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2018-10

写真展開催 - 2018.10.01 Mon

 長い間、ブログの更新を怠っておりました。別に、病気をしたとか、何かが起こったというわけではないが、体力の衰えは著しく山へ行く気力はなく、ただ、怠惰に日々を過ごしているだけという生活でありました。
 これではならじと、過去の写真を整理していると、姫君がお写しになったものの中には、なかなかどうして素晴らしいものが、多数、散見されました。
 今年の年初に、私の作品『北海道の生き物』をニコンプラザで発表したことを思い出し、ニコンに持ち込んだところ、採りあげてもらえることになりました。
 この結果、10月1日から10日の間(ただし、7、8日は休館)、『北海道ベストショット 2017・夏』を発表することになりました。
 栄方面へお出かけの際には、ぜひ、覗いてください。

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ニコンプラザ名古屋
  所在  名古屋市東区東桜一丁目13番3号
         NHK名古屋放送センタービル2階
  電話:  0570-02-8080
       
        ※ 栄オアシス21のバスセンターの2番バス乗場の裏手のエレベー
ターで2階に上がり、そのまま、まっすぐ東に進むとNHKビルの入
         口に。そのドアーからまっすぐ進むとニコンプラザ前に到着します。

ホテイランを鑑賞に八ヶ岳へ - 2018.06.07 Thu

 6月に入り、梅雨が、直ぐ、そこまでに近付いてきた。
 気象庁は、6月の2週目頃から梅雨入りになるのではないかという予報を発評していた。ということは、早ければ6月4日頃には宣言ということになってもおかしくはない。
 私としては、梅雨に入る前に行きたいところがある。このところ定番となっている八ヶ岳のホテイランの鑑賞である。
 今年は、3月下旬のヒロハアマナと5月中旬のクマガイソウを見に行っただけで、何処へも出かけていない。クマガイソウの際には、登山道でない場所を歩き、少しは自信を取り戻したが、次の機会にこの経験を生かそうという気持ちにはなかなかなれない。このため、山にはずっとご無沙汰となってしまっている。
 ホテイランは、美濃戸まで車を乗り入れれば、それほど歩かなくても見ることができるということもあって、こういう気持ちにさせるのかもしれない。
 そこで天気予報を改めて確かめてみると、2日、3日の土日が晴れ予想であるが、これが最後になるかもしれないとなっていた。
 したがって、この両日を逃すと、花が終わってしまう恐れもある。今年はただでさえ花の開花が早いので、次の晴れの日を待つ余裕はないという気持ちにさせられた。
 だが、困ったことに2日は小学校時代の同級生たちと生まれ故郷で会う予定になっていて、これを終えないと身動きが取れない。
 2日、旧友との出会いを終えて家に帰ってきたのが、17時過ぎであった。
 急ぎ、荷物を車に積み込んで、出発準備を整えて18時過ぎに自宅を出発する。
 何時もなら、国道19号で塩尻を経由して諏訪を通って美濃戸へという道を採るが、本日は遅がけの出発ということもあって、春日井から中央自動車道を使うことにする。
 恵那山トンネルを通り越して阿智パーキングエリア辺りで泊まることを考えていたが、この手前の恵那峡サービスエリアの手前辺りから薄暗くなり始めたこともあって、ここで泊まることにした。
 6月3日の朝を迎えた。ここの駐車場は、車道との間にちょっとした林があって、これにさえぎられているためか、心配した騒音も前夜から今朝にかけて気になることはなく、快適な一夜を過ごすことができた。
 5時頃、恵那峡サービスエリアを出発する。
 途中、駒ヶ岳サービスエリアに立ち寄っただけで、諏訪南インターチェンジで自動車道を降りる。
 ここからは、八ヶ岳ズームラインと呼称される道を通って鉢巻道路(県道107号)に出て、美濃戸口へという道順は、何度も、何度も走っているので、カーナビなどという面倒なものに頼らなくても体が覚えているので迷うことなく走ることができる。
 美濃戸口には、八ヶ岳山荘と美濃戸高原ロッヂという2軒の山小屋と3面の大きな駐車場を備えていて、八ヶ岳の主要登山口になっている。ちなみに、ここの駐車場は150台を収容することが可能な大きなもので、いっぱいになることは滅多にないが、ここにきてチラッと横目で見たときには3面共に開かれて、一杯になっているか否かは分からなかったが、相当数の車が止められていて大いに驚く。これとともに、本日が日曜日だということを再認識した。
