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2017-10

北海道で出された宿題 - 2014.10.09 Thu

飾り台が完成
 北海道旅行で鹿の角を購入したことは旅行中に報告した。また、これを飾る台の材料も併せ入手したことも同様だが、この台の加工を如何にするかという大きな宿題を抱えることになった。
 帰名後、どうするか考えるものの、なかなか妙案が浮かばなかった。
 結局、購入当初に考えていたよう、台に穴をあけて鹿の頭部を埋め込むことに落ち着いた。
だが、これには高度な技術を要する作業となることが予想されるので最も用いたくない方法であった。何分、工作は小学生の頃にやったくらいで、以来、1度たりともこれに手を染めたことがない。こんな私に完成させることができるか否か、はなはだ疑問である。いや、疑問ではなく、答えは既に『不可能である』と出ている。
 このため、指物師に依頼することを頭に浮かんだが、昔ならいざ知れず、今では指物師が何処にいるのかさえ分からないようになっていることに気付き、諦めざるを得なかった。よくよく考えれば、指物師が見付かったとしても、当然のことながら、その工賃が高価になって私の支払能力を超えることも考えられ、人頼みは無理だろうとの結論に落ち着く。
 木に穴を掘るとなればノミ(鑿)が必要だが、これすら手元にはない。今回の作業に使うだけで、その後に使うことは考えられない。使う機会が1度だけなのに、わざわざ購入することもないので、以前、建築関連の仕事をしていた友人に借りることに段取りを付ける。
 彫刻刀くらいは使ったことはあるが、ノミなどの本格的な大工道具は使用したことがない。この使い方ならびに掘る穴の寸法のとり方など、彼に教授してもらう。この教えの中で私が考えも及ばない手法もあった。穴の縁はノミを使用して掘るのは普通だが、真ん中部分をドリルで穴を空けて省力化を計るというものだった。
 ノミを借りて、残り部分を家で仕上げたが、マンション生活の私にはこのような作業が無理なことが身にしみて味わうことになる。音や振動を立てられない。埃を出せないという具合に制約が多すぎるためだ。それでも曲がりなりにも穴を完成させ、ニスを塗って仕上げる段楷まで持ち込んだ。
 ニス塗りを行うには、表面を研き上げねばならない。北海道で一応は粗削りをしてきたのだが、これだけでは充分でないことが分かったためだ。これを行うには、手作業では大変なので二の足を踏んでいたが、あるとき、ホームセンターを訪れた際、工具の貸出しを行っていることを知った。この制度は、各ホームセンターで行われており、貸出料金も意外なくらいに安価であった。
 私が借りた先は、自宅に近いKahma(カーマ・ホームセンター)だが、この店では電動サンダ―を2泊3日で借り受けるに必要なレンタル料金は200円という信じられないような金額であった。ちなみに、この廉価の裏には、このレンタル制度には電動工具メーカーのマキタの存在(マキタがレンタル用の電動工具をホームセンターに無償で提供?)があると考える。
 また、このホームセンターでは、工具室を原材料の購入者に開放するという制度もあった。私の場合、材料を持ち込むので本来なら使用することはできないが、サンドペーパーなどの消耗品を購入するから……、と拡大解釈して使用させてくれた。
 これで研磨が気兼ねなくできるようになる。
 ピカピカに磨き上げたが、台の表面の黒ずみが消えずに残り、ニスを塗っても輝きはイマイチであった。
 仕方なく、この台を諦めてもう1つの予備のほうに穴を空けることにした。「どうせ失敗するから、もう1つ持っていけ」と言って2つを持たせてくれた北海道の製材所の好意が実を結んだ形だ。
 普通ならこんな手間はかけたくないのだが、カーマが工具室を無料で使わせてくれる気安さで、やる気になったということだ。
 これは2度目で要領が分かっているので、穴あけは短時間で綺麗に仕上げることができ、ニス塗りも上手く仕上がった。なお、今はニスも進化していて、水で薄めて塗ることができるようになっていて、私のような不器用な者にも比較的簡単に塗ることができた。
 最後は台に鹿の角を固定する作業である。当初は瞬間接着剤で取り付けることを考えていたが、綺麗に仕上がったとはいえ穴の中にデコボコが残っているし、穴の中の密着する度合いが外からでは分からないということもあって、木工用ボンドに頼ることになった。
 こうして、昨日、これが完成(下記参照)した。
 北海道から帰ったのが9月10日で、ちょうど1ヶ月を要したことになる。こんな長期間にわたって宿題をこなすことは、これまでになかったことだ。また、これまで宿題は親か姉弟が手伝ってくれる、いやまるまる作ってくれることが常だったので、自分だけの力でやり遂げたことは画期的だといえる。
完成した鹿の角の飾り

