで、コタツの中で縮こまっていたい気分である。
 でも、この3日間に訪れた藤原岳山麓、森林公園、名城公園の何れでも春の山野草に出合うことができ、春の訪れが実感できた。
 こうなればショボくれた末期高齢者を卒業して、外に出てみようかという気がしてきた。これが春というものだろうか。
2017_03_01 セツブンソウ

ヨレヨレ新聞の思い出 - 2017.02.10 Fri

 昨日、かつて私たちが発行していたヨレヨレ新聞の56号分の綴り、4冊の製本ができあがった。私の手作りであるが、思いの他、上手く仕上がった。製本も数をこなせば、不器用者にでも可能であることが証明されたようで、気分が良い。
 このブログを始める以前、私たちの山行きの報告を兼ねて毎月1回の頻度で新聞を発行していた。この新聞の名称が『ヨレヨレ新聞』であった。
 この新聞の第1号は、1998年2月1日に発行された。
 私たちが初めて富士山に登ったのが、1994年のお盆。私たちがヨレヨレ山歩会・名古屋を結成するきっかけになった10名での大台ヶ原登山が1996年ということからみると、初登山から僅か4年ということになる。
 初登山から4年、会結成から2年で新聞発行ということは、如何に急速に山にのめり込んでいったかが分かろうというものだ。
 しかし、如何にのめり込もうが、何分にも経験不足で、山に関しても何も分かってはおらず、今、読み返してみると赤面のかぎりである。
 第1号は、当時、仕事で使用していたワードプロセッサー(ワープロ)で、A3版4枚に仕上げ、これを2枚づつ並べてB4版1枚に裏表の縮小コピーしたもの、すなわちB5版裏表4ページという貧弱なものであったが、できあがったときは嬉しさで飛び上らんばかりであったことは、20年近くも経過した現在でもハッキリと覚えている。
 当初、偶数月に隔月発行と決めての発足であったが、翌年からは毎月発行に増える。
 当初、何をどのように書いてよいやら手探りで、恐るおそるやっていたのが、慣れてくるにしたがい、次第に書く要領も自己流だが会得できるようになるので不思議なものである。
 初めのうちは、偶数ページにまとめ上げるのは至難の技で、終わり近くなると戦々恐々としたものだったが、これも号数が重なるとともにそれほど苦労することもなくなる。
 すると、今度は文末の余白をでき得る限り少なくするように心がけることに腐心するようになる。
 当時の一般新聞は、1段17文字くらいであったと記憶している。ということは、1行1文字だけで終わったとしても、文末の句点(丸)が入るので、残る余白は15文字分である。
 一方、私の使用するワープロは、1行が40文字で、1ページで36行という初期設定であった。これを変えるという知識の持ち合わせは私にはなく、初期設定のままで使用していた。
 ということは1行が最初の1文字で終われば、文末の句点を入れても38文字分の空白が生じ、新聞と比べ物にならないくらいに空白部分を生じさせることになる。
 これを避けたいがために、色いろと工夫することになる。
 下手な文章は縮めることにはさほど困ることはないが、ボリュームを増やすとなるとなかなか大変である。そもそも、読んで意味が分かってもらうために説明にはでき得る限り注力して書いてあるのだから、それ以上に文字数を増やせと言われても良い知恵が浮かばないという事情があるからだ。
 こんなとき、一番、スペースを潰すことができる方法は写真である。
 このヨレヨレ新聞を作成するワープロは、東芝社製の『ルポ』という機種である。
 なお、この機種を使うようになるには、次のような経緯からである。
 新聞を発行した前の年、1997年の暮も押し迫り、年賀状を作成していると、当時、使用していたワープロ、日立製作所社製の『ワード・パル』であったが、これが壊れてしまった。
 このとき、年末に関わらず営業していた家電量販店の栄電社(現・EDION)に行くと、写真も印刷できるといって薦められた機種が『ルポ』であった。
 当時、新聞を作るという漠たる構想はあったので、これは朗報と飛び付いたという次第である。
 新聞作りには、この写真機能が大いに役立った。
 使い慣れると、写真2枚、3枚を使用してパノラマ写真に合成することも可能であった。このように優れモノではあったが、この手のものとしてはごく初期のものであり、印刷するとインクリボンの重なる個所が横の筋となるなど、今からみると玩具のような代物であったが……。
 この写真の助けもあって、新聞も次第に量を増していった。
 こうなると、不便なことも起きてくる。
 20ページくらいなら普通のホチキスで留めることは可能だが、これを越えると上手くいかなくなる。文房具店で相談すると、同じような構造ながら多くの枚数を留めることが可能な機種のあることが分かり、以後はこれで留めることになる。ちなみに、最高ページは40ページというときがあったが、何とか、これで間に合った。
 この新聞も5年目、2002年の暮れ、第56号(臨時増刊を含む)をもって、廃刊を余儀なくされた。
 でも、この5年間というもの、山行きは言うに及ばず、新聞作りでも非常に充実した期間で、今から振り返ってみても懐かしく、色々の出来事が昨日のことのように鮮明に思い出すことができる。
 しかし、このように過去ばかりに目を向けた、後向きの生活で果たして良いものだろうかという忸怩たる思いがないわけではない。だが、気持ちは前向きに生きていかなければならないとの思うものの、身体も、頭も思いのようには働いてはくれず、結果、できることは後ろ向きのことだけという悲しい現実がある。
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   《表紙の年号を1年づつ間違えたのが悔やまれる》

