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2017-03

春の訪れが実感できた - 2017.03.01 Wed

 2月も残り少なくなった27日。
 この日は穏やかに晴れた暖かい1日であった。
 こんな陽気に誘われて、姫君の御供で藤原岳の麓にある集落に出向き、気になっていたセツブンソウの様子を見てきた。
 三岐鉄道の西藤原駅の駐車場に車を置いて、ここから歩いて現地に赴く。
 ここへの道を歩いていくと、屋敷畑の手入れをする主婦と出会う。挨拶に伴う会話によると、今年のセツブンソウは少ないとのことであった。
 でも、裏を返すと、今年もセツブンソウは咲いているということでもあり、多い少ないは別にして、ここまで出張ってきた甲斐があったことが分かって胸を撫で下ろす。
 現地に着くと、なるほど、これまでに比べるとセツブンソウの数は少ない。
 小さな水路と人家の離れの間の土手には、数えることができる程度の花がパラパラッと咲いているだけ。何時ものように離れた場所からでも分かるような密度ではなく、先ほどの主婦の話が本当であったことが証明された。
 もう1ヶ所、この土手と隣り合わせた人家の前庭のような場所には、もう少し固まって咲いてはいたが、こことて例年に比すと寂しいかぎりであった。
 これが今年に限ったことか、来年以降もこの傾向が続くかは不詳であるが、でき得るならば前者であって欲しいと願いつつ、撮影に取り掛かる。
 このあと、旧藤原自然科学館の近くにあるセリバオウレンの自生地にまわる。
 ここでも狙う花は1つを見付けるのがやっとに終わり、ここでも花が少なくなっていて、少し落胆することになった。
 それでも春の花2つをゲットすることができ、私たちの冬モードもこの日を境に春モードに切り替えができた。
 翌28日。
 今度は瀬戸市と尾張旭市に跨る愛知県森林公園にいってみる。
 いつものように南門の詰所で開花状況を尋ねると、「梅が5分咲き、ユキツバキが咲き始めたところです。草花は3月にならないと……」とのことだった。
ということで、ここは空振りの様相であったが、「折角、ここまで来たのだから園内を一回りしていこう」と相談がまとまり、歩き始める。
 なるほど、ここはまだ冬の延長上のような雰囲気であった。すなわち、木々は葉っぱを落とした裸の木が多いし、地面も緑は殆ど見当たらないという具合であった。
 園内の中央に位置する展示館前の花壇を覗いてみると、フクジュソウが1つだけ黄色の花を咲かせており、蕾も2、3個が散見することができた。ここは、まだ冬だとはいえ、春の訪れは直ぐ近くになっていることが分かって少し気分が明るくなってきた。
 これに気を良くして更に足を延ばすと、東門近くの噴水の傍でヒメオドリコソウとハコベが見付かった。この隣には極小の花が咲いていたが、何だかは分からなかった。オオイヌノフグリに似ているように感じたが、これより小さいし、接写レンズで見てみるとこれとは違うことが歴然であった。ちなみに、帰りに南門の詰所の職員に尋ねると、『フラサバソウ』ということが分かった。
 こうして初見の花といってもいい、フラサバソウに出合えたことを収穫に、心も軽く家路に就いた。
 3月1日の本日。
 恒例の朝の散歩の折、姫君が「寄って行こうか」と言い、名城公園内に立ち寄ることを誘う。狙いは直ぐに理解できた。
 2週間くらい前、ここでフクジュソウを見てみたが、このときには影も形も認めることができなかった。とはいえ、昨日、森林公園でフクジュソウが咲いていたので、ここのそれも咲いているかもしれないので見ておこうという意味合いだ。
 ここには2ヶ所でフクジュソウが植えられている。
 散策路からも見える場所に1ヶ所がある。ここに近付くと、黄色がチラチラと目に飛び込んでくる。咲いていた。近付いてみると、花びらは開いているにはいたが、まだ小さく、もう2、3日くらい後が見ごろになりそうだろう。
 もう1ヶ所、といっても最初の場所から10メートルくらいしか離れていないが……。ここにも行ってはみたが、ここの花は最初のものよりも、もっと小さく、盛りになるにはもう少し時間を必要としそうであった。
 本日から3月。暦では春になったとはいえ、まだ寒く、冬の延長上ある感じで、コタツの中で縮こまっていたい気分である。
 でも、この3日間に訪れた藤原岳山麓、森林公園、名城公園の何れでも春の山野草に出合うことができ、春の訪れが実感できた。
 こうなればショボくれた末期高齢者を卒業して、外に出てみようかという気がしてきた。これが春というものだろうか。
2017_03_01 セツブンソウ

