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2018-05

茶臼山高原の芝桜を見学 - 2018.05.23 Wed

 日にちの特定はできないが、先週のことであった。何気なくテレビを見ていると、茶臼山の芝桜が見ごろを迎えたというニュースがテレビで放映されていた。
 芝桜というと、昨年、北海道を周っていて、滝上町と大空町に大きな規模のものがあるということが分かって各現地も訪れており、これらの雄大さは何となく実感している。何となくというのは、このときは時期が遅くて花は咲いていなかったので、この広い斜面に芝桜がいっぱいに咲くとは何と壮観だろうと思い描いただけであるからだ。
 これに限らず、人工の花園には格別の関心はなかったが、この現地を見て、想像は膨らんでいき、1度は見てみたいと漠然と思うようになっていた。これらの芝桜を見るために、今年の北海道行きは5月中の出発にしてもいいなどと考えていたが、今年は自宅マンションの大規模修繕が行われるので、長期にわたる不在は止めて欲しいとのことだったので、この計画は中止を余儀なくされた。
 こんな折、4月15日に室堂に向かって『せせらぎ街道』を走っていると、芝桜の看板を目にして訪れてみると、個人の畑に栽培したとは思えないような立派な規模のものに感心した。
 このような経緯もあって、茶臼山を訪れてみたいと思っていたが、先週は何かと用事はあったし、天気も思ったような芳しいものではなかったので、延び延びになっていた。
 5月20日(日曜日)、恒例の朝の散歩をしていると、雲1つない青空、風も昨日のような強いものではなかったこともあって、茶臼山行きが突如として頭の中を占めるようになる。
 このため、朝食後、直ちに出発する。このとき、時刻は9時頃であった。
 カーナビに茶臼山と入力すると、直ぐに出てきた。これが芝桜の公園へ案内するか否かは分からないが、とにかく、この近くへ行くだろうと思い、これに従うことにした。ちなみに、ここまでの距離は100キロメートル余となっていたので、高速を使うことなく下道を走っても3時間足らずで到着できるので、迷わず、一般道を選択した。
 茶臼山は、名前は聞いたことがあるが、登ったことはない。だいたい、奥三河の山には私たちは1度も足を踏み入れたことはない。したがって、どういう山であるか、まったく理解できなかったが、テレビで宣伝しているくらいだから一般観光客が訪れていることは分かるので、別に事前知識がなくとも大丈夫であろうことは分かる。
 カーナビは、最初は八事から平針街道を指示してきたので、岡崎から豊川へ抜けるのだろうと予想していたら、突如、この道から離れて左折するように命令する。この指示で、どの道を通るかが分からなくなるが、とにかく、指示に従う。すると、国道153号を豊田方面に行くようにとのことだった。これだと、松平から旧・作手村へ出るのだろうか、こうであると狭い山道を通らなければならないので、大変だと思っていると、そうではなかった。豊田市内に入っても、国道153号をそのまま走っていく。この道は稲武へ通じ、飯田へ抜ける。さて、何処からどう行くか、まったく、想像ができなくなってきた。
 これはカーナビが考えることなのでいいのだが、問題は道路が込み始めたことだ。豊田市内はまだしも、足助の入口でも車の列が停まってしまい、今が紅葉の季節かと訝しむほどであった。この渋滞は、足助の街を避けるためのバイパスにまで及ぶが、これを通り越したところ辺りまでくると自然に解消した。
 この道を通るのであれば、私なら瀬戸から藤岡へ抜けて足助の街の出外れで、この国道と合流するのだったと悔やむが、これは後の祭りであった。
 この道を稲武へ向かって走るが、渋滞は断続的に起こる。このため、途中にあった道の駅『どんぐりの里いなぶ』も素通りした。横目で、道の駅を眺めると、駐車場は満杯の様相を呈していて、仮に入ったとしても駐車できるか否かが疑われ、素通りして正解だったと思った。
 ここから道路の混雑は緩和され、普通に走ることが可能になった。
 間もなく、道は愛知県から離れて長野県へと入り、少し不安になってきた。そもそも茶臼山は愛知県の山では標高が最も高い山だという知識があったので、長野県に入ってはいけないのだ。
 こんなことを考えながら走っていると、突如、カーナビが右折を指示してきた。このとき、ここが何処であったかは分からなかったが、あとから地図で確認すると、根羽村の役場近くの信号交差点で、国道から離れて県道(長野)48号に移ったようだ。
 ここを暫らく走り、カーナビの表示が目的地(茶臼山)まで4、5キロメートルの辺りで、前の車が詰まっていて停車を余儀なくされる。このとき、時刻は12時頃で、順調に走っていれば既に到着していた頃である。
 最初の頃は、そのうち、直ぐに動き出すだろうと思っていたが、なかなか走り出そうとはしない。ときどき、動くには動くが、それも距離にすれば2、30メートルに過ぎないので、車に乗っている者にとっては停まっているに等しい状態であった。
 こうなると、先で事故が起こっていることは考えられず、駐車場に入られずに路上で空くのを待っている状態だと思わざるにえなかった。
 これから渋滞が延々と続く。私たちの後ろにはキャンピングカーが2台ほどいたが、これらは諦めUターンして帰っていった。その後、大型の観光バスがやってきたが、これはおとなしく列に並んで延々と待つことになった。こんな大型がUターンするだけの道路幅はなく、前が進むのを待たざるを得なかった。観光バスということを考えると、今後、予定があるだろうにどうするのだろうと、むしろ私たちのほうが心配するほどであった。