 八ヶ岳へ登る場合、長野県側から登る場合と、山梨県側から登る場合がある。でも、主峰の赤岳に登る場合は、ここ美濃戸口から登る登山者が7割以上を占めていると私は思っている。このため、ある程度は混雑することも止む得ないが、本格的登山シーズンでもない今、このように混雑しているとは想像していなかった。
 でも、私たちはもう1つ奥の美濃戸へ行く予定であるので、ここの混雑は対岸の火事といった趣であった。
 ここから美濃戸まで距離は3.8キロメートルで、徒歩だと約1時間(反対の場合は45分)内外を要する。距離は短く、車でならば何の苦もないところだが、ここは地道である上に極端に路面が悪い。大石小石の散らばっている河原の中を走っているかの如くで、1度、走ってみると、2度と走りたくないと思うのだが、時間が経つと、この苦労を忘れて歩くよりはマシだと考える。走り終えてみると、次は車を乗り入れることはよそうと思うという繰り返しである。
 ちなみに、ある年の正月に車を乗り入れたことがある。このときの車は4輪駆動仕様(4WD)に普通タイヤにチェーンを付けるというものであった。往路は何事も起こらなかった。復路に問題が発生した。降り勾配であり、所々でブレーキを踏むのだが、車はハンドルの操作を無視して自分勝手に動いてしまうようになった。フットブレーキを使うことを諦めて、手動ブレーキの操作で乗り切ることにして、万が一の危険回避の意味を込めて姫君を降ろして、必死に運転して美濃戸口に到着したという思い出もある。なお、車の暴走の原因は、4WD車に重量のある鉄製のチェ―ンを付けると、バランスを崩してこのようになるのだと車屋に説明されたが、真偽のほどは今でも分からない。
 何れにしても、こんな道である。上下、左右に大きくゆられて、必死にハンドルに掴まってヘトヘトになりながら美濃戸に到着した。
 美濃戸には、やまのこ村、八ヶ岳山荘、美濃戸山荘という3つの山荘があり、ここには各小屋の収容台数の合計が70台という駐車場が備わっている。
 私たちは、何時も、この中で一番に収容台数の多い真ん中の山小屋、八ヶ岳山荘に停めるので、このときも、ここへ乗り入れようとするが、その手前で進入を禁止するかのように三角コーンが置かれていた。
 手前のやまのこ村にいた従業員に訊くと、「私のところもいっぱい。下の方に停めてきてください」と思ってもいなかったことを言う。
 下の美濃戸口の駐車場の盛況で、ここの満杯を予想しなかったことを悔いてはみても、今からでは如何ともし難く、とにかく、戻るより他に方法はなかった。
 戻りながら、この道を観察すると、道路の幅員が広がった所はすれ違い用の空地、また、周囲の山の中へ車を突っ込めそうな場所には諏訪ナンバーの車(軽自動車が主体)が停めてあって、登山者が停めるような余地はなかった。
 引き返す際、私の頭の中にあったのは、この道が二股に分かれている辺り(この先にも同じように交わる所がある)の空地に停めることであった。先ほど、ここを通ったときに駐車する余地があることを確認しているので、そのままであってくれることを祈る気持ちであった。
 ここまで戻ってくると、私が思い描いていた場所とは違うが、山の中へ車を乗り入れられる空地があって、道路上に停めなくともよかったので、安心して駐車させることができた。
 ここで、前夜、恵那峡サービスエリアのコンビニで買い置いた朝食をユックリと食べ、これからの歩きに備える。
2018_06_03 カモメラン
 7時30分頃、歩き始める。
 車で走っているときには感じなかったが、実際に自分の足で歩いてみると、ここが緩やかだとは言っても登り勾配であることが分かり、上の駐車場に停められなかったことを呪いながら歩くことになった。
 この道は、昔は美濃戸口に車を停めて歩くことが普通であった。だいたい、美濃戸口の駐車料金が500円であるのに対して、美濃戸のそれは1000円である。貧乏人の私たちには、この差額は大きく感じられ、特別な場合を除くと歩くことが普通であった。足が弱ってくると、500円余分に支払っても、美濃戸まで行けたほうがよいと考えるようになってきた。今から考えると、不思議というか、よく歩いたものだと思える。
 ここを歩いていて、1番の思い出は美濃戸からアブがずっと追いかけてきて、追い払っても、追い払っても離れずに執拗に攻撃を仕掛けてくるので、美濃戸口に到着したときには血だらけになっていた。今となっては、これも楽しい思い出である。
 再び、美濃戸へ到着したとき、八ヶ岳山荘前の道路上に置かれていた三角コーンは取り払われていた。早朝の下山者が、早々に帰っていったことによって、駐車場に空きができたようである。そういえば、駐車地から、ここにくるまでに降りていった3台ばかりの車とすれ違っており、これらの分が空いたらしい。こんなことなら、もう30分も遅くくれば良かったことになる。残念なことをしたと悔やむことになった。
