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2019-09

被写体を花から鳥に変更 - 2019.05.08 Wed

 写真を撮るといっても、対象とするのは、風景や私が主として撮ってきた花など、色いろとある。
 私の場合、当初、写真は時計代わりならびにメモ代わりであった。当時、写真には日付や時間が入れられるようになっていたので、山行きの要所、要所で人物なり、風景なり写して、これで時刻を残して、後に書く山行記に役立てていた。
 体力が付いてからは興味が花という別のものに移っていったので、必然的に写真も花へと比重が移っていく。これとともに、カメラも接写に適したものが欲しくなり、デジタルカメラに移行、さらに一眼レフカメラ、接写レンズという具合に撮影機材も変化していった。
 今年になって、また、花のシーズンがやってきた。
 まず手始めに、2月27日、鈴鹿の西藤原(いなべ市)へセツブンソウの咲き具合を偵察に行ってみた。狙いは違わずセツブンソウの群生に遭遇、いざ撮影という段になり、三脚を立てファインダーに接続した変倍レンズで、2倍に拡大したものを覗きこむが、花芯部分がボヤッと見えるだけである。これでは自分の望んだ場所にピントを合わせることはできない。これで手合わせすることはできず、オートフォーカス(自動ピント合わせ)で撮影するしか仕方がなかった。家に帰って、写した花をパソコンに取り込んでディスプレーで大きくして見てみると、どうも思ったようには写っておらず、少なからず落胆した。
 3月14日、今度は伊吹山の北側の大久保集落(米原市)へ、これまたセツブンソウを見にいく。このとき、セツブンソウは大半が雪の下であったが、僅かながら雪の陰から顔を覗かすものもあった。当然のことながら、カメラを向けるが、西藤原のときと同じようにオートフォーカスで撮るより他に方法はなかった。
 こうなると、花を撮影するという意欲は急速に萎んでいった。こんなことは自分でも考えられなかったことだが、他の方法で何とかしようなどとは思わなかった。
 こうして暫らくは無為な時間が悪戯に過ぎていったが、4月の声を訊くと名城公園へ桜でも撮りに行ってみるかと、天気の良い日を選んで出掛けてみた。この際、この公園では長いレンズを付けたカメラを持った人たちを多く見かけた。
 彼らに話を聞いてみると、この公園には色いろな野鳥がやってくるので、これを狙っているとのことで、中でもカワセミという鳥は羽根の色が綺麗な上に動きが素早く捉えるのに苦労するので、これが逆にこの鳥に引き込まれるとのことだった。
 こんな話を聞くにつけて、私も鳥に興味を持つようになる。だが、鳥を狙う彼らが持つカメラは、私が持つ普通のカメラとは異なって大小様々ではあるが、何れも大砲のような巨大なレンズを付けたカメラを持つ人が多い。これに対して、私たちは最長200ミリメートルという普通の望遠レンズしか付いていない。果たして、このレンズで撮れるだろうかという疑問は残るが、以前、北海道でかなり遠くの花の上でさえずるノゴマという小さい鳥を妻が綺麗に撮ったことがある。このレンズで撮れないことはないであろうと考え、私も鳥の撮影を目的に名城公園に赴いてみる。これが4月13日のことだった。
 ビギナーズラックという言葉があるが、この日の私がそうであったらしい。鳥撮りの人が多く集まる「おふけ池」の南端の辺りで、いくらも待たないうちにカワセミが飛来して池の中島に植えられたキョウチクトウの枝に停まった。
 このとき、カワセミの現物を初めて見たが、スズメくらいの大きさといったらいいだろうか、思っていた以上に小さな鳥であった。でも、枝に停まっている鳥だ。小さくともピントが合えば、あとはトリミングで何とかなりそうだと思い、シャッターを押すが、枝が混み合っていてカメラが被写体を意識しないのか、何回、押しても鳥にピントに合わず、全滅に終わり、ホロ苦いカワセミデビューであった。
 その後、2、3回、名城公園にカワセミ詣でに出掛けるが、空振りが続いた。でも、ここで出会う人からカワセミに付いてレクチャーを受け、この鳥の生態を学ぶことができ、全く収穫がないわけではなかった。
 これによると、ここへ訪れるカワセミは、この公園内には住んではおらず、隣の名古屋城の堀の石垣の辺りをネグラ(巣)とし、ここへは餌を捕りに飛来する模様だとのことであった。
 彼らの餌は、この池の中の小魚で、池に突きだす枝の上から池の中を覗き込み、これだと狙いを定めた魚をめがけて水中に突っ込んで捕獲、また、前にいた枝に戻って、捕った魚を食べるのだということが分かった。そして、彼らが好んで停まる枝も分かってくる。