 私たちも、キャンピングカーに倣ってUターンしてもいいが、さりとて何処へ行く予定もないので、じっくりと腰を落ち着けて、持久戦を覚悟せざるを得なかった。
 この車の中で用意してあった昼食を済ませたが、他の車の連中はどうしたのだろうか、むしろ、このほうが心配になってくる。それよりもトイレである。私たちは9時に名古屋を出発してから、足助の手前でコンビニに立ち寄り、弁当を購入して以来、ここにくるまで1度も車を止めていないので、トイレは自宅を出発したときにしただけである。私は、食事のあとに物陰で用を足したが、可哀そうなのは姫君である。そう都合よくトイレがあるわけではなく、ジッと我慢していたようである。私の前後の数台でも車から降りた人には気付かなかったので、皆、辛抱したようだ。
 ようやく売木峠の三叉路にやってきた。ここから右折すれば茶臼山の駐車場までは2キロメートルくらいであるが、芝桜祭りの期間中は、一方通行になっていて入っていくことはできない。ではどうするかというと、左折して売木峠から大回りして行くようになっている。ここまでくれば、あと暫らくの辛抱だと思ったが、遅々として進まない。
 そのうち、それまで綺麗に晴れていた空は、何時の間にか黒い雲に覆われてきていて、写真撮影のコンディションは急速に悪化してきた。これでは茶臼山に到着したとしても、いい条件での写真撮影はできないことが分かってくると諦める踏ん切りも付いきて、芝桜見物は明日にスライドさせることに決める。
 そこで近くの道の駅を調べてみると、『つぐ高原グリーンパーク』が11キロメートル、『信州新野千石平』が14キロメートルなっていた。前者へ行く直接の道路はなく、11キロメートルというのは直線距離かもしれないということを考えると、後者が無難だという結論に達した。
 こうと決まれば、15時少し前、列からUターンをして、急きょ決めた今宵の宿に向かう。
 この道の駅は、地場産物品の販売所はあったが、食材や酒類は何も置いてはなかった。このため、今夜と明日の朝の2食分の食料調達の必要性に迫られた。売店で訊くと、15キロメートルくらい離れた隣町へ行かなければないとのことであった。時間は充分あるので、ここまで買物に行くことになった。北海道では15キロメートルというと、ほんの直ぐ近くという感じであったが、本州の15キロメートルという距離は、これとは違って随分と遠く感じる。なにしろ、通ったトンネルや覆道を合わせると5つとか6つも通らなければならなかった。
2018_05_23 萩太郎山公図a
 5月21日(月曜日)、明るくなってから目覚める。時計を見ると、5時過ぎであった。
 とにかく、茶臼山の駐車場に行って様子を見てみることにする。必要最小限の身支度を整えて、直ちに、昨日やってきた道をそのまま逆に走って売木峠に向かう。昨日、Uターンした場所から駐車場までどれくらいあるだろうと思ったら、グルッと回り込んで行かにければならず、昨日、あのまま待っていれば1時間以上がかかることは必定で、諦めて正解だった。
 この道を前進して行くと、頭上をリフトが通っている場所から幾らも離れていないところに、第2駐車場があった。ここから入った下の方にももう1つの駐車場、第1駐車場が設けられていた。両方を合わせると150台程度は駐車可能だと思われる。でも、昨日の人出では、この程度ではオーバーフローするため、あのようなことになった模様だ。
 ここに到着すると、既に、2台が駐車場の空くのを待っていた。このとき、まだ、6時頃であったのに、この状態であった。
 8時開門までには、まだ時間があるので、この間を利用して、人から聞いたり、自分の目で確かめたりして知り得た知識は次の通りであった。
 この駐車場を挟んで南北に2つの山がある。北のほうが標高1415メートルの茶臼山、南の方が同1358メートルの萩太郎山である。そして、芝桜公園があるのは萩太郎山のほうである。
 茶臼山には網の目のような遊歩道が設けられているが、リフトの設置はない。一方、萩太郎山のほうは、元々、スキー場として発足しているだけにリフトが設置してある。大半の客はリフトを使って萩太郎山へ登るが、別にリフトを使わなくとも、駐車場の標高は1200メートルで、標高差は160メートルに過ぎず、距離も890メートルということから駐車場から歩いて登る人もいる。
 さて、私たちはリフトにしようか、歩こうかと逡巡していると、姫君が「リフト代がもったいないわ」と、歩くことを貧乏人家庭の大蔵大臣は強硬に主張する。結局、私は彼女の意向に逆らうことはできなかった。
 ここの駐車場のガードマンは、職務に忠実であった。ずっと並んでいる車列を見ても、何ら動揺することなく、定刻の8時になるまで動こうとはしなかった。
 8時になると、駐車場の入場が始まるが、並んでいた大半の車は下にある第1駐車場へ降りていった。第1駐車場の近くにリフト乗り場があるので、リフト利用者は第1駐車場に車を停めるようだ。
 それでも、第2駐車場に停められた車も、私も含めて4、5台はあった。
 こうして、ミニ登山が開始とされた。
 ゲレンデの片隅には、コンクリート舗装された車道が設けられていて、登山者は、この道路を利用して登っていくのだが、車が登ることが可能な勾配である。人が歩くには何の問題もなく、それほど時間がかからないうちに頂上に到着してしまう。