 赤岳山荘の前にきたとき、老登山者が「カモメランが咲いている」と私たちに向かって語りかけてきた。「何処ですか」と尋ねると、親切に小屋の横にある小さな岩の所に連れて行ってくれた。そこまで行っても何処かが分からず、「何処ですか」と、再度、質問する。すると、「ここです」と言って、この岩を指差す。
 その岩に目を近付けて見てみると、そこには数株のピンクの小さな花が咲いていた。花が小さいので、それと分かっていなくては仮に岩の前に立ったとしても、これを判別することは難しかっただろう。
 カモメランという名前は知っていたが、これまで実物を見たことはなく、その色や姿形は、今回、実物を見て初めて知った。こんな花だけに嬉しさはひとしおで、駐車場がなくて、戻って歩いてきたという不運を補ってあまりないものであった。
 美濃戸山荘の横から南沢に入っていく。
 すくに堰堤があるので、これを越えて沢に降りて、1度、徒渉して沢沿いに歩いていく。
 少し歩くと緑色のロープが張られている。最初にホテイランを探しにきたとき、ここの崖の上の方にこの花が咲いていたことを思い出し、注意深くその辺りを見回してみるが、それらしきものは見付からなかった。
 以後、注意して登山道を進んで行くが、最初に見付けたのは姫君だった。「あったわよ」といい、谷側にしゃがみこんだ。
 少し遅れて、私も撮影に加わったが、少し時期が遅いのか、真ん中の色模様がスッキリとしていない。今年は花の咲くのが例年よりも早い。内心、ホテイランも早く咲いたようだと思い、今年は収穫がないかもしれないと弱気の虫が頭をもたげ出した。
 狭い痩せ尾根の所へやってきた。ここは踏み跡が小さく1周できるように付いている所で、ここを下へ降りていくと、昨年、ホテイランが2つ並んで咲いていた。ここへくると、ここには何と4つが固まって咲いているではないか。これは本当かと、再度、見直したくらいである。見直しても、やはり現実は変わらなかった。これまで何回もきているが、同じフレームに2つ以上のホテイランが入ることはなかったので、4つが1枚の写真に収まることは、このあとでも見ることができるかと問われれば、否定するであろう。
 これだけ、珍しいシチュエーションである。早速、三脚を立てて、丁寧に撮影し始めた。
 本日は天気予報通りに快晴だったが、惜しいことに、ここは樹林の中で陽の光が入り込まず、薄暗い感じである。このため、被写体が暗く、ファインダー越しに覗くそれは細かい所が私の目にはイマイチ判然としない。写真を撮る分には難はないが、ピント合わせには苦労した。先ほどのカモメランは太陽の光をさえぎるものはなかったので、ピントが合わせ易かったことに比べると、このホテイランは明らかに不利であった。
 こうして苦労はあったが、撮影枚数でカバーするという下手特有の方法でカバーして何とか満足できるものが出来上がった。
 これで目的は達成したので、下山に取り掛かる。何年か前、ここにきたとき、イチヨウランを教えてもらって撮影したので、柳の下のドジョウ狙いで、丹念に探してみたが、結局は空振りに終わり、諺どおりであることを再認識させられた。
 美濃戸から三叉路まで歩かねばならないが、こちらから行く場合は降り勾配であり、往路の苦労を味わうことなく、難なく車に到着する。
 だが、まだ気が抜けない。美濃戸口までの悪路との戦いがある。往路と同様に上下に、左右に大いに揺さぶられて、クタクタになりながら最後の橋を渡る。それまでに私の車の後ろには乗用車に付かれていたので、ここの空地で幅寄せして追い抜いてもらう。すると、1台だけではなかった。私の後ろには3台が繋がっていたらしく、これらが次々と追い越していった。この悪路も乗用車と私のようなトラックでは揺れる度合いが異なることが、これだけでもよく分かった。
 美濃戸口に到着、危険地帯を脱出したことになってヤレヤレであった。このとき、時刻は11時前で、時間はたっぷり残っていた。
 そこで計画どおり、権現岳山麓でオキナグサを見ることにする。ちなみに、オキナグサは既に花は終わっているのだが、この花には花後にも見所はある。名前の由来になった老人の白い髭状のものが花後に見られるからだ。これは他の花にたとえると、チングルマの花穂を白くした感じのもので、前回訪れたときはまだ白くなる前だったので、これを見てみたいと、かねてより思っていたという経緯があった。
 だが、ここへ行く道順が定かでない。このため、近くの道の駅『こぶちざわ』で情報収集することにした。
 ここの道の駅には観光案内所があり、ここで情報を収集する。ここは親切で、地図をくれて親切に説明してくれる。
 教えられたように車を走らせると、見慣れた駐車場に到着する。だが、ここも駐車車両でいっぱいで、既に指定外にも車が止められている状態であった。これも、日曜日効果であろうか。私たちも、普段であれば停めないであろう邪魔にならない場所に駐車させ、オキナグサの自生地へ向かう。
 この道は、権現岳の登山道にもなっていて、この時刻にもなると早出の登山者がボツボツと帰ってくるのに出会った。中には、20名以上の団体もあり、これは下の駐車場に停めてあった埼玉(所沢)ナンバーのバスの乗客だと推定が付いた。