 これらの事前知識を得て、4月21日、何回目かの名城公園へ行った。この際、最初は池の中ほどにある橋の掛かった中島へ渡ると、先着のカメラマン氏が「枝に停まっている」と言い、盛んにシャッターを押していた。私の肉眼では何処にいるかも分からなかったが、彼の言の池に突きだした枝をみると、小さなものが少し動いたようで、それがそれらしいことを知り、彼と同じようにファインダーを必死で覗きこみ、シャッターを何度も、何度も押していた。
 帰ってからパソコンに取り込んで、精査すると何れも大きく伸ばせるような代物ではないことが分かってガッカリであった。これとともに、スズメほどの大きさのカワセミを遠くから撮るのには200ミリメートルのレンズでは無理があることが判明した。
 だが、私たちは鳥ばかりを狙う訳ではないので、あの大砲のようなレンズは無用の長物である。普通の撮影もできるズームレンズで、最適のものがないかと探してみると、18~400ミリメートルのものがあることが分かり、これを入手することを決め、アマゾン経由で小さな出品者から購入することにした。
 4月27日、入手した新しいレンズを持って名城公園に出掛ける。この日は運が良かった。最初の池の中ほどでも、南端でもカワセミと遭遇することができ、撮影にも成功した。
 400ミリメートルでは充分とまではいかないが、トリミングすれば何とか使い物になるものが撮れることが分かった。
 これで私もいっぱしの鳥屋の仲間入りができたと思い、これ以後も時間が許す限り、名城公園に通ってカワセミを追い求めている。
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警察の無免許の薦め - 2019.04.30 Tue

 最近、東京および神戸などで複数の死傷者を出す交通事故、それも高齢者の運転で起きたことが大きく報道された。以後 、テレビでもモーニングショーなどで、高齢者の運転について採り上げることが多くなっている。この中で話は高齢者講習におよび、最近、これを受けるために5ヶ月も待たなければならないと報じていた。
 私も3月初旬に高齢者講習(3時間)を受けたので、このことは身をもって体験して、知っていた。
 私の誕生日は2月14日で、この1ヶ月後の3月14までに免許証を更新する必要がある。これに先立ち、昨年の10月の終わりに平針運転試験場から運転免許証の更新手続きの知らせを受けて、先ず、認知症(ボケ)テスト(正式名称は認知機能検査)を受けるために最寄りの自動車学校に架電すると、11月5日が検査日と決まる。この試験の結果が『ボケ始め』となって、11月10日に通知されてきた。
 この判定を受けた者は、3時間の高齢者講習(正常との判定者は2時間講習)を受けることが必要との由。このため、ボケテストを受けた最寄りの自動車学校へ架電すると、「来年3月末までは講習者がいっぱいで受付はできません。4月以降のことは新年度に切り替わるので、どのようになるかは分からず、4月になってから改めて電話して聞いてください」と断られる。
 その他、3、4ヶ所の自動車学校に架電したところ、どこも似たり寄ったりの返事だったが、その中でも1校だけ3月5日が空いていたため、ここに決める。
 そして、この講習を受け、翌6日に名古屋西警察署で更新手続きを終える。ちなみに、ここで更新手続きを終えても、運転免許証が出来上がるまでに時間がかかり、新しいそれを手にしたのは3月27日であった。
 私の場合、更新手続きの知らせを受けて直ぐに認知症テストを申し込んだのにかかわらず、更新手続きを終了するのに4ヶ月強を要した。これまでのように、更新期限までにはまだ余裕があると悠長に構えていたならば、期限以内に更新することは適わず、免許証の期限切れで、免許証は失効したであろう。
 だが、更新通知を受けて、暫らくは、まだ先の話だと悠長に構えていた人はどうなっているだろうとの疑問がわく。この答えは高齢者講習を一緒に受けた人から聞いて、分かった。
 免許証の期限切れとなることが分かった時点で、警察に届け出れば、免許証の裏にハンコ(スタンプ)を押してもらえる。このようにすれば、4ヶ月の延長が認められ、痛痒は感じないとのことだった。
 何時の頃かは不詳ながら、道路交通法が改正されて、『海外駐在や、長期入院など、やもう得ない事情がある場合には、期限が切れても失効はせず、講習等を受けるだけで交付を受けられる』ようになったらしく、これを盾に警察の落ち度を自らカバーしているようだ。