 ここにはリフト2本が下から人を上げるようになっているが、本日は人が少ないためか、1台が稼働していたのみであった。
 ここに芝桜畑があったが、これを見た第一印象が「なんだ、こんな程度か」というものであった。その狭い畑の4分の1程度は既に枯れていて、鑑賞に耐えられるものではなかった。テレビがいう、「今が見ごろ」というのは嘘であった。小規模なうえに、見頃を過ぎた花では如何ともし難く、早々に興味は消え去っていった。
 昨年、花のない東藻琴(大空町=網走の隣)の芝桜公園の規模は、8ヘクタールとも10ヘクタールとも言われていた。一方、ここ、茶臼山の規模はというと22000平方メートルとのことだ。両方の単位をそろえれば、前者が8ヘクタールに対して後者は2.2ヘクタールで、そもそも北海道の4分の1の規模しかない。これでは喧嘩にならない。
 それよりも、何故、この程度の芝桜に昨日のような多くの人が押し掛けるのか、理解に苦しむ。昨日の客の殆どが、私たちと同じように何も知らないできて、4時間も、5時間も順番待ちをしたものと思われる。
2018_05_23 芝桜

コグルミ谷を歩く - 2018.05.18 Fri

 今年の最初の山行きは3月14日の孫太尾根(藤原岳山域)であった。
 このとき、途中の丸山が最終目的地であったが、無残にも目的を果たすことはできなかった。この目的地まで到達できなかったということは、私にとっては大きな出来事、ショッキングなことであった。
 これがトラウマになったのか、次からの山行きには二の足を踏むことになり、折角の花のシーズンはドンドンと過ぎ去っていった。
 それでも、どうしても見てみたい花があり、5月15日に重い腰を上げて鈴鹿に出掛けることになった。
 目的の花は、クマガイソウである。この花は、早いときにはゴールデンウィークの頃から咲き始めるので、10日も遅い今では遅いかもしれない。特に、今年は花の咲く時期が早いこともあり、この公算が大である。
 10時頃、御池岳のコグルミ谷登山口に到着する。以前、この近くには10台から20台くらいは停められる駐車場が少し離れた場所にあったが、数年前から閉鎖され、現在では登山口の近くに駐車場はない。このため、道路脇に停めざるを得なかった。
 ちなみに、この道路、国道306号は三重県から滋賀県へと通じているが、現在、登山口の先にある鞍掛峠を抜ける鞍掛トンネルが閉鎖中で、行止まりになっている。このため、この道路の通行料は少なく、路上駐車していても特に邪魔だということもない。
2018_05_16 御池岳a
 昔は、谷の左岸側から入る登山道が付いていたが、数年前の大水被害後、右岸側からに変更されていて、ほんの少し谷を遡って左岸に移るようになっている。この登山道を歩いていて、勾配のキツさが足に伝わり、やはり山歩きの大変さを実感しながらの出発であった。同道の姫君も同じような感覚だったようで、重そうに足を動かすスピードもなかなか上がらなかった。
 こうして歩いていると、後の姫君から声がかかった。「ヤマブキソウが咲いているわよ」と。「どれ、どれ」と戻ると、視線のやや上の方に4、5輪がまとまって咲いていた。私は下を向いて必死に歩いていて気付かなかった。普通なら、写真を撮るだろうが、今、足を止めてはあとにツケが回るだけだからと思い、これは帰り道で写すことにして、そのまま進んで行く。
 この左岸側の道路を登り上がると、今度は右岸に渡ることになる。ここには水は殆ど流れておらず、また、谷の幅も狭いので右岸に渡った感覚はない。ここにガマが住み着いているようで、何時も姿は見せないが鳴き声だけは聞こえてきていた。この鳴声は何時も通りに聞こえていて、これを聞くと懐かしい場所に戻ってきたことが実感できた。
 ここにはコグルミ谷右岸尾根が降りてきていて、これを登り上がっていけば天ヶ平(通称:カタクリ峠)に到達するが、今になってはここの斜面は登り上がることはできないだろうと2人で話し合いながら歩みを進める。
 右岸側にいたのは、ごく僅かの距離だけで、再び、左岸に渡り返す。なお、この登山道は『長命水』(水場)までは左岸側を通ることを基本としており、右岸側に渡るのは臨時的措置である。
 ここからは谷の岸辺を構成する岩場を縫うように進むことになるので、これまで以上に気を使うようになる。今になっては、足も思うように動かないので、躓きでもしたら大ごとになる懸念は大であり、これが分かっているだけに余計に気を使うことになる。
 これとともにもう1つ、気を使わなければならない。それはイチリンソウの群落を探すことだ。
 実は、昨年、ここを歩いていると、岩陰にチラッと白いものが見えていた。何だろうと思い、その岩陰にワザワザと立ち寄ってみると、何と、そこには7、8輪か、いや、10輪ほどだったかは判然としないが、イチリンソウがまとまって咲いているのに遭遇した。イチリンソウといえば、1輪、2輪が咲いているのを見れば、大喜びするのが普通で、これがまとまって咲いているのを見ることは稀である。このとき、もちろん、写真撮影したが、咲く場所が写真撮影に芳しいものではなく、また、このとき、マクロレンズで撮影したことが裏目に出て、上手く撮影できなかった。この失敗を補いたいという思いがあったためである。
 条件の合いそうに場面がくると、岩陰を覗くが、イチリンソウはもとより、何の花も見付けることはできなかった。