 オキナグサの自生地に到着すると、白くなったものもあるにはあったが、タンポポの花穂のようにまん丸のもので、もう少し形が崩れたもののほうが命名の雰囲気が出ていただろうと、少し残念でもあった。
 だが、これで当初の目的は達成、カモメランのオマケまで付いたことに満足して、帰ることにした。本当は、もう少し滞在したかったが、私が薬を忘れたこともあってこうなってしまった。
2018_06_03 ホテイラン

茶臼山高原の芝桜を見学 - 2018.05.23 Wed

 日にちの特定はできないが、先週のことであった。何気なくテレビを見ていると、茶臼山の芝桜が見ごろを迎えたというニュースがテレビで放映されていた。
 芝桜というと、昨年、北海道を周っていて、滝上町と大空町に大きな規模のものがあるということが分かって各現地も訪れており、これらの雄大さは何となく実感している。何となくというのは、このときは時期が遅くて花は咲いていなかったので、この広い斜面に芝桜がいっぱいに咲くとは何と壮観だろうと思い描いただけであるからだ。
 これに限らず、人工の花園には格別の関心はなかったが、この現地を見て、想像は膨らんでいき、1度は見てみたいと漠然と思うようになっていた。これらの芝桜を見るために、今年の北海道行きは5月中の出発にしてもいいなどと考えていたが、今年は自宅マンションの大規模修繕が行われるので、長期にわたる不在は止めて欲しいとのことだったので、この計画は中止を余儀なくされた。
 こんな折、4月15日に室堂に向かって『せせらぎ街道』を走っていると、芝桜の看板を目にして訪れてみると、個人の畑に栽培したとは思えないような立派な規模のものに感心した。
 このような経緯もあって、茶臼山を訪れてみたいと思っていたが、先週は何かと用事はあったし、天気も思ったような芳しいものではなかったので、延び延びになっていた。
 5月20日(日曜日)、恒例の朝の散歩をしていると、雲1つない青空、風も昨日のような強いものではなかったこともあって、茶臼山行きが突如として頭の中を占めるようになる。
 このため、朝食後、直ちに出発する。このとき、時刻は9時頃であった。
 カーナビに茶臼山と入力すると、直ぐに出てきた。これが芝桜の公園へ案内するか否かは分からないが、とにかく、この近くへ行くだろうと思い、これに従うことにした。ちなみに、ここまでの距離は100キロメートル余となっていたので、高速を使うことなく下道を走っても3時間足らずで到着できるので、迷わず、一般道を選択した。
 茶臼山は、名前は聞いたことがあるが、登ったことはない。だいたい、奥三河の山には私たちは1度も足を踏み入れたことはない。したがって、どういう山であるか、まったく理解できなかったが、テレビで宣伝しているくらいだから一般観光客が訪れていることは分かるので、別に事前知識がなくとも大丈夫であろうことは分かる。
 カーナビは、最初は八事から平針街道を指示してきたので、岡崎から豊川へ抜けるのだろうと予想していたら、突如、この道から離れて左折するように命令する。この指示で、どの道を通るかが分からなくなるが、とにかく、指示に従う。すると、国道153号を豊田方面に行くようにとのことだった。これだと、松平から旧・作手村へ出るのだろうか、こうであると狭い山道を通らなければならないので、大変だと思っていると、そうではなかった。豊田市内に入っても、国道153号をそのまま走っていく。この道は稲武へ通じ、飯田へ抜ける。さて、何処からどう行くか、まったく、想像ができなくなってきた。
 これはカーナビが考えることなのでいいのだが、問題は道路が込み始めたことだ。豊田市内はまだしも、足助の入口でも車の列が停まってしまい、今が紅葉の季節かと訝しむほどであった。この渋滞は、足助の街を避けるためのバイパスにまで及ぶが、これを通り越したところ辺りまでくると自然に解消した。
 この道を通るのであれば、私なら瀬戸から藤岡へ抜けて足助の街の出外れで、この国道と合流するのだったと悔やむが、これは後の祭りであった。
 この道を稲武へ向かって走るが、渋滞は断続的に起こる。このため、途中にあった道の駅『どんぐりの里いなぶ』も素通りした。横目で、道の駅を眺めると、駐車場は満杯の様相を呈していて、仮に入ったとしても駐車できるか否かが疑われ、素通りして正解だったと思った。
 ここから道路の混雑は緩和され、普通に走ることが可能になった。
 間もなく、道は愛知県から離れて長野県へと入り、少し不安になってきた。そもそも茶臼山は愛知県の山では標高が最も高い山だという知識があったので、長野県に入ってはいけないのだ。
 こんなことを考えながら走っていると、突如、カーナビが右折を指示してきた。このとき、ここが何処であったかは分からなかったが、あとから地図で確認すると、根羽村の役場近くの信号交差点で、国道から離れて県道(長野)48号に移ったようだ。