本およびアルバムの製作に奮闘 - 2017.02.01 Wed

 つい、この前、新年の御挨拶をしたばかりだと思っていたら、いつの間にやら、1月は終わっていた。
 この間、私自身は忙しく、1日、1日を過ごしていたため、余計にこのように感じるのかもしれない。
 昨年の12月の初めに脳のMRI診断を行った。
 その結果、前回(4年前)と比し、格別に大きな変化はなく、ひと安心という結果だった。とはいえ、私が画像を確認したところ、前回も気になっていたことだが、頭蓋骨と脳みその隙間が、そのときに比べると大きくなっていた。
 これ以後、このことが心配の種になっている。
 この症状は、大人の頭蓋骨は成長しないから脳みそが小さくなって起こる、すなわち脳の委縮する現象と考えられる。
 人間として生活するのに、どれくらいの脳みそがあればよいかなど、専門的なことは分からないが、小さくなればなるほど働きは低下すると考えると、ある程度の段階で人間以下になることも充分にあり得る。
 要するに、脳の委縮の進行は、換言すると人間から遠ざかっているということになる。私も、これがもう少し進めば、身内の者に対しても「あなた、どちら様?」と言い出すかもしれない。
 医者は、脳卒中を危惧してMRI診断を薦めたが、私自身はこれらを患ったとしても、それはそれで仕方がないことだと諦めも付く。しかし、脳の委縮が進行して人間から離れていくことを想像すると、これは何としても避けたい、恐ろしいことように思える。
 このように考えると、人間として物事を考えられる期間が縮まっていることは確かであり、頭が何とか働いているうちにやっておくことは済ませておこうと考えるようになる。
 身辺整理といっても、たいしたものは残していないので、姫君に口頭で伝えればそれで終わり、いとも簡単である。
 これ以外で何をやろうかと考えると、私の後半生に注力した山に関したものを少しでも整理しておきたいと思う。
 2012年に2ヶ月をかけて北海道内を回って、花の写真に特化した旅の記録をまとめてみようと思い、『北海道の花旅』という題名で、3冊目の本を制作することにし、準備に取り掛かる。
 これと並行して写真の整理も行うことにする。時間があまり多くはないと考えられるだけに、何もかも急ぐ必要があるので大変である。
 写真は、近年では殆どの人がそうだろうと思うが、パソコンの中のフォルダに入ったままになっている。私自身は、これでも何とかなるが、残されるであろう姫君は、この箱の中を覗くことができないので、アルバムにでもしておく必要がある。
 話は変わるが、先年、本を印刷したいと思い、ヒューレット・パッカ―ド社製のプリンタを購入した折、同梱のソフトウェアをインスツールしたら、アルバム印刷用のものが入っていた。
 このソフトウェアを使用するとアルバム帳のページはできるが、これを一冊の写真帳にまとめる方策が思い浮かばず、これを使うことなく放置してあった。
 でも、時間がないと思うと知恵も湧いてくるもので、セロテープでページを連結、1枚の表紙でグルッと巻くと何処へ出しても恥ずかしくないアルバムができることが分かる。
 この方法が見付かれば、アルバム作りも弾みが付く。
 昨年の『北海道車旅』(上下、2冊)、2012年の『礼文島花図鑑』などを作成する。
 また、年が明けてからは、殆ど、『北海道の花旅』の校閲にかかりきりの状態である。
 この本は、前著の『北海道車旅』と同形式ながら、差し込みの写真は花のみと限定した。この性格上、印刷はカラーで行いたい。
 この印刷代の見積もりを依頼してみると、黒単色に比して数倍の印刷代を要することが分かって、一時、計画は頓挫した。しかし、これを自分で印刷することで、何とか打開する。
 しかし、これも大変な作業となっている。何しろ、1日中、印刷してもジーコ、ジーコと1枚づつを刷るので時間がかかって往生する。しかし、根気強くやるより仕方がないので、腹をくくってボツボツとやっている。
 これらは、私が人間であるうちにできるかぎり済ませておきたいが、期限が分からないので、もどかしく思う、今日、この頃である。
アルバムほか 0