 こうして歩いていくと、4、5名が降りてくるのに出会った。この時間で下山してくるとは、考えられるのは頂上目的の登山者ではなく、花目的の集団だと見当を付けて尋ねてみると、正解であった。彼らの言によると、クマガイソウは咲いているには咲いていたが、もう、元気のないものだったとのことだった。でも、咲いていることが分かれば、イチリンソウのようなことはないので、まだマシである。
 クマガイソウの自生地に来たので、その方向に足を向けると、何と、既に踏跡が確立しており、少し注意を払えば自然にそこへ案内してくれる。また、これまでのような体力も使わなくてもよく、楽をして目的地まで行くことができた。
 だが、肝心の花は、元気がないどころではなかった。半分近くが、茶色に変色しかけていた、要するに枯れかけていたのだ。このため、ここの小群落を撮影することはできなかったが、被写体になり得るものも少しは残っていたので、これで満足することにした。でも、何だか物足らなさが残り、消化不良気味の感覚は否めなかった。
 11時40分頃、長命水に到着した。本日の予定到達地点はここまでだったので、ここでザックを降ろして休憩、少し早いが用意してきたパン1つを食べ、小腹の足しにする。
 先ほどのクマガイソウが盛りを過ぎていて満足感からはほど遠かったこともあって、ここの近くにあるもう1つの自生地に行ってみることを妻に提案する。彼女も、これに異議を挟まなかったので、直ちにザックを担ぎあげて、ここへ行ってみることにした。
 ここを知った最初の頃は、よく出掛けていたが、足場が悪くて行くまでに大変な思いをしなくてはならないのに対して、見られるクマガイソウはパラパラッとしたものであるので、何時しか行くこともなくなっていた。このときも、前が堪能できていれば、行こうとはしなかったのだが、不満足だったこともあって、このような成り行きになったと思われる。
 苦労して辿り着いてみれば、葉っぱ1枚もないという状態で、まったくの空振りに終わった。
 ないものに未練がましくしていても始まらないので、これまで谷伝いに登ってきたのを、今度は尾根伝いで降っていき、長命水に戻る予定であったが、姫君が「こんな急な尾根は降りられない」と異議を唱える。これまで何回も登り降りしているので、特にどうということはない勾配であるが、妻は手術後には特に弱気になっているので、このように感じるのだろう。
 そこで、妻の提案の「この尾根を登っていくと、登山道に交わるので、この登山道で降りよう」の意見を取り入れることになる。
 そして、そのまま尾根を登り上がっていく。この急な尾根を登り上がっていくと、少し角度が弱まった所で、右手から天ヶ平に通じる登山道が見えてくるのだが、この場所にやってきても登山道がない。真っ直ぐ登り上がってきただけであるので、道を間違える、いや道をない所を歩いてきたのでルートを間違えるといったほうが適切かは別にして、間違えることはない。
 登山道がきているはずの右手には深い谷が口を空けており、登山道が崩落したらしいことは何となく分かったが、それにしてもこちら側の登山道が残っていなければならないのに、踏跡の『ふ』の痕跡もない。
 これでは右手の谷へ降りて渡って道を探すよりは、この登っていき、天ヶ平へ行き、ここから登山道を辿ったほうが賢明だと2人の考えは一致、また、急斜面を登り始める。
 急斜面をこなすと、次にこれまでよりは緩やかな斜面となり、こうなると先のほうの見通しが良くなる。すると、先行する姫君の「看板があったわよ」という喜びの報告があった。この頃になると、道としての痕跡はなくなっているが、確か、以前に歩いていた所だという記憶も徐々に蘇ってきた。
 しかし、水害によってコグルミ谷登山道が崩落して何年が経過したのであろうか。4年だろうか、5年だろうか。このとき、ここも登山道が崩れて新しい道が、従前とは異なった場所に敷設されての結果であろうが、これまで何十年も歩いた古い登山道が痕跡もなく消え去ることがあり得るだろうかと、むしろこの方が不思議に思えてきた。
 12時40分頃、天ヶ平に到着した。
 なお、天ヶ平というのは昔からの名称であったが、この当たりの笹原にカタクリが一面に咲きそろうので、ここをカタクリ峠と呼ばれるようになった。現在では本来の名前である天ヶ平は死語になり、カタクリ峠のほうが著名になったようで、現在、天ヶ平の表示、看板はなくなっていた。
 ここで5分か、10分くらい休憩後、新しい登山道で下山を開始した。
 従来の登山道と新しい登山道とは10メートルも離れていなかったが、ルートは大きく異なっていた。これまでのような直登ぎみの道ではなく、大きくジグザグに切られた登山者に優しい道が造られていると思っていると、道は何時しか尾根を直接に降りるようになると、段差の大きな階段が現れ、私たちのような老人にはキツイ道となってきた。
 こうしてコグルミ谷に近付くと、尾根を降りて従来の登山道に合流、長命水に至っていた。
 新旧の登山道を比べてみると、旧道は炭焼きなどによって歩かれた道で、急な尾根を避けてトラバースギみに作られていたのに対して、新道は登山者好みの尾根を忠実に辿る道という違いがみられた。
 長命水以降は、往路を忠実に辿り、14時頃、コグルミ谷登山口に帰着している。
2018_05_16 ヤマブキソウ

臥竜桜を見物 - 2018.05.17 Thu

 4月20日、室堂から高原バス及びケーブルカーを乗り継いで、立山駅に帰ってきた。