 ここを暫らく走り、カーナビの表示が目的地(茶臼山)まで4、5キロメートルの辺りで、前の車が詰まっていて停車を余儀なくされる。このとき、時刻は12時頃で、順調に走っていれば既に到着していた頃である。
 最初の頃は、そのうち、直ぐに動き出すだろうと思っていたが、なかなか走り出そうとはしない。ときどき、動くには動くが、それも距離にすれば2、30メートルに過ぎないので、車に乗っている者にとっては停まっているに等しい状態であった。
 こうなると、先で事故が起こっていることは考えられず、駐車場に入られずに路上で空くのを待っている状態だと思わざるにえなかった。
 これから渋滞が延々と続く。私たちの後ろにはキャンピングカーが2台ほどいたが、これらは諦めUターンして帰っていった。その後、大型の観光バスがやってきたが、これはおとなしく列に並んで延々と待つことになった。こんな大型がUターンするだけの道路幅はなく、前が進むのを待たざるを得なかった。観光バスということを考えると、今後、予定があるだろうにどうするのだろうと、むしろ私たちのほうが心配するほどであった。
 私たちも、キャンピングカーに倣ってUターンしてもいいが、さりとて何処へ行く予定もないので、じっくりと腰を落ち着けて、持久戦を覚悟せざるを得なかった。
 この車の中で用意してあった昼食を済ませたが、他の車の連中はどうしたのだろうか、むしろ、このほうが心配になってくる。それよりもトイレである。私たちは9時に名古屋を出発してから、足助の手前でコンビニに立ち寄り、弁当を購入して以来、ここにくるまで1度も車を止めていないので、トイレは自宅を出発したときにしただけである。私は、食事のあとに物陰で用を足したが、可哀そうなのは姫君である。そう都合よくトイレがあるわけではなく、ジッと我慢していたようである。私の前後の数台でも車から降りた人には気付かなかったので、皆、辛抱したようだ。
 ようやく売木峠の三叉路にやってきた。ここから右折すれば茶臼山の駐車場までは2キロメートルくらいであるが、芝桜祭りの期間中は、一方通行になっていて入っていくことはできない。ではどうするかというと、左折して売木峠から大回りして行くようになっている。ここまでくれば、あと暫らくの辛抱だと思ったが、遅々として進まない。
 そのうち、それまで綺麗に晴れていた空は、何時の間にか黒い雲に覆われてきていて、写真撮影のコンディションは急速に悪化してきた。これでは茶臼山に到着したとしても、いい条件での写真撮影はできないことが分かってくると諦める踏ん切りも付いきて、芝桜見物は明日にスライドさせることに決める。
 そこで近くの道の駅を調べてみると、『つぐ高原グリーンパーク』が11キロメートル、『信州新野千石平』が14キロメートルなっていた。前者へ行く直接の道路はなく、11キロメートルというのは直線距離かもしれないということを考えると、後者が無難だという結論に達した。
 こうと決まれば、15時少し前、列からUターンをして、急きょ決めた今宵の宿に向かう。
 この道の駅は、地場産物品の販売所はあったが、食材や酒類は何も置いてはなかった。このため、今夜と明日の朝の2食分の食料調達の必要性に迫られた。売店で訊くと、15キロメートルくらい離れた隣町へ行かなければないとのことであった。時間は充分あるので、ここまで買物に行くことになった。北海道では15キロメートルというと、ほんの直ぐ近くという感じであったが、本州の15キロメートルという距離は、これとは違って随分と遠く感じる。なにしろ、通ったトンネルや覆道を合わせると5つとか6つも通らなければならなかった。
2018_05_23 萩太郎山公図a
 5月21日(月曜日)、明るくなってから目覚める。時計を見ると、5時過ぎであった。
 とにかく、茶臼山の駐車場に行って様子を見てみることにする。必要最小限の身支度を整えて、直ちに、昨日やってきた道をそのまま逆に走って売木峠に向かう。昨日、Uターンした場所から駐車場までどれくらいあるだろうと思ったら、グルッと回り込んで行かにければならず、昨日、あのまま待っていれば1時間以上がかかることは必定で、諦めて正解だった。
 この道を前進して行くと、頭上をリフトが通っている場所から幾らも離れていないところに、第2駐車場があった。ここから入った下の方にももう1つの駐車場、第1駐車場が設けられていた。両方を合わせると150台程度は駐車可能だと思われる。でも、昨日の人出では、この程度ではオーバーフローするため、あのようなことになった模様だ。
 ここに到着すると、既に、2台が駐車場の空くのを待っていた。このとき、まだ、6時頃であったのに、この状態であった。
 8時開門までには、まだ時間があるので、この間を利用して、人から聞いたり、自分の目で確かめたりして知り得た知識は次の通りであった。