 ここで考えてみたい。やもう得ない事情の海外駐在者にしろ、長期入院者にしても、免許証の有効期間を過ぎたといっても、この間、事実上に自動車運転はできないことは明らかである。日本に帰国して、あるいは病院を退院して、所定の手続きをしたうえで改めて免許証を取得して、ここで晴れて運転ができるということになる。
 だが、高齢者講習が受けられなくなって、警察に免許証期間を延長してもらった者はどうであろう。
 こうして期限切れになったとしても、警察が認めたという理由で、堂々と運転しても咎めだてされることはない。これは、無免許運転であるが、取締る側の警察がその意思がないので、取締りの対象になることはなく、表面的には何もなかったことと同じである。
 だが、この理由、すなわち、法で決められた高齢者講習受けられないということが、果たして『やもう得ない理由』であろうか。警察サイドからみれば『やもう得ない理由』に当たろうが、運転免許証更新を求める者からみれば『単なる警察サイドの手落ち』であって、当人に非があるわけではないので『やもう得ない理由』とはいえない。
 これは、警察が法の運用を恣意的に行った結果であるといえる。そして、この結果が無免許運転を野放しにしていることになると思うが、このような考え方は、『ボケ始め』た者の戯言(たわごと)であろうか。
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今度は心臓に疾患が - 2019.04.14 Sun

 3月17日(日曜日)、恒例の速足散歩に出発した際、自宅近く(距離にして400メートル内外)のファミリーマートまで来たとき、足に猛烈な疲労感、違和感を感じた。特に右足の付け根が顕著で、ここから足へと流れる血液に支障があるがごとき感覚であった。
 このとき、真っ先に閃いたのは、糖尿病関連後遺症で血管が劣化して血流が円滑に流れなくなったことで、最悪、足の切断というものだった。だが、前日の掛り付け医院での診断では、それほど深刻な症状を発する気配はなかったことを考えると、この可能性は低いと思われる。
 その他の要因として考えられることは、筋肉痛など、運動機能の障害である。
最近の遠出は3月14日(木曜日)の伊吹山山麓の集落を2つ回って、セツブンソウ、アズマイチゲの確認であったが、この日の未明に季節外れの積雪があり、地表は薄っすらとではあるが、雪が覆っていて、目的は果たせなかった。加えて、昼ごろには少しではあるが積雪があり、冬への逆戻りの中、足元を気遣いながら歩く破目になった。この帰りに、一宮市(旧尾西市)のパークゴルフ場に立ち寄り、これで1ラウンド(18ホール)を行ったが、ここでも寒さがきつく、これが祟ったのかも知れないと考えた。
 このような疲労であれば、少し様子をみていると、自然治癒するかもしれないと思い、そのまま散歩を続けた。名城公園の北東角の信号を渡った所に歩道橋があり、これを上り下りするのが散歩の際の習慣になっているので、これに取り掛かるが、何時もは一気に登っているのが、この日は違っていた。足が上がらずに途中で休む始末で、明らかに何時もとは様子が違っていた。
 次に、名古屋城の東側の坂道である。ここには傾斜があるとはいえ、緩やかな登りで、何時もは登り勾配であることを考えたことはないが、この日はこの程度の勾配でも、それを感じずにはおられなかった。
 その後は、足が重い感じは払拭できなかったが、特に異常はなく、一周4.2キロメートルの散歩を終える。何時もは、この1周を50分程度で歩いていたが、この日は60分以上を要していたように記憶している。
 18日(月曜日)には、治っていると思っていたが、事実は案に相違して、前日と何ら変わることのない状態であった。
 私は、脹脛(ふくらはぎ)の辺りが、常に張ったような状態にあり、この部分を伸ばすと軽い痛みを感じるという慢性的な症状がある。これが悪化したのではないかと考えてみるが、歩いたとき、特に登り勾配の道を歩いたときの痛みの場所が、微妙に異なるので、既往症の悪化ということは考え難い。
 やはり、一度、整形外科で診断してもらわなければならないかと、考えていた。でも、普通に生活している分には、特に異常はないので、行きそびれていた。
 20日(水曜日)、愛知県がんセンターへ義妹の見舞に行くことになり、散歩を止めて、ここへ出掛ける。
 この際、段ボールゴミがあったので、これを出掛ける際に捨てるため、これを持って家を出て、これをゴミ集積室に捨てる。このあと、異常な息切れがする。暫らくは休憩しないと歩みを続けることができないほどであった。