 久しぶりに午前中を通して歩いたので、疲労はピークに達し、何もやりたくない心境であった。このため、この後に予定していた称名ノ滝見物も省略、長野方面に回ることも同様に割愛、直ちに帰ることにした。
 ルートは、往路をそのままに高山まで行き、ここからは往路のせせらぎ街道ではなく、国道41号を走ることにした。
 この道を走っていて、このルートなら臥龍桜があるが、どうなっているだろうと気になり始め、姫君にこのことを話すと、「明日、立ち寄ってみては……」との返事であった。
 高山の出外れで、この桜の看板を見たが、立ち寄るという気力は残ってはおらず、そのまま通り過ぎて道の駅『飛騨街道なぎさ』に急いだ。
 この道の駅で一夜を過ごし、21日の朝を迎える。
 前日、道の駅で臥龍桜の開花状況を尋ねると、「2、3日前に満開と言っていました」との答えだったので、時期としてはドンピシャだといってもよく、最高の桜見物が可能で、あとは天気次第であった。
 この朝の天気は、うまい具合に晴れ。桜見物には最高のシチュエーションであり、何から何までうまく運んでいることに感謝していた。
 ただし、ここから臥龍桜(高山市一之宮町)まで、ここの道の駅から16、7キロメートルも戻らねばならないことが唯一の難点であった。でも、昨日には、ここへ立ち寄るという気力は残っていなかったので、いたしかたないことではあった。
 途中に宮峠という大きな峠越えがあるのが難ではあるが、昨夜、グッスリと寝て、疲労は撮れているので、この峠越えもさほどのものではなかった。
 満開情報は既に得ているので、ここへ近付いても『どうだろう』といった余分の心配はせずに駐車場に乗り入れた。
 臥龍桜というのは、エドヒガンザクラの古木(推定樹齢1100年)で、その高さは20メートル、枝張りが38メートルという大木である。なお、名前は、竜が寝た(臥した)姿からの命名だといわれている。
 この桜見物を終わると、あとは帰るだけ。国道41号を忠実に辿り、12時頃、自宅に帰り着いた。
2018_04_21 臥龍桜

室堂を散策 - 2018.05.08 Tue

 4月19日は、翌日の1番のケーブルカーに乗るため、駅前の無料駐車場に車を停めて車中泊をする。ちなみに、立山駅周辺には6ヶ所の無料駐車場が、常時、使用が可能で、ここに900台の車を停められる。この他に混雑時を想定して600台の臨時駐車場があるので、駅から遠くなることを厭わなければ、お盆などの最盛期でもたいていは停められる。また、これら駐車場は臨時を含めて何れもが無料で使用することができ、私たちにとってはありがたい。
 観光シーズンは、立山黒部アルペンルートの開通を待って始まる。
 4月15日がこの開通日に当たり、まだ、シーズンは始まったばかりである。このため、観光客が多いとはいえ、まだ、登山客は少ないこともあって、私たちは駅に最も近い駐車場に停めることができた。ここは、斜面の上段と下段に分かれてはいるが、これらを合わせると280台の収容が可能という大きさである。
 夜中、便所に行った姫君が、「星が出ていないわよ」と、不安げな声で知らせてきた。この直前に私も小用のために車の外に出たが、このことには気付かなかった。天気予報は、19日も、20日も真っ赤な御日様マークだったので、私は天気が悪いということは、まったく考えてもおらず、当然のことながら上を見るということはしておらず、星の有無は気付いていなかった。
 このとき、明日、天気が悪いと、折角、この日を選んで来たのに困ったことだと、一瞬、思ったが、天気予報を信ずる気持ちのほうが勝り、この困ったとの思いはそれほど強いものではなく、直ぐに寝入ってしまった。
 翌朝、5時過ぎに目覚める。
 真っ先に空を見るが、灰色の雲が全天を覆っていて、天気予報とは裏腹なものであった。『これは困ったことになった』との思いはあったが、『ここは立山、室堂では天気だろう』と楽観的に考え、そのまま朝食を摂り、出発に備える。
 始発のケーブルカーは、6時40分である。これに乗るため、6時過ぎに駅に行くと、既に切符売場には長蛇の列ができていて、結局、6時50分の臨時便に乗ることになった。
 この日は金曜日で平日だ。にもかかわらず、この人出があるとは信じ難いことであった。後になって分かったことだが、ここへは中国からの観光客が大挙して押しかけてきているのが、この混雑の主因となっているようだった。立山駅ではそれほどでもなく、このことには気付かなかったが、室堂の駅舎内では中国語の大きな声が乱れ飛び、これに反して日本語の声は殆ど聞こえず、私たちが異国へ紛れ込んだかのような錯覚を覚えるほどであった。
 このように、立山から室堂へ行くには、最初は立山から美女平までケーブルカーで登り、ここからは立山高原バスで室堂までというルートが通常である。
 ケーブルカーは、標高差502メートル、水平距離1300m弱で、これを7分内外で運行している。ちなみに、営業開始は1954年である。
 高原バスは、標高977メートルの美女平から標高2450メートルの室堂までの標高差1473メートルを、23キロメートルの距離(営業)で乗客を運んでいる。ちなみに、この区間の全線開通は1964年である。
 こうしてみると、立山から室堂までが結ばれたのは、54年も昔の話である。