 この駐車場を挟んで南北に2つの山がある。北のほうが標高1415メートルの茶臼山、南の方が同1358メートルの萩太郎山である。そして、芝桜公園があるのは萩太郎山のほうである。
 茶臼山には網の目のような遊歩道が設けられているが、リフトの設置はない。一方、萩太郎山のほうは、元々、スキー場として発足しているだけにリフトが設置してある。大半の客はリフトを使って萩太郎山へ登るが、別にリフトを使わなくとも、駐車場の標高は1200メートルで、標高差は160メートルに過ぎず、距離も890メートルということから駐車場から歩いて登る人もいる。
 さて、私たちはリフトにしようか、歩こうかと逡巡していると、姫君が「リフト代がもったいないわ」と、歩くことを貧乏人家庭の大蔵大臣は強硬に主張する。結局、私は彼女の意向に逆らうことはできなかった。
 ここの駐車場のガードマンは、職務に忠実であった。ずっと並んでいる車列を見ても、何ら動揺することなく、定刻の8時になるまで動こうとはしなかった。
 8時になると、駐車場の入場が始まるが、並んでいた大半の車は下にある第1駐車場へ降りていった。第1駐車場の近くにリフト乗り場があるので、リフト利用者は第1駐車場に車を停めるようだ。
 それでも、第2駐車場に停められた車も、私も含めて4、5台はあった。
 こうして、ミニ登山が開始とされた。
 ゲレンデの片隅には、コンクリート舗装された車道が設けられていて、登山者は、この道路を利用して登っていくのだが、車が登ることが可能な勾配である。人が歩くには何の問題もなく、それほど時間がかからないうちに頂上に到着してしまう。
 ここにはリフト2本が下から人を上げるようになっているが、本日は人が少ないためか、1台が稼働していたのみであった。
 ここに芝桜畑があったが、これを見た第一印象が「なんだ、こんな程度か」というものであった。その狭い畑の4分の1程度は既に枯れていて、鑑賞に耐えられるものではなかった。テレビがいう、「今が見ごろ」というのは嘘であった。小規模なうえに、見頃を過ぎた花では如何ともし難く、早々に興味は消え去っていった。
 昨年、花のない東藻琴(大空町=網走の隣)の芝桜公園の規模は、8ヘクタールとも10ヘクタールとも言われていた。一方、ここ、茶臼山の規模はというと22000平方メートルとのことだ。両方の単位をそろえれば、前者が8ヘクタールに対して後者は2.2ヘクタールで、そもそも北海道の4分の1の規模しかない。これでは喧嘩にならない。
 それよりも、何故、この程度の芝桜に昨日のような多くの人が押し掛けるのか、理解に苦しむ。昨日の客の殆どが、私たちと同じように何も知らないできて、4時間も、5時間も順番待ちをしたものと思われる。
2018_05_23 芝桜

コグルミ谷を歩く - 2018.05.18 Fri

 今年の最初の山行きは3月14日の孫太尾根(藤原岳山域)であった。
 このとき、途中の丸山が最終目的地であったが、無残にも目的を果たすことはできなかった。この目的地まで到達できなかったということは、私にとっては大きな出来事、ショッキングなことであった。
 これがトラウマになったのか、次からの山行きには二の足を踏むことになり、折角の花のシーズンはドンドンと過ぎ去っていった。
 それでも、どうしても見てみたい花があり、5月15日に重い腰を上げて鈴鹿に出掛けることになった。
 目的の花は、クマガイソウである。この花は、早いときにはゴールデンウィークの頃から咲き始めるので、10日も遅い今では遅いかもしれない。特に、今年は花の咲く時期が早いこともあり、この公算が大である。
 10時頃、御池岳のコグルミ谷登山口に到着する。以前、この近くには10台から20台くらいは停められる駐車場が少し離れた場所にあったが、数年前から閉鎖され、現在では登山口の近くに駐車場はない。このため、道路脇に停めざるを得なかった。
 ちなみに、この道路、国道306号は三重県から滋賀県へと通じているが、現在、登山口の先にある鞍掛峠を抜ける鞍掛トンネルが閉鎖中で、行止まりになっている。このため、この道路の通行料は少なく、路上駐車していても特に邪魔だということもない。
2018_05_16 御池岳a
 昔は、谷の左岸側から入る登山道が付いていたが、数年前の大水被害後、右岸側からに変更されていて、ほんの少し谷を遡って左岸に移るようになっている。この登山道を歩いていて、勾配のキツさが足に伝わり、やはり山歩きの大変さを実感しながらの出発であった。同道の姫君も同じような感覚だったようで、重そうに足を動かすスピードもなかなか上がらなかった。
 こうして歩いていると、後の姫君から声がかかった。「ヤマブキソウが咲いているわよ」と。「どれ、どれ」と戻ると、視線のやや上の方に4、5輪がまとまって咲いていた。私は下を向いて必死に歩いていて気付かなかった。普通なら、写真を撮るだろうが、今、足を止めてはあとにツケが回るだけだからと思い、これは帰り道で写すことにして、そのまま進んで行く。