年頭の御挨拶 - 2017.01.01 Sun

 2017年の元旦は、これほどの朝は年に何回もないというほどに、気持ちよく晴れ上がりました。この穏やかな朝は、これから始まる2017年の先行きを表しているようでもあって、嬉しさが込みあげてまいります。
 しかし、昨年からの流れをみていると、この天気ほどに楽観はできないようにも思われます。
 昨年は、どんな年であったでしょうか。
 私には、『まさか』の1年であったと感じられました。
 米国では、下馬評の低かったトランプ氏が次期大統領に決まりました。これを誰が予想したでしょうか。『まさか』の一語に尽きます。
 また、欧州へ目を転じれば、英国が国民投票の結果、ヨーロッパ共同体(EC)から脱退を決めたことも、『まさか』でありました。
 一方、わが国では、何はさておいて天皇陛下が譲位のお気持ちがあることを示されたことも、私たち国民にとっては、『まさか』のまさかでありました。
 このように『まさか』は遠くで起こったばかりではありません。
 私の身近でも『まさか』は起こっておりました。
 私たちが、昨年、2ヶ月余の長期にわたる北海道放浪の旅を敢行できたことも、一昨年の状態をからは、これも『まさか』でありました。
 私たちの『まさか』は、嬉しい『まさか』であるが、これ以外の『まさか』は後あとまでも尾を引く問題も抱えているだけに手放しで喜んでいるだけには参りません。というより、これらの『まさか』が、本年に及ぼす影響を計りきることは出来ません。
 とはいえ、これらの『まさか』が、私たちにとって悪い影響だけを与えるとも考えられません。これからの1年が終わって、昨年の『まさか』が、本年にとって良い影響を与えてくれる『まさか』になることを信じたいと思います。
 とにかく、これだけのよい天気の正月は滅多にあるものではありません。きっとよい1年になるだろうことを念じたいと思います。
 私自身も健康に留意しつつ、姫君につつがなくお仕えできるように努めたいと思っております。
2017_01_01 槍が岳②
  《1999年1月1日 後立山の稜線から槍・穂高を眺める》

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