 この当時では、バスといっても力の弱いエンジンで、立山から美女平までを一気に上がることはできなかったため、この間をケーブルカーで繋いだが、現在のバスなら、この程度を登ることは難でもないことである。このため、現在なら立山、室堂間をバスで結ぶことは可能だが、ケーブルカーの会社を存続させるために昔ながらにケーブルカーとバスを乗り継ぐ形を採っている。ちなみに、以前、私たちがお盆の期間にここを訪れたとき、あまりの混雑で、ケーブルカーでは人を捌けず、このときには立山から室堂まで、直接、バスで運ばれたことがある。
 閑話休題。8時過ぎに室堂に到着した。期待していた天気は立山と変わることなく、どんよりとした雲に覆われていて、思惑通り、室堂では晴れとはならなかった。
 ここへきた一番の目的は、ここの道路の除雪時に出た雪を道路脇に積み上げてできた『雪の大谷』の見物である。この時期に以前にきたときは、雷鳥平にテントを張り、ここを拠点に立山三山や奥大日岳など、周辺の山へ登ることが目的だった。このため、当時もこの『雪の大谷』は観光の目玉ではあったが、私たちに関心も、興味もなく、立ち寄っては見たが、『あぁ、これがそうか』と一瞥、1、2枚の写真を撮っただけでキャンプ地へと急いだ。
 だが、山登り、山歩きが無理になった現在では、山へ登ることにはまったく興味はなく、この『雪の大谷』の観光が主目的になっている。
 このため、到着してバスから降りると直ぐに、この道路を反対のほう、今ハズが走ってきたほうへ戻ろうとすると、係員に止められた。
 以前は勝手に歩いていたが、今は9時30分にならないと歩くことはできないとのことだった。
 天気が思わしいものではなく、今、歩いても青空のもとの雪の大壁という思い描いていた景色にならないことから、素直に駅員の言葉に従う。
 この見物が駄目なら次にやりたいと思っていたライチョウ探しに予定を変更する。
 以前、ここを訪れたときに、みくりヶ池から同温泉への坂を登っていると、そこへ真っ白な冬毛のライチョウが現れたことが忘れられず、このときの再現を狙った訳だ。
 ライチョウには数えきれないくらいに出合っているが、その大半が夏毛のウズラのような茶色の縞模様のばかりで、真っ白なものはここ、みくりヶ池のものと、剱御前小屋の近くで見たものと限られている。
 こんな事情があって、折角、雪の季節にきたのだから、ぜひとも見てみたいと思っていた。だが、これは自然界の生物のことだけに、こちらの思いがそのまま通じることはないだろうことは分かるので、期待は半分といったところであった。
 駅舎の外に出ると、風もあって、結構、寒いし、足元の雪が凍ってカチカチになっているので歩き難い。
 そういえば、以前、ゴールデンウィークの休日に、ここへきたときは、冬用のヤッケ、重登山靴にアイゼンという姿できている。今般も時期は同じであり、当然、当時のような服装、持ち物でくることも考えたが、私たちも今は観光客である。これほどの重装備は必要ないのではということで、姫君との相談がまとまった。
 結果、普段着の上にカッパの上下を付け、靴は軽登山靴、予備のために6本歯の軽アイゼンを持っていくということになった。
 このため、アイゼンを付けることも考えたが、そのうちに雪も緩むだろうから、わざわざアイゼンを付けることもなかろうということになり、そのままでみくりヶ池へ向かって歩き始める。
 当然のことながら、みくりヶ池は雪の下に埋まっていて、ここに池があることを知らないと何であるか分からない状態であった。だが、ここから始まる緩やかな登り勾配の坂だけは当時のままである。
 とはいえ、当時の天気は悪く、真っ暗だといっても大袈裟な表現とはいえない。このときに比べれば、今は天気が悪いといっても、まだマシである。当時、雷鳥平のテント場でテントを張っていると、急速に天気が回復、太陽が顔を覗かすと暑いくらいになってきた。このとき、脱いで雪の上に置いてあった姫君のヤッケから煙が出てきたくらいである。この現象が何によるものだかは分からずじまいであるが、このときは大変に驚いたことは、今になっても忘れない。このことを思い出すと、本日も当時のように急速に天気が回復、青空が顔を出してくれるのではないかと、希望的観測も含めて思ってもみる。
 この坂を上って、みくりが池温泉の方へいくが、ライチョウが姿を現すことはなかった。もちろん、このことのほうが予想通りである。
 このみくりが池温泉の裏手が、地獄谷を見下ろす形の展望台、エンマ台になっている。地獄谷は、温泉ならびに噴気を出していて、今なお、活発に火山活動をしていることが窺える。
 臭いはそれほど強い訳ではないが、それでも風向きによっては咳が出て止まらなくなり、鼻あるいは喉の粘膜を刺激する有害物質を排出しているものと思われる。
 この頃になると、西側のほうの雲が取れかかってくる。そうすると、このエンマ台から北西の方向にある奥大日岳の上のほうが真っ先に顔を覗かせてきた。
 この山にも登ったが、大きな雪庇に驚いたり、この先の中大日岳に行こうとするが、奥大日岳の頂上直下の斜面をトラバースしなくてはならず、これが怖くて諦めたことなど、思い出は尽きない。
 だが、肝心の立山(雄山、大汝山、富士の折立)には厚い雲が張り付いていて、なかなか姿を現さない。
2018_04_20 ライチョウ
 こんな折、ここにいたカメラマンが下のほうにレンズを向けて何かを写していた。雪がなければ花であろうが、今では花は無理な相談である。ということは、ライチョウかと瞬間的に閃き、彼のレンズの先に注意を払うが、何処にいるのか分からない。妻に尋ねると、「いるじゃぁない。ハイマツの向こうよ」と教えてくれるが、私には分からない。そのうちにライチョウが少し動いてくれ、私にも姿を捕えることができた。