こぼれ話 in 北海道 ③ - 2014.09.27 Sat

キタキツネ
 6月27日、大雪山の主峰、旭岳に登った折、この山でキタキツネに出合った。
 キタキツネは、私たちのような本州に住む者にとっては珍しい生き物だが、北海道ではごく普通に私たちの目の前に現れることがあって珍しくはない。生息域も幅広く、何処かに限って生存しているわけではなさそうで、ある意味ではエゾシカに出合うより出合う確率の高い生き物といえる。
 でも、大雪山という高い山の中で出合うということは想像の域を超えており、見付けて教えてくれた姫君の声を聞いたときには半信半疑であった。
 姫君からカメラを受け取り、被写体にカメラを向ける前に連写モードに切り替える時間があったことは幸いであった。
 このとき、どれくらいカメラから離れていたか、30mくらいであったであろうか、いや50mくらいだったかは定かでないが、遠い位置であったことは確かである。だが、小動物が登山道を横切って南から北側へ歩いていったことは間違いない。
 ファインダー越しに動いている物体を捉えることはでき、それがキタキツネだろうことは推定できたが、断定するほどにハッキリと見えた訳ではなかった。
 また、私の知識ではキタキツネは人の住む平地とあまり条件の違わない森の中に生息していると思い込んでおり、このような環境の厳しい山の中を生息域としているとは考えておらず、キタキツネではなく他の生き物だという可能性も否定できなかった。
 ちなみに、撮影場所は、旭岳の中腹にある姿見の池から裾合平へ向かう登山道の途中、標高1650m内外の場所であった。
 家に帰って写真をパソコンに取り込んでいるとき、このキタキツネのことを思い出し、取り込みを完了すると同時に、このコマを探してみた。
 すると、姿をハッキリと捉えているものが数枚あった。画像を見ると、キタキツネであることは間違いなさそうだが、何時も見慣れたそれとは何だか印象が異なっていた。
 姫君を呼んで確認してもらうが、「このキタキツネ、病気?」というのが彼女の第一声であった。彼女も見慣れた形とは異なっていることに驚いた様子だった。
 小さい画像ではハッキリとしないので、トリミング、周囲を少し切り込んで、キタキツネを相対的に拡大してみる。すると、皮膚病を患っているかに見えた皮膚の部分も短い綺麗な毛が生えていることが分かり、病気ではなさそうだった。ということは、長い毛の部分が抜け落ちていることになり、考えられるのは冬毛から夏毛に生え代わる途上にあるということだ。
 そういえば、この撮影場所は旭岳の西斜面で雪は完全に解けているが、この先、裾合平にかけての北斜面では一面が銀世界であったことを思い出す。ということは、雪がないとはいえ、この辺りは平地とは異なって春先になったばかりであることが理解でき、夏毛への移行中が納得できた。
3 20140627 旭岳