 この左岸側の道路を登り上がると、今度は右岸に渡ることになる。ここには水は殆ど流れておらず、また、谷の幅も狭いので右岸に渡った感覚はない。ここにガマが住み着いているようで、何時も姿は見せないが鳴き声だけは聞こえてきていた。この鳴声は何時も通りに聞こえていて、これを聞くと懐かしい場所に戻ってきたことが実感できた。
 ここにはコグルミ谷右岸尾根が降りてきていて、これを登り上がっていけば天ヶ平(通称:カタクリ峠)に到達するが、今になってはここの斜面は登り上がることはできないだろうと2人で話し合いながら歩みを進める。
 右岸側にいたのは、ごく僅かの距離だけで、再び、左岸に渡り返す。なお、この登山道は『長命水』(水場)までは左岸側を通ることを基本としており、右岸側に渡るのは臨時的措置である。
 ここからは谷の岸辺を構成する岩場を縫うように進むことになるので、これまで以上に気を使うようになる。今になっては、足も思うように動かないので、躓きでもしたら大ごとになる懸念は大であり、これが分かっているだけに余計に気を使うことになる。
 これとともにもう1つ、気を使わなければならない。それはイチリンソウの群落を探すことだ。
 実は、昨年、ここを歩いていると、岩陰にチラッと白いものが見えていた。何だろうと思い、その岩陰にワザワザと立ち寄ってみると、何と、そこには7、8輪か、いや、10輪ほどだったかは判然としないが、イチリンソウがまとまって咲いているのに遭遇した。イチリンソウといえば、1輪、2輪が咲いているのを見れば、大喜びするのが普通で、これがまとまって咲いているのを見ることは稀である。このとき、もちろん、写真撮影したが、咲く場所が写真撮影に芳しいものではなく、また、このとき、マクロレンズで撮影したことが裏目に出て、上手く撮影できなかった。この失敗を補いたいという思いがあったためである。
 条件の合いそうに場面がくると、岩陰を覗くが、イチリンソウはもとより、何の花も見付けることはできなかった。
 こうして歩いていくと、4、5名が降りてくるのに出会った。この時間で下山してくるとは、考えられるのは頂上目的の登山者ではなく、花目的の集団だと見当を付けて尋ねてみると、正解であった。彼らの言によると、クマガイソウは咲いているには咲いていたが、もう、元気のないものだったとのことだった。でも、咲いていることが分かれば、イチリンソウのようなことはないので、まだマシである。
 クマガイソウの自生地に来たので、その方向に足を向けると、何と、既に踏跡が確立しており、少し注意を払えば自然にそこへ案内してくれる。また、これまでのような体力も使わなくてもよく、楽をして目的地まで行くことができた。
 だが、肝心の花は、元気がないどころではなかった。半分近くが、茶色に変色しかけていた、要するに枯れかけていたのだ。このため、ここの小群落を撮影することはできなかったが、被写体になり得るものも少しは残っていたので、これで満足することにした。でも、何だか物足らなさが残り、消化不良気味の感覚は否めなかった。
 11時40分頃、長命水に到着した。本日の予定到達地点はここまでだったので、ここでザックを降ろして休憩、少し早いが用意してきたパン1つを食べ、小腹の足しにする。
 先ほどのクマガイソウが盛りを過ぎていて満足感からはほど遠かったこともあって、ここの近くにあるもう1つの自生地に行ってみることを妻に提案する。彼女も、これに異議を挟まなかったので、直ちにザックを担ぎあげて、ここへ行ってみることにした。
 ここを知った最初の頃は、よく出掛けていたが、足場が悪くて行くまでに大変な思いをしなくてはならないのに対して、見られるクマガイソウはパラパラッとしたものであるので、何時しか行くこともなくなっていた。このときも、前が堪能できていれば、行こうとはしなかったのだが、不満足だったこともあって、このような成り行きになったと思われる。
 苦労して辿り着いてみれば、葉っぱ1枚もないという状態で、まったくの空振りに終わった。
 ないものに未練がましくしていても始まらないので、これまで谷伝いに登ってきたのを、今度は尾根伝いで降っていき、長命水に戻る予定であったが、姫君が「こんな急な尾根は降りられない」と異議を唱える。これまで何回も登り降りしているので、特にどうということはない勾配であるが、妻は手術後には特に弱気になっているので、このように感じるのだろう。
 そこで、妻の提案の「この尾根を登っていくと、登山道に交わるので、この登山道で降りよう」の意見を取り入れることになる。
 そして、そのまま尾根を登り上がっていく。この急な尾根を登り上がっていくと、少し角度が弱まった所で、右手から天ヶ平に通じる登山道が見えてくるのだが、この場所にやってきても登山道がない。真っ直ぐ登り上がってきただけであるので、道を間違える、いや道をない所を歩いてきたのでルートを間違えるといったほうが適切かは別にして、間違えることはない。