 こうして、あまりにも都合よく現れてくれたライチョウに感謝しつつ、カメラのファインダーを覗き込んでいた。このライチョウはあまり派手に動きはせずにいてくれたので、飽きるほどに写真を撮ることができた。
 こうして、このライチョウを撮ることに飽きて、後ろを振り返ると、何と、立山の雲が取れ始めていた。だが、反対側の奥大日岳のように綺麗には撮れず、また、薄いガスもかかっているのか、なかなかむスッキリした姿を見せなかった。それでも、これはこれでまた異なった雰囲気があり、何枚もシャッターを押したが、結果的には思ったような写真は撮れなかった。
 こうして遊んでいて、ふと時計を見ると、10時近かった。
 9時30分から『雪の大谷』の歩行者解放が始まるので、駅舎に戻る。
 駅舎に戻ると、駅舎内は人でごった返していた。そして聞こえてくる話声は中国語ばかり、日本語は殆ど聞こえてこず、ここは日本ではないような雰囲気だった。
 こんな人たちをかき分けて、バスの発着所に出ると、ここでも大勢の人たちがゾロゾロと歩いていた。ここの人たちも中国人が多いようで、聞こえてくる言葉は中国語ばかりである。とはいっても、日本人もいるにはいるようだが、何しろ中国人は大声で話すのに対して、日本人の言葉は小さい声で遠慮気味であるので、存在感は彼らに対して太刀打ちできない。室堂は中国に占領された趣だった。
 今年の『雪の大谷』の最大の場所は高さ17メートルとのことで、この最高点まで人が散策できるように、道路の中央にロープを張って、片方がバス用、もう一方が歩道として、人と車を区分けしてある。
私たちが、以前、きたときには、このようなロープはなく、登山者および観光客は思い思いに車を避けて見物していたが、何時の頃からか、このように区分けするようになったようである。
この時刻になると、天気は完全に回復したので、青空のもとで雪の大壁を見るという望みは達成されたが、足元の雪はなくなり、アスファルトの上に雪が積み上がっているだけであり、思い描いていたシチュエーションではなく、少しガッカリとした。前回、私の記憶では道路にも多少の雪が残っていた記憶であるが、姫君は今と同じアスファルトが顔を覗かせていたという。どちらが正しいか……、何時もの例からすると私のほうが分が悪そうである。
 先ほど、みくりヶ池から駅舎へ戻ってきたとき、駅舎入口の横手に『ミニ雪の大谷』が造られていて、こちらのほうは道路面にも雪が残っていたことを思い出し、こちらも散策、写真撮影をすることを思い付き、姫君に提案すると彼女も素直に受け入れた。
 このミニ雪の大谷が何のために作られたのかは不詳だが、規模は幅が本物よりも3分の1程度、雪壁の高さは10メートル以上はありそうである。加えて、道路上というか、歩く部分にも厚い雪が残っていて、こちらの方が本物よりも雰囲気がいい。
 これで充分に満足して、駅舎に戻ると12時を過ぎていた。
 駅舎内は相変わらず中国語が飛び交い、ごった返しており、早く出たいが、腹ごしらえしないことにはと思い、食堂を探す。真っ先に目に付いたのは立ち食いの蕎麦屋。ここでも3、4人が並んでいたので、食券を買って列の後に並ぶ。
 こうなれば私も中国人になり済まそうと思うが、生憎、私の知っている中国語は『ニーハオ』と『シェーシェー』の2言のみ。そこで、食券を受け取りに来た店員に『ニーハオ』といって食券を手渡し、食べ終わってから『シェーシェー』と言って謝意を表した。大忙しの店内でもあり、私に注意を払っていたとは考えられず、にわか中国人が通用したか、否かは何とも判断に苦しむところだ。
 このとき、13時頃で時間はたっぷりとあり、雄山の登山口手ある一の越のほうへ散策の足を伸ばすことも考えたが、ここに到着してから5時間近くが経過していて疲れを感じる。これは姫君も同様であったようで、2人から「帰ろうか」と、殆ど同時に口を突いて出ていた。
 さて、帰るつもりになったのはいいが、駅舎内は相変わらずごった返していて、美女平行きのバス乗場が分からなない状態であった。ちょうど居合わせた警備員に「美女平」というと、彼は私たちが中国人だと思ったのか、親切に乗場の列まで案内してくれた。彼の勘違いに便乗した私も、「シェーシェー」と礼をいっておいた。
 こうして13時発のバスに乗ることができ、往路とは逆に美女平から立山駅へと各乗物を乗り継いで、立山駅に14時過ぎに帰ってきた。
 2018_04_20 雪の大谷

室堂に向かって - 2018.04.23 Mon

 4月15日、立山黒部アルペンルートの雪掻きが終わって全線開通。これで室堂までは、何時でも気軽に行くことができるようになった。
 室堂は、これまで何回も訪れていて、特にどうこう言う場所ではないが、これまでは登山を目的に訪れたので、ここは通過点に過ぎないこともあってユックリと遊んだことはない。でも、山へは行けなくなった現在では、公共交通機関で行けるここは魅力ある場所となっている。
 ここには、まず、『雪の大谷』と名付けられた観光地がある。観光地といっても、通年で楽しめるものではなく、ここへ通じる道路の開通直後の1ヶ月くらいだけの限定された観光地である。
 立山から室堂まではバスが通じているが、何分にも雪深い山岳地帯だけに積雪時期には当然のことながら何メートルもの雪に覆われるために道路は閉鎖される。