ヨレヨレ新聞の思い出 - 2017.02.10 Fri

 昨日、かつて私たちが発行していたヨレヨレ新聞の56号分の綴り、4冊の製本ができあがった。私の手作りであるが、思いの他、上手く仕上がった。製本も数をこなせば、不器用者にでも可能であることが証明されたようで、気分が良い。
 このブログを始める以前、私たちの山行きの報告を兼ねて毎月1回の頻度で新聞を発行していた。この新聞の名称が『ヨレヨレ新聞』であった。
 この新聞の第1号は、1998年2月1日に発行された。
 私たちが初めて富士山に登ったのが、1994年のお盆。私たちがヨレヨレ山歩会・名古屋を結成するきっかけになった10名での大台ヶ原登山が1996年ということからみると、初登山から僅か4年ということになる。
 初登山から4年、会結成から2年で新聞発行ということは、如何に急速に山にのめり込んでいったかが分かろうというものだ。
 しかし、如何にのめり込もうが、何分にも経験不足で、山に関しても何も分かってはおらず、今、読み返してみると赤面のかぎりである。
 第1号は、当時、仕事で使用していたワードプロセッサー(ワープロ)で、A3版4枚に仕上げ、これを2枚づつ並べてB4版1枚に裏表の縮小コピーしたもの、すなわちB5版裏表4ページという貧弱なものであったが、できあがったときは嬉しさで飛び上らんばかりであったことは、20年近くも経過した現在でもハッキリと覚えている。
 当初、偶数月に隔月発行と決めての発足であったが、翌年からは毎月発行に増える。
 当初、何をどのように書いてよいやら手探りで、恐るおそるやっていたのが、慣れてくるにしたがい、次第に書く要領も自己流だが会得できるようになるので不思議なものである。
 初めのうちは、偶数ページにまとめ上げるのは至難の技で、終わり近くなると戦々恐々としたものだったが、これも号数が重なるとともにそれほど苦労することもなくなる。
 すると、今度は文末の余白をでき得る限り少なくするように心がけることに腐心するようになる。
 当時の一般新聞は、1段17文字くらいであったと記憶している。ということは、1行1文字だけで終わったとしても、文末の句点(丸)が入るので、残る余白は15文字分である。
 一方、私の使用するワープロは、1行が40文字で、1ページで36行という初期設定であった。これを変えるという知識の持ち合わせは私にはなく、初期設定のままで使用していた。
 ということは1行が最初の1文字で終われば、文末の句点を入れても38文字分の空白が生じ、新聞と比べ物にならないくらいに空白部分を生じさせることになる。
 これを避けたいがために、色いろと工夫することになる。
 下手な文章は縮めることにはさほど困ることはないが、ボリュームを増やすとなるとなかなか大変である。そもそも、読んで意味が分かってもらうために説明にはでき得る限り注力して書いてあるのだから、それ以上に文字数を増やせと言われても良い知恵が浮かばないという事情があるからだ。
 こんなとき、一番、スペースを潰すことができる方法は写真である。
 このヨレヨレ新聞を作成するワープロは、東芝社製の『ルポ』という機種である。
 なお、この機種を使うようになるには、次のような経緯からである。
 新聞を発行した前の年、1997年の暮も押し迫り、年賀状を作成していると、当時、使用していたワープロ、日立製作所社製の『ワード・パル』であったが、これが壊れてしまった。
 このとき、年末に関わらず営業していた家電量販店の栄電社(現・EDION)に行くと、写真も印刷できるといって薦められた機種が『ルポ』であった。
 当時、新聞を作るという漠たる構想はあったので、これは朗報と飛び付いたという次第である。
 新聞作りには、この写真機能が大いに役立った。
 使い慣れると、写真2枚、3枚を使用してパノラマ写真に合成することも可能であった。このように優れモノではあったが、この手のものとしてはごく初期のものであり、印刷するとインクリボンの重なる個所が横の筋となるなど、今からみると玩具のような代物であったが……。
 この写真の助けもあって、新聞も次第に量を増していった。
 こうなると、不便なことも起きてくる。
 20ページくらいなら普通のホチキスで留めることは可能だが、これを越えると上手くいかなくなる。文房具店で相談すると、同じような構造ながら多くの枚数を留めることが可能な機種のあることが分かり、以後はこれで留めることになる。ちなみに、最高ページは40ページというときがあったが、何とか、これで間に合った。
 この新聞も5年目、2002年の暮れ、第56号(臨時増刊を含む)をもって、廃刊を余儀なくされた。
 でも、この5年間というもの、山行きは言うに及ばず、新聞作りでも非常に充実した期間で、今から振り返ってみても懐かしく、色々の出来事が昨日のことのように鮮明に思い出すことができる。
 しかし、このように過去ばかりに目を向けた、後向きの生活で果たして良いものだろうかという忸怩たる思いがないわけではない。だが、気持ちは前向きに生きていかなければならないとの思うものの、身体も、頭も思いのようには働いてはくれず、結果、できることは後ろ向きのことだけという悲しい現実がある。
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   《表紙の年号を1年づつ間違えたのが悔やまれる》