 この日は特に不調で、地下鉄の名城公園駅まで歩くのも大儀であった。次いで自由が丘駅で地下鉄を降りてがんセンターまで登り勾配の道を歩くのだが、ユックリ歩いているのにかかわらず、息苦しく、足にも異常を感じる。
 この息苦しさは、ただごとではないと思われる。そして、このとき、この症状は整形外科的なものではなく、内科的なものではないかということに思いが至った。
 素人が真っ先に頭に浮かぶのは、肺機能が何らかの原因で低下して、血液に酸素供給ができなくなっての症状だと考えると、これまでの症状ならびに変化の兆しのない点もスッキリと胸に落ちる。
 この日、がんセンターから帰ってきたのが正午過ぎ。ここで、掛り付け医院に架電をしたが、既に診療時間は過ぎていて、無情にも呼び出しベルが鳴り響くのみであった。
 21日(木曜日)は、祝日で同医院は休み。症状は改善することなく、私としても安静に努めるのみである。
 22日(金曜日)、午前中はがんセンターに行く用事があり、ここから帰り次第、同医院に診察のために赴く。
 最初に、指先の血液酸素量を測ってもらうが、90パーセント以上の数値を示していて、異常はない。次に、レントゲンによる胸部撮影を行うが、これも綺麗なままで、患部はここでもないことが判明する。
 すると、医師が「心電図を採りましょう」といい、これを計測する。すると、心臓に電気信号を送るまでは正常だが、この信号を受け取った心臓がサボタージュして、信号どおりの心拍なく、一回づつ、定期的にズル休みをしている状態であることが判明した。
 この結果を見た医師は、直ちに病院を紹介するから、この足で病院の診察を受けることを薦められる。
 病院の診察は午前中で終わりであるため、紹介状を持って、慌ただしく紹介された名城病院を訪れる。
 ここで血液検査と、心電図を採ったほか、血管の老化度の検査のほか、心臓の超音波による検査に加えてポータブル心電図(24時間心電図)と矢継ぎ早に検査が行われることになった。
 そして、次の診察日が3月29日(金曜日)ということだった。
 この日になって、何を言われるかと戦々恐々となって医師の前に座ると、特に悪性の疾患ではない(正式の病名は、ウェンケバッハ型の房室ブロック)ので、暫らく様子をみていき、最悪の場合はペースメーカーを埋め込まなくてはならないかもしれないと脅された。だが、さしあたっては、これも不要とのことだったので、「ヤレヤレ」と胸を撫で下ろすことになった。
 この頃には異常だった症状は治まっていたので、朝の散歩も少し距離を縮めて3キロメートル内外と軽めにしていたが、この結果が出てからは、また、元の4.2キロメートルに戻している。
 このように、今回は一過性で済んだが、これまで自信のあった循環器(心臓)に疾患が見付かり、頭(ボケ)の次は心臓かと嫌な感じになった。でも、考えようでは、呼吸器(肺臓)が悪いと苦しまなければならないが、心臓なら最後は楽に逝けるので、寧ろ、喜ばしいことだと思うようにすることにした。
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新しい運転免許証を受け取る - 2019.04.01 Mon

 先に報告したとおり、3月27日に名古屋西警察署で新しい運転免許証を受け取ってきた。これで天下晴れて満80歳まで自動車の運転が可能だということになり、私にとっては嬉しいかぎりである。
 とはいっても、この免許証の更新に際して、私は警察によって「ボケ始め」と認定されている。これにも関わらず、このような判定をした警察が私のような者に向こう3年も運転することを認めて果たして良いものだろうか、自分のことながら甚だ疑問が持たれる。
 ボケ始めているということは、病の軽重を別にすれば、ボケという病にかかっているということだ。警察は、病にかかっていると認定しておきながら、運転することを認めるとは、ボケた私から見ても何だかおかしい気がする。しかし、このように思うのは私がボケているからだろうかと、いらぬ心配もしてしまう。
 もうひとつ、おかしいことがある。
 私の場合、誕生日が2月14日であり、現行法でいえば1ヶ月後の3月14日までが旧免許証の有効期限である。3月27日に新免許証を受け取っていては、この時点で旧免許証の期限は切れているはずだが、私の場合、3月6日に免許証の更新手続きが完了しているため、この間、無免許で運転した訳ではない。ただ、新しい免許証の交付が発行する側の都合で、交付されるのがズレただけである。