 ここの雪解けは、積雪量が多いので早くとも6月か、7月の声を聞かないことには、そうはならない。そこで春になると、人の手によって雪掻きをして道路を開通させることが、何時のことからかは分からないが始まったようである。
この雪掻きによって、道路の両脇には新たに雪の壁ができ、これが高い場所では20メートルにも達することがあって、これが観光資源の1つになっている。ちなみに、始発の美女平から室堂に至る23キロメートルの区間の雪が切り開かれるので、まるでこの道が川のように見え、一番、雪の深い室堂では水深(?)が20メートルにも達し、これを大きい谷に見立てて『雪の大谷』と呼ばれるようになったらしい。
 私たちが、この季節にここを訪れたのは、2001年5月3日から6日だったので、今から17年も前のことである。この頃は、前に述べたように登山が主目的だったので、この雪の大谷を目にしても格別の感動を覚えることもなく、1、2枚の写真を撮っただけで、いそいそと目的地である雷鳥平のキャンプ場へ向かっている。
 こんな具合であったので、もう一度、雪の大谷の感触を味わいたいと思い、今年の開通以来、そのチャンスを窺っていた。
天気予報は、5月19日から4日間ばかりは晴天が見込まれるとのことで、この期間に決行することにした。だが、18日はちょっとした用事が入っていたし、できれば混雑する土日は避けたいという思いがあって、この4日の内、必然的に20日(金曜日)に決定せざるを得ないという事情があった。
 このため、19日に自宅を出発することになった。
 カーナビに目的地を入れると、岐阜(市)の方へ案内を始めるので、白川郷を通って富山県に入るのだと思い、そのまま車を出発させた。これが、9時53分のことだった。
 国道22号で岐阜へ入って、金華山の下を通り抜けるトンネルを通り、国道156号に移り、これを北上する。
 道の駅美並でトイレ休憩に立ち寄ると、このとき11時30分過ぎだったので、ここで少し早目の昼食を摂り、12時過ぎに、出発する。
 郡上までは予定どおり走ることができたが、ここでカーナビは私が思い描いていた白川郷へは行かず、せせらぎ街道へ入るように指示してきた。せせらぎ街道から高山へとなると、この後、高山から白川郷へ行くとなると遠回りになるし、そもそも高山へ行くならば、何も岐阜から回らなくても、何時も走っているように国道41号を走ればよいのに……と、疑心暗鬼に陥れながらもカーナビに従う。
 この道は、秋に走る分には紅葉の美しいが、春の今では木々の葉っぱは総て落ちて、情緒に欠ける枯木の林の中を走る風情のなさで、何も好き好んで走るような道ではない。
 こんなことを思いながら走っていると、助手席の妻から、「芝桜が咲いているらしいわよ」と私が見落した道路脇の看板の意味を教えてくれた。
 こんな面白味のない道を走っているだけでは物足らないので、立ち寄っていこうと発作的に思い、次の看板のところから国道を離れた。
 山道を5、6分くらい走っただろうか、もう少し短かったかもしれないが、やがて目の前に芝桜のピンクの絨毯が見えてきた。
 この畑の出外れに、7、8台の収容可能な駐車場があって、ちょうど、私が停める1台分が空いていたので、ここへ車を乗り入れる。
 この芝桜畑は、ここの農家の先代女性が1株の芝桜を取ってきて、移植。これが次第に増えて現在のものになったらしい。この女性、既に死亡しているらしいが、この子孫が女性の意志を引き継いで公開しているらしい。
 このような経緯の花畑であり、規模はそれほど大きい訳ではないが、山里の花園としては立派なものといっても過言ではない。
この芝桜の存在は、ここにくるまでまったく知らず、儲けものをした気分であった。
 なお、この旅を終え、21日に自宅に帰って、その日の新聞を見ると、この『國田家の芝桜』が1面で紹介してあった。こうしてみると、この芝桜も広く知られたものらしいことが分かった。
 こうして20分ばかり、この芝桜の見学を終えて、再び、車を走らせていると、今度はカタクリの群生地の看板が目に飛び込んできた。一瞬、ここへも立ち寄っていこうかと思ったが、このとき、14時は過ぎていたので、これは省略して先を急いだ。
 高山の手前で建設中の高速道路に1区間だけ、乗ったが、直ぐに降りて国道41号に出た。これで、この国道をまっすぐ走って富山に入ってから、立山へ向かうのだと理解できた。だが、途中、古川の辺りでカーナビは左折を指示してきた。この道を左折すると天生(あもう)峠から白川郷へ出る道だったので、このカーナビの意図は今になっても分からない。
この道を走っていて、以前、折立(薬師岳登山口)から双六岳方面を縦走したときに走っていることを思い出したが、このときは夜中の走行だったので辺りの様子はまったく記憶になく、初めての道を走っている感覚であった。
 富山に入って初めての道の駅細入でトイレ休憩をはさみ、16時28分に立山駅前の駐車場に到着した。ちなみに、走行距離は、212キロメートルであった。
 本日、走った道は田舎道が多かったこともあって、道脇にスーパーとかコンビニは前半に数えるほどしかなく、夕食、朝食の準備はしていなかった。立山駅ならコンビニくらいはあると思っていたが、これは外れであった。人手の多い割には何もない町で、売店は駅の中の土産物店だけであった。
 なお、この売店は価格の高いことには驚いた。なにしろ、あんパン1個が160円とか、170円ほどの定価が付いていた。
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