本およびアルバムの製作に奮闘 - 2017.02.01 Wed

 つい、この前、新年の御挨拶をしたばかりだと思っていたら、いつの間にやら、1月は終わっていた。
 この間、私自身は忙しく、1日、1日を過ごしていたため、余計にこのように感じるのかもしれない。
 昨年の12月の初めに脳のMRI診断を行った。
 その結果、前回(4年前)と比し、格別に大きな変化はなく、ひと安心という結果だった。とはいえ、私が画像を確認したところ、前回も気になっていたことだが、頭蓋骨と脳みその隙間が、そのときに比べると大きくなっていた。
 これ以後、このことが心配の種になっている。
 この症状は、大人の頭蓋骨は成長しないから脳みそが小さくなって起こる、すなわち脳の委縮する現象と考えられる。
 人間として生活するのに、どれくらいの脳みそがあればよいかなど、専門的なことは分からないが、小さくなればなるほど働きは低下すると考えると、ある程度の段階で人間以下になることも充分にあり得る。
 要するに、脳の委縮の進行は、換言すると人間から遠ざかっているということになる。私も、これがもう少し進めば、身内の者に対しても「あなた、どちら様?」と言い出すかもしれない。
 医者は、脳卒中を危惧してMRI診断を薦めたが、私自身はこれらを患ったとしても、それはそれで仕方がないことだと諦めも付く。しかし、脳の委縮が進行して人間から離れていくことを想像すると、これは何としても避けたい、恐ろしいことように思える。
 このように考えると、人間として物事を考えられる期間が縮まっていることは確かであり、頭が何とか働いているうちにやっておくことは済ませておこうと考えるようになる。
 身辺整理といっても、たいしたものは残していないので、姫君に口頭で伝えればそれで終わり、いとも簡単である。
 これ以外で何をやろうかと考えると、私の後半生に注力した山に関したものを少しでも整理しておきたいと思う。
 2012年に2ヶ月をかけて北海道内を回って、花の写真に特化した旅の記録をまとめてみようと思い、『北海道の花旅』という題名で、3冊目の本を制作することにし、準備に取り掛かる。
 これと並行して写真の整理も行うことにする。時間があまり多くはないと考えられるだけに、何もかも急ぐ必要があるので大変である。
 写真は、近年では殆どの人がそうだろうと思うが、パソコンの中のフォルダに入ったままになっている。私自身は、これでも何とかなるが、残されるであろう姫君は、この箱の中を覗くことができないので、アルバムにでもしておく必要がある。
 話は変わるが、先年、本を印刷したいと思い、ヒューレット・パッカ―ド社製のプリンタを購入した折、同梱のソフトウェアをインスツールしたら、アルバム印刷用のものが入っていた。
 このソフトウェアを使用するとアルバム帳のページはできるが、これを一冊の写真帳にまとめる方策が思い浮かばず、これを使うことなく放置してあった。
 でも、時間がないと思うと知恵も湧いてくるもので、セロテープでページを連結、1枚の表紙でグルッと巻くと何処へ出しても恥ずかしくないアルバムができることが分かる。
 この方法が見付かれば、アルバム作りも弾みが付く。
 昨年の『北海道車旅』(上下、2冊)、2012年の『礼文島花図鑑』などを作成する。
 また、年が明けてからは、殆ど、『北海道の花旅』の校閲にかかりきりの状態である。
 この本は、前著の『北海道車旅』と同形式ながら、差し込みの写真は花のみと限定した。この性格上、印刷はカラーで行いたい。
 この印刷代の見積もりを依頼してみると、黒単色に比して数倍の印刷代を要することが分かって、一時、計画は頓挫した。しかし、これを自分で印刷することで、何とか打開する。
 しかし、これも大変な作業となっている。何しろ、1日中、印刷してもジーコ、ジーコと1枚づつを刷るので時間がかかって往生する。しかし、根気強くやるより仕方がないので、腹をくくってボツボツとやっている。
 これらは、私が人間であるうちにできるかぎり済ませておきたいが、期限が分からないので、もどかしく思う、今日、この頃である。
アルバムほか 0