こぼれ話 in 北海道 ② - 2014.09.18 Thu

網走と名古屋との接点
 7月10日、網走皮膚科クリニックで診察を受けた。
 原因は、身体の一部に痒みを伴う発疹が出て、我慢することが辛くなったためだ。この症状は今に始まったことではなく、数年前からこの症状が出ては治まり、出ては治まりの繰り返しで、確か、最初に北海道に来たときも同じクリニックに掛っている。
 この症状は何も北海道に来たときだけに起こるわけではなく、自宅でも発症するときがある。こんなときには掛かり付けの内科医院で処方してもらった塗り薬で対処している。
 今回の旅へ出る前にも、この薬を処方してもらってきているので、一時凌ぎはできるのだが、この少し前から症状が酷くなっていた。
 このため、この前の鼻水が止まらずに竹山医院(仮名・紋別)を訪れたとき、ここは夫が内科、妻が皮膚科の看板を掛けていたことが分かって皮膚科の診察も受けている。このとき、待合室での患者評では皮膚科医のほうは東京の大学病院でも診ており、飛行機で通っていると名医扱いであった。この診察を受けた後に塗り薬をもらったが、これが内科で処方された薬と殆ど同じものだった。専門外の内科医が処方した薬と専門の皮膚科医が出したそれが同じでは、専門家という名前が泣こうというもので、この医師の資質には疑問符が付く。
 これに比し、網走のクリニックは、「発症してから時間が経過していて、直ちに原因までは分からないが……」と、原因究明を視野に入れた診療が、前回、行われ、対処療法だけの紋別とは大違いで、患者の信頼感は網走に軍配が上がる。
 余談が長くなったが、診察した医師が、「名古屋では何処かで診てもらっているか」と尋ねるので、内科医が処方した薬を持っていることを話すと、「何故、皮膚科に掛らないのか」との疑問が呈せられた。これに対して、「名古屋には信頼に足る皮膚科医がいない」と答えたところ、意外にも「名古屋にも信頼できる医者がいる。私が知っている」とのことだった。そしていくつかの問答を重ねた末、その医師が紹介状を書いてくれるということになった。
 紹介状のあて先は、名古屋市立大学医学部(眼科)教授で、帰ってから病院と連絡すると、9月29日に診察と決まった。
 私が東京に住んでいて、こんな話があったとしても、それほど不思議には思わないが、私の住む名古屋は大きな都市だといっても、東京に比べると存在感は劣り、北海道との接点も少ない。このような関係にもかかわらず、北海道で名古屋の医師を紹介してもらうということは、非常に珍しい体験だと思っている。
 両医師の間にどのような繋がりがあるのか、29日の診察の際に訊いてみようと思っている。