 だが、現在では免許証更新ができていないのにかかわらず、免許証の有効期限を警察だけの判断で延長措置が取られている。
 例えば、今般の制度の変更でボケ老人が増加したためか、高齢者講習を受けるのに、3ヶ月、4ヶ月を待つことは当たり前になった。このため、免許証の期限内にこの講習を受けられない人が激増した。これらの人たちは、警察独自の判断で免許証の裏に勝手に期限延長を認めるハンコを押して、免許証の有効期限を勝手に延長している。ちなみに、私の場合、1966年に最初に免許を取得したが、2000年に免許証の更新手続きが1日遅れて、この日に新しく免許証を取得したことになっている。今の法律なら、更新は間に合ったが、当時は誕生日を1日でも経過すれば失効となっていたからだ。
 私の場合と現在とでは、法が異なるので、これも認められると思う人もいるだろうが、法がこのような措置を認めているのは、「止む得ない事由があるときに限る」という具合に限定付きである。
 止む得なき事由とは、免許証の期限にたまたま病気で入院していたり、海外旅行中であったりで更新ができなかったというような特別の場合に限られる。したがって、今般のように、警察が後に起こり得る事態を考慮することなく勝手に法律を作り、上手く法律が運用できなくなれば、勝手に免許証の有効期限を延長して対処するということは、警察、すなわち行政の独断専行だといえ、法治国家にはあってはならないことだと思う。
 ちなみに、病気入院とか、海外旅行など、止む得ない事由がある者は、少なくとも免許証の有効期限が過ぎた免許証は使用されることはない、すなわち、免許証の有効期限が過ぎてからは国内では運転しないことが前提になっていて、初めて認められることだと思う。こうでなければ、無免許での運転を合法化することになるからだ。
 今般措置の恩恵を受けた者は、当然のことながら警察が認めたから運転は可能だとの論法で無免許運転をしていることになる。
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自動車運転免許証の更新ができる - 2019.03.07 Thu

 3月6日、名古屋西警察署にて自動車運転免許証の更新手続きが無事に完了したので、これで80歳までの運転が可能になった。
 私は、最近、富に視力が落ちており、眼鏡を新調して臨んだ。また、左目の視力が、元々、悪いこともあって、通常の検眼のほかに、視野検査を行わなくてはならず、これが心配であった。このため、検眼および視野検査の結果には非常に心配したが、何とか、合格したようである。
 このため、本日の気分は最高に良く、下の写真の魚のように青空に飛び上がりたい気分で、これを多くの人に知らせたいと思い、久しぶりのブログ更新となった。
 今般の免許証の更新は、昨年の10月末から始まっているので、4ヶ月をかけての長丁場であった。この顛末に付いて記述する。
 10月の終わり頃、高齢者に定められたテストを受けるように愛知県警察(火平針運転試験場)から案内があった。
 このテストは、最近、話題になっているボケ老人の無謀運転の排除が目的で、最近、道路交通法の改正によって義務付けられたようである。このテストは、各地自動車学校が下請けで行っている。
 このため、早速、自宅近くの城北自動車学校に架電すると、11月5日が空いているので、この日に来校して欲しい旨、の事であった。
 テスト日に、同自動車学校を訪れると、老人10名内外が集まっていた。
 テスト内容は、第1問が、①氏名、②当日の日付・曜日、③現在の時間を記述させるもの。
 これが終わると、テストの準備として、大型テレビ画面に4種類づつの物品が映し出され、これを覚えるように言われる。このような画面を4回、見せられる。ということは、16種類の物品が映し出されたことになる。
 続いて、第2問のテスト。これは、ランダムに記された0から9の数字がA4版の用紙の裏表にビッシリと書かれていた。係員の指示に従い、最初(表)は2つの数字を消し、続いて、次(裏)は、3つの数字を消すという作業だった。
 第3問は、先ほど、テレビ画面に映し出された物品の名前をノーヒントで書けというものであった。こそ次が映しだされた物品は、このようなものだったというヒントが出され、これに基づいて思い出すのだ。例えば、ヒントの武器というのを読んで、機関銃という答えを思い出すという具合だ。
 第4問は、白紙に時計の文字盤を書かせて、指定された時間を長短の針で著せというものだった。指定された時間は、確か、11時5分だったと記憶している。