年頭の御挨拶 - 2017.01.01 Sun

 2017年の元旦は、これほどの朝は年に何回もないというほどに、気持ちよく晴れ上がりました。この穏やかな朝は、これから始まる2017年の先行きを表しているようでもあって、嬉しさが込みあげてまいります。
 しかし、昨年からの流れをみていると、この天気ほどに楽観はできないようにも思われます。
 昨年は、どんな年であったでしょうか。
 私には、『まさか』の1年であったと感じられました。
 米国では、下馬評の低かったトランプ氏が次期大統領に決まりました。これを誰が予想したでしょうか。『まさか』の一語に尽きます。
 また、欧州へ目を転じれば、英国が国民投票の結果、ヨーロッパ共同体(EC)から脱退を決めたことも、『まさか』でありました。
 一方、わが国では、何はさておいて天皇陛下が譲位のお気持ちがあることを示されたことも、私たち国民にとっては、『まさか』のまさかでありました。
 このように『まさか』は遠くで起こったばかりではありません。
 私の身近でも『まさか』は起こっておりました。
 私たちが、昨年、2ヶ月余の長期にわたる北海道放浪の旅を敢行できたことも、一昨年の状態をからは、これも『まさか』でありました。
 私たちの『まさか』は、嬉しい『まさか』であるが、これ以外の『まさか』は後あとまでも尾を引く問題も抱えているだけに手放しで喜んでいるだけには参りません。というより、これらの『まさか』が、本年に及ぼす影響を計りきることは出来ません。
 とはいえ、これらの『まさか』が、私たちにとって悪い影響だけを与えるとも考えられません。これからの1年が終わって、昨年の『まさか』が、本年にとって良い影響を与えてくれる『まさか』になることを信じたいと思います。
 とにかく、これだけのよい天気の正月は滅多にあるものではありません。きっとよい1年になるだろうことを念じたいと思います。
 私自身も健康に留意しつつ、姫君につつがなくお仕えできるように努めたいと思っております。
2017_01_01 槍が岳②
  《1999年1月1日 後立山の稜線から槍・穂高を眺める》

カジノ解禁法案可決 - 2016.12.05 Mon

 12月2日、カジノを含む統合型リゾート(IR)の整備を政府に促す『カジノ解禁法案』が衆議院の内閣委員会で可決されたと報じられた。
 これまで、たびたび、話題に上がっていたカジノという賭博場が日本でも公に認められる方向に1歩を踏み出したことになる。
 賭博行為は、これまで反社会的行為であるとして禁止されてきた。これを企てた者ならびに参加した者は刑事罰が下される。
 とはいうものの、これは表向きのことで、政府ならびに地方公共団体が主催する賭博は悪いことではないと認められてきた。これら公認賭博は、宝くじに始まり、競輪、競馬、競艇などなどがある。
 また、毛色の変わった賭博としてはパチンコがあるが、これは屁理屈を付けて、賭博ではないと認められていて、大手を振って民間業者の手で運営されている。
 こうしてみると、日本では実質的には賭博は適法として公に認められている部分も多いが、名目的には違法として処罰の対象になっている。そして違法として取りしまりの対象になる賭博は、大きいところでは闇カジノを始め、違法性集団の関与する賭博、小さいところではサラリーマンの麻雀まで、ごく日常的に行われていることが多い。
 これはこの国特有のダブルスタンダードであるが、私たち国民は痛痒を感じない問題だとして、深く考えずに現在まで来ている。
 憲法でさえも平気で2つの基準があっても何の問題もないと考える国民性であり、このような瑣末な問題にいちいち目くじらを立てることはありえないことであろう。
 カジノという賭博場を考えてみよう。
 私はテレビ、映画で得た知識を持ち合わせているに過ぎないが、カジノはスロットマシンから始まり、ルーレット、カードなどを使用して賭博を行っている場所であるらしい。
 スロットマシンは、パチンコ屋内でも設置してあるので理解できている。
 ルーレットは、昔のチンチロリンという原始的なものや、映画に出てくる丁半博打を複雑化、高級化したものらしい。
 また、カードはトランプ博打で、私たちでも正月に家族で遊んだ経験のある者も多いことだろう。
 雰囲気は、シャンデリア輝く豪華な場所に、綺麗に着飾った紳士淑女が集まって、優雅に賭けて遊ぶというものが想像できるが、実態はドロドロとした慾と金がまみれる鉄火場に相違なさそうだ。
 一般観光客がスロットで遊ぶのは、私たちがパチンコ屋に行って遊ぶのと大差ないだろうが、ハイソサエティの人が大きなレイトで遊ぶ場合を想像してみよう。
 大きく勝ち、小富豪になって帰る人もあろうが、スッテンテンになるのならまだしも、大きな借金を抱えて帰る人もいるだろう。
 後者の場合、店側は当然のこととして回収を目論む。
 客側は、後日、スンナリと借りを返す人もいるだろうが、反対に支払わない人も出てくるのが人の世の常である。
 このような際、後者に対して甘い顔ばかりしていれば、当然、店側は立ちいかなくなるので、取り立ては厳しくせざるを得ず、いろいろとトラブルも発生するだろう。このトラブルを起こさせない取り立てには、それ相応の手段を用いるだろうし、これを生業(なりわい)にする取り立て業者に任せることになろう。こういうところから鉄火場(カジノ)業者と反社会勢力との結び付きは始まり、次第に持ちつ持たれつという関係になって行くのだと思う。
 少額の金を賭けるサラリーマンの麻雀が違法と認定される社会で、10億円年末ジャンボ宝くじに狂奔する人がいたり、今年の最後の重賞レースの有馬記念に幾ら賭けると大声で叫ぶ人がいる不思議さは看過できない。
 宝くじに当たることを夢見る人、有馬記念にうつつを抜かす人らには、怠惰浪費の弊風は言うに及ばず、勤労の美風などは、時代遅れの最たるものでバカ気ていると思う人ばかりであろう。
 仮に、このように考える人々が多ければ、総ての賭けは公認とすればよい。
 ある種の賭けはよくて、ある種の賭けは悪いというややこしいことは、私のように末期高齢者になると分からなくなるので、わずらわしい限りである。
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 本ブログは、11月4日以降、更新を怠っていたため、ペナルティとして主宰者によって広告を強制的に付けられた。
 このため、何かを投稿しなくてはならないが、最近は山へも行っておらず、材料に事欠くことになった。
 時事問題については、70歳を越えて死んでいくのを待つばかりの身では、あまり書きたくはないが、この期に及んではいたしかたなく、昨日の新聞記事に基づいて書いてみた。この問題、私なりには賛否はあるが、これについては直接に言及しないことにした。

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