 登山道がきているはずの右手には深い谷が口を空けており、登山道が崩落したらしいことは何となく分かったが、それにしてもこちら側の登山道が残っていなければならないのに、踏跡の『ふ』の痕跡もない。
 これでは右手の谷へ降りて渡って道を探すよりは、この登っていき、天ヶ平へ行き、ここから登山道を辿ったほうが賢明だと2人の考えは一致、また、急斜面を登り始める。
 急斜面をこなすと、次にこれまでよりは緩やかな斜面となり、こうなると先のほうの見通しが良くなる。すると、先行する姫君の「看板があったわよ」という喜びの報告があった。この頃になると、道としての痕跡はなくなっているが、確か、以前に歩いていた所だという記憶も徐々に蘇ってきた。
 しかし、水害によってコグルミ谷登山道が崩落して何年が経過したのであろうか。4年だろうか、5年だろうか。このとき、ここも登山道が崩れて新しい道が、従前とは異なった場所に敷設されての結果であろうが、これまで何十年も歩いた古い登山道が痕跡もなく消え去ることがあり得るだろうかと、むしろこの方が不思議に思えてきた。
 12時40分頃、天ヶ平に到着した。
 なお、天ヶ平というのは昔からの名称であったが、この当たりの笹原にカタクリが一面に咲きそろうので、ここをカタクリ峠と呼ばれるようになった。現在では本来の名前である天ヶ平は死語になり、カタクリ峠のほうが著名になったようで、現在、天ヶ平の表示、看板はなくなっていた。
 ここで5分か、10分くらい休憩後、新しい登山道で下山を開始した。
 従来の登山道と新しい登山道とは10メートルも離れていなかったが、ルートは大きく異なっていた。これまでのような直登ぎみの道ではなく、大きくジグザグに切られた登山者に優しい道が造られていると思っていると、道は何時しか尾根を直接に降りるようになると、段差の大きな階段が現れ、私たちのような老人にはキツイ道となってきた。
 こうしてコグルミ谷に近付くと、尾根を降りて従来の登山道に合流、長命水に至っていた。
 新旧の登山道を比べてみると、旧道は炭焼きなどによって歩かれた道で、急な尾根を避けてトラバースギみに作られていたのに対して、新道は登山者好みの尾根を忠実に辿る道という違いがみられた。
 長命水以降は、往路を忠実に辿り、14時頃、コグルミ谷登山口に帰着している。
2018_05_16 ヤマブキソウ

臥竜桜を見物 - 2018.05.17 Thu

 4月20日、室堂から高原バス及びケーブルカーを乗り継いで、立山駅に帰ってきた。
 久しぶりに午前中を通して歩いたので、疲労はピークに達し、何もやりたくない心境であった。このため、この後に予定していた称名ノ滝見物も省略、長野方面に回ることも同様に割愛、直ちに帰ることにした。
 ルートは、往路をそのままに高山まで行き、ここからは往路のせせらぎ街道ではなく、国道41号を走ることにした。
 この道を走っていて、このルートなら臥龍桜があるが、どうなっているだろうと気になり始め、姫君にこのことを話すと、「明日、立ち寄ってみては……」との返事であった。
 高山の出外れで、この桜の看板を見たが、立ち寄るという気力は残ってはおらず、そのまま通り過ぎて道の駅『飛騨街道なぎさ』に急いだ。
 この道の駅で一夜を過ごし、21日の朝を迎える。
 前日、道の駅で臥龍桜の開花状況を尋ねると、「2、3日前に満開と言っていました」との答えだったので、時期としてはドンピシャだといってもよく、最高の桜見物が可能で、あとは天気次第であった。
 この朝の天気は、うまい具合に晴れ。桜見物には最高のシチュエーションであり、何から何までうまく運んでいることに感謝していた。
 ただし、ここから臥龍桜(高山市一之宮町)まで、ここの道の駅から16、7キロメートルも戻らねばならないことが唯一の難点であった。でも、昨日には、ここへ立ち寄るという気力は残っていなかったので、いたしかたないことではあった。
 途中に宮峠という大きな峠越えがあるのが難ではあるが、昨夜、グッスリと寝て、疲労は撮れているので、この峠越えもさほどのものではなかった。
 満開情報は既に得ているので、ここへ近付いても『どうだろう』といった余分の心配はせずに駐車場に乗り入れた。
 臥龍桜というのは、エドヒガンザクラの古木(推定樹齢1100年)で、その高さは20メートル、枝張りが38メートルという大木である。なお、名前は、竜が寝た(臥した)姿からの命名だといわれている。
 この桜見物を終わると、あとは帰るだけ。国道41号を忠実に辿り、12時頃、自宅に帰り着いた。
2018_04_21 臥龍桜

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