キタキツネ

こぼれ話 in 北海道 ① - 2014.09.15 Mon

熱 中 症
 6月30日、紋別でのことだった。
 水鼻(汁)が止まらなくなり、ティッシュペーパーを丸めて鼻の穴へ詰めなくては追っ付かくなってくる。これには堪らず、医者の診察を受けることにする。
 とはいえ、地理不案内の旅先のこと、病院も医者もまったく分からず、何処へ行ってよいのかさえも雲を掴むようなものだった。
 でも、持参したタブレットが、早速、威力を発揮することになる。『紋別 内科医院』で検索すると、竹山医院(仮名)がヒットした。架電して都合を尋ねると、診察は可能ということだった。 カーナビに案内させて竹山医院へ赴く。この医院は込み入った場所にあり、住所だけで辿り着くのは難儀しただろうし、地図があったとしても右も左も分からない旅先では、はたして無事に到着できた否かは疑問である。
 先のタブレットといい、このカーナビといい、本当に今は便利になったものだ。
 到着した医院で保険証を提示して受付を済ませると、体温計が渡され、検温するように申し渡される。体温のことはまったく頭になく、平熱だと思っていたというより、発熱しているなどとは考えていなかったし、発熱時に感じる異常もなかった。だが結果は、37度ちょうど。私にしては微熱であった。これが分かってみると、今まで何ともなかった身体が、何だか気だるく感じてきたので、不思議なものである。新しく悪い部分が出てきたためか、どうかは分からないが、鼻の奥のほうが乾いてきた感じがして水鼻の症状は治まってくる。
 こんな状態のときに診察の順番が回ってきて、診察室の中へ入っていくと中年の医師が椅子に座っていた。
 私が症状を説明すると、その医師が私の口の中、ノドを覗き見てからおもむろに口を開いた。
 「意外と思われるかもしれないが、これは風邪ではありません」と真面目な顔で言い、怪訝そうな顔をした私を見てさらに言葉を繋いだ。「驚かれるでしょうが、これは熱中症です。お心当たりがありませんか」と問われる。いくら涼しい北海道だと言っても、日中は暑い。したがって、心当たりはいくらでもあるが、何だか違和感が残った。
 それから熱中症について断片的に語り始めた。これによると、昔は熱中症という病名はなく、夏風邪だと思われていたものが実は熱中症。また、夏風邪は治りが悪いといわれていたが、熱中症だから風邪薬を飲んでも治らないのは当然だ、などなどと語った。そして熱中症に対処する方法というような内容の印刷物を手渡し、これを読んでおくようにとのことだった。
 投薬は、ディレグラ配合錠と漢方の小青竜湯だった。薬局でくれた紙をみると、どちらもアレルギー性鼻炎に利くとなっていた。
 薬をもらったときには、鼻水はスッカリ治まっていたので、これら胡散臭い薬は1回も飲まずに終わった。
 それにしても、この医者のいい加減さは、昔聞いたことのある手遅れ先生に相通じるところがある。手遅れ先生とは、治療に際して『手遅れ』だと最初から予防線を張って最悪のときに備える医者のことである。紋別の医者は、風邪の症状で訪れた患者の総てに、新しい病名である熱中症だとの診断を下して奇をてらい、患者の評判を高めようという意図が見えみえだからだ。
 ちなみに、私がこのように断じる理由は、①水鼻が止まらない、②微熱がある、③喉の状態、この3点で病名を断言できるとは考えられないからだ。心ある医者なら、熱中症の疑いがあるとか、風邪の症状だから薬を飲んで様子を見るようにとくらいしか言わないだろう。少なくとも、この段階では熱中症だと断定するには素人の私が考えても材料が不足する。
 ちなみに、翌朝には何時ものように爽やかな朝を迎えた。前述のように1錠の薬を飲むことなく、治ってしまったのだ。 
ガリンコ号1世
引退した観光砕氷船『ガリンコ号1世』。現在は2世が活躍中である。

平穏な最終日 - 2014.09.09 Tue

穏やかな船旅を楽しむ
 9月9日、前日のフェリー乗船時に雨が降り、本日の天気が心配されたが、朝、起き出してみると晴れ上がっていた。その後、雲が多くなったり、ほとんどなくなったりと船の移動によって多少の変化はあったが、総じて安定した晴れ。また、心配された波も終日にわたって凪の状態で、船の揺れを感じることはなく、快調な船旅ができた。
 船内での催し物は、前回に姫君が1等を射止めたビンゴゲームに始まり、バイオリンの2重奏、映画が邦画と洋画各1本づつと盛りだくさんが用意されており、これに加えて持ち込んだ週刊誌もあるので、飽きるということはなく昼間の12時間以上がいつの間にやら過ぎ去っていた。
 ちなみに、ビンゴゲームでは、2匹目のドジョウを夢見ていたが、そう上手くは問屋が降ろさなかった。それでも姫君はしぶとく、最後のオマケの1回でビンゴを成立させて絵葉書をせしめている。せしめたと言っても1枚だけではあったが、リーチまでがやっとの私からみれば羨ましい限りである。
 19時現在、船は福井県沖に差し掛かっていて、1時間半後には予定通りに敦賀港に入港、2014年の80日余に及ぶ北海道の旅もフィナーレを迎えることになりそうだ。
すずらん号の船内

 長い間、お付き合いいただき感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。

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