 問題は、この4問であったが、点数配分などの説明はなかった。でも、これでボケているか、そうでないかが判定できるらしい。
 ここで、自動車学校の指導員というか、ここの職員2名が我々老人の相手をしたが、両名ともに我々が既にボケた老人であるかのような物言い、態度であった。これには非常に腹が立ったが、ここで怒ってみても始まらないので、バカになりきることにした。
 6日後、11月10日付けで、この結果が郵送されてきた。
 それによると、私はボケているという判定であった。もう少し正確に表現すると、『ボケが始まっている』というものだ。
 総合点が『74点』。内訳が、A15点、B19点、C7点となっていたが、これらを足しても41点しかなく、どのように計算するのかは不詳である。
 ちなみに、76点以上がボケていない、49点以上76点未満はボケが始まっている、49点未満がボケているというものということだった。
 なお、この判定に従って、次の高齢者講習に差異が設けられていた。すなわち、76点以上の健常者が2時間講習で、費用は○○円(不詳)。私のようにボケ始め者は3時間講習で、費用は7950円。最後のランク者については、詳細は不詳ながら、別途、専門医による検査が必要だとのことのようだ。
 このとき、私はボケているとは思ってもいなかったので、人間としての尊厳が傷つけられたと、憤怒の感を禁じえなかった。しかし、時間が経つと、一度、ボケという烙印を押されては、以後は何を言ったとしても、世間からはボケ老人の戯言と相手にされないことは必定であり、何を言っても真意は伝わらず、ボケ老人の汚名を甘受しなくてはならないことに気付く。
 これは、これとして、ボケ老人の講習を受けなくてはならず、先にボケテストを受けた城北自動車学校を架電すると、何と驚くことに、「来年の3月いっぱいは空きがありません。4月以降のことは未だ決まっていないので、4月以降に電話してみてください」というものであった。11月10日前後にかけた予約電話に対しての返答がこれである。
 私の誕生日は2月14日であり、免許の有効期限は3月14日である。4月になってから講習を受けたとしても免許は失効してしまう。これに驚き、すぐさま、他の自動車学校へ架電するが、何処も似たり寄ったりの返事。この中で、中京自動車学校が3月5日なら空いているとの返事をもらい、急ぎ、予約を入れる。
 3月5日がやってきた。
 この日の予約は12時45分からというもので、20分前に庄内川の河川敷にある、この自動車学校を訪れる。
 すると、既に老人3名が講習の始まるのを今や遅しと待っていた。その後、1名がやってきて、今日の講習は、この4名で行うという。これまでとは勝手が違うので、講師に尋ねると、ボケ老人の講習は念入りに行わなければならないため、少人数だとのことだった。
 でも、この講師は、私たちボケ老人を前にしても、ボケだと見下すことはなく、普通人として扱ってくれるので、先の城北自動車学校の講師どもとは違って、気持ちよく講習を受けることができた。
 講習内容は、①自動車運転の実地、②運転をドライブレコーダーに記録、これを元に運転上の注意、③各種視力検査、④昔から行われているビデオ上映であった。
 ちなみに、これらの受講は2名づつが組となって行われ、4名そろって行ったのは最後のビデオ鑑賞のみであった。
 これらを充分に時間をかけ、かつ、たっぷりとした休憩を採り入れて、3時間に時間を引き延ばして行い、講習修了証書を貰って終りであった。
 この講習で、私が得るものは何もなく、何のための講習か、こういう制度を採り入れた意味が理解できなかった。でも、これはボケた私の感想であって、健常者からみれば有意義な講習であったかもしれない。
 翌3月6日、運転免許証の更新手続きを行うため、名古屋西警察署に出向く。
講習が済んだとはいえ、私には視力検査および視野検査という難関が待ち受けており、可否は半々といったところである。
 視力は、2月に眼鏡を新調した効果か、何とか規定の記号を読み取ることができた。前述のように、私は片目であり、視野検査が必要である。これは両眼でも老人になると、150度がやっとという人もあるくらいで、片目で150度は如何に大変かが分かるというものだ。したがって、これをクリアするのが、何時も苦労するが、今度は体調が良かったのか、頭がボケた半面、目がよくなったためかは分からないが、めでたく合格